第6話 東條みれいと紀内葵
そのさらに数日後の真夜中の一時頃。
ここ最近は気分の落ち込みが激しく不眠状態に陥っていた鈴花は、気分転換にと自転車で外出した。
向かったのは浅草で、自転車で二十分ほどの距離にある。
浅草六区に入ると、商店街のほとんどの店舗が暗闇に溶け込む中、煌々と明かりを放つ巨大な建物が見えた。
そのドンキホーテの地下に自転車をとめて、鈴花は各階をあてもなく歩いた。
そして、四階の家電売り場をぶらついていたとき、隣の通路に東條みれいの姿を見つけて、あわててディスプレイの陰に隠れた。
帽子にメガネにマスクをつけたみれいだったが、長年の付き合いの鈴花は瞬時に彼女だと気づいた。
鈴花は万が一の場合にと用意していた伊達メガネをかけて、みれいの後をこっそりつけた。
みれいはスマートフォン売り場でしばし物色していたが、やがて充電器を選んで会計を済ませると、そのまま同じ建物内の六階にあるカラオケ店へエスカレーターで向かった。
受付にはそのとき店員の姿はなかったが、みれいは慣れた様子でロビーを通りすぎ、十八番のボックスに入っていったのを鈴花は見届けた。
すでにあのボックスには誰かがいて、みれいは後から合流したに違いない。
今後こそは、ひょっとすると・・・
そうだ! それに今日はみれいの誕生日じゃん!
正確にいえば日付的にはもう終わっちゃったけど、今はまだ昨日の続きと考えれば・・・
さらに、外国人や年配の観光客が多く若者の姿は少ない浅草という土地柄は、意外と密会に適している穴場であるようにも鈴花には思えた。
鈴花はにわかに高まる鼓動を意識しながら、受付ロビーに戻り、卓上ベルで店員を呼び出した。
応対したのはインドのボリウッド映画で見られるような肌の浅黒いイケメンで、やや日本語はたどたどしかったが、その店員の指示に従い、初回利用のための申込書を記入し、身分証明書としてマイナンバーカードを提示した後に案内されたのは、みれいが入室したボックスの斜め向かいで、三室ほど隔たっていた。
ドアの小窓から廊下を見渡すと、十八番のボックスも十分に視界に入る。
時刻は午前二時に差しかかろうとしていた。
それからの三時間ほど、鈴花は一曲も歌わず、部屋の中に立ち続けたままドアの小窓から十八番のボックスを絶えずうかがった。
だが、出入りは一度もなく、ボックスの中にはみれい以外の誰が在室しているのかは不明だった。
そして、午前五時、閉店時刻となった。
そのとき。
ようやく一八番ボックスのドアが開いた。
現れたのは、三人の人影だった。
女性二人と男性一人の姿。
その三人は鈴花の待ち受ける方へと歩みを進め、やがて鈴花のボックスの前を通り過ぎていく。
このときまで集中力を持続させていた鈴花はそっとドアを開け、音を立てずにボックスを出て、息をひそめて三人の十mほど背後に回った。
だが、なんらかの気配を察したのか、みれいが突然振り返った。
ハッとした表情で鈴花の姿をみとめたみれいは前方に走り出す。
その様子に驚いた他の二人も鈴花の存在に気づいて一緒に走り出した。
「あっ! 待て!」
鈴花の動き出しが少し遅れた。
その間に三人はロビーを横切ってエスカレーターへ向かう。
だが、その五メートルほど手前で、みれいが足をもつれさせ転倒した。
かと思うと、両手を床についていたみれいの口元から、胃の中の液状のものが流れ落ちる。
その横顔は濃い赤に染まっていた。
すでに三人との距離を縮めていた鈴花はそんなみれいを助けるでもなく、無我夢中で非情にもスマートフォンの動画で録画を始めた。
みれいのハプニングに動揺したのか、他の二人はみれいを置き去りにすることはなかったが、ただただ茫然と立ち尽くしている。
そんな二人にも鈴花はスマートフォンを向けた。
その内のひとりは意外にも、鈴花が尾行したあの土曜日の直後にインフルエンザに罹って療養中の葵だった。
葵は大きめのマスクをつけ、熱に浮かされたような真っ赤な顔をしながらゲホゲホとせきこんでいる
もうひとりは中肉中背の二十代前半の男性で、まだ世間的には無名だが音楽好きの若者の間ではじわじわと頭角を現しつつあるロックバンドのギタリストである。
ふたりは両手を固く握り合わせ、お互いに寄り添うように立っている。
「ついに撮ったっ!」
鈴花は我を忘れて叫んだ。
「葵の彼氏!
泥酔したみれいっ!
ひゃはははっ」
狂ったような笑い方だと自覚しつつも鈴花はそれを抑えることができない。
ようやく発作がおさまると、鈴花は葵に右手の人差し指を突きつけた。
「葵!
あんた、日ごろから男性アイドルが好きで付き合いたいとか言ってたけど、たわいのないジョークだと思ってた。
だけど、ほんとに彼氏がいたとはね!」
「・・・」
「しかも、アイドルじゃなくて、これから売れること間違いなしのギタリストとは、なかなかいいセンスしてるじゃない?」
「・・・」
「あんた、まだ十六歳のくせに、生意気なんだよ!」
「・・・」
「なんとか言いなさいよ!」
「・・・」
普段は物怖じしない強気なキャラだが、鈴花の挑発に終始うなだれたまま無言でいる葵を見かねたのか、ティッシュで床をふいていたみれいがよろよろと立ち上がって、
「もう、その辺にしてあげて。
ねえ、お願いだから、その動画、消してくれないかしら?」
みれいの頬は紅潮し、ややろれつが回っていない。
鈴花の顔に酒臭い息がふりかかる。
「イヤよっ!
絶対にイヤっ!」
断固たる拒絶の言葉を鈴花が発すると、酔いで顔全体を火照らせたギタリストが身を乗り出して鈴花に左手を伸ばしかけた。
鈴花はスマートフォンをかばうように後ろに両腕をまわした。
「むりやり奪う気?
なら、その様子も動画に撮るわよ。
もしわたしから奪えなかったら、あなた、大変なことになる。
警察沙汰になるかも。
それでもいいの?」
「・・・」
しばしの間、膠着状態が続いたが、やがて観念したようにみれいがため息をついた。
「もう帰りましょう」
葵は無言でこっくりとうなずくと、最後まで言葉を口にすることなく、ギタリストと手をつないだまま、みれいの後についていった。
三人がエレベーターで去ると、鈴花は間違いなく一階で止まったことを確認し、ロビーに立ったまま、早速インスタグラムに今撮影した動画を投稿した。
そして、入室時とは異なり、今度は日本人の店員に受付で料金を支払い、カラオケ店を出た。
待ち伏せを警戒し、エレベーターは使用せずに階段で一階までそろそろと降りていったが、幸いにも三人の姿はなかった。
時刻は午前五時すぎ。
二月の空はまだ日の出には早く、曇った真っ暗な夜空には月さえも浮かんでいなかった。
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