第3話 東條みれい②

 レッスンが終わったのがちょうどお昼時だったので、持参したコンビニのサンドイッチなどを食べ始めるメンバーがちらほら見かけられたが、体型維持のために昼食を抜く習慣のみれいは、着替えを済ませるとレッスン場を出て行った。

 鈴花は、急いでいる様子のその姿を追った。

 ただし、声はかけずに、一定の距離を置いて。

 二月中旬の曇り空の下、寒さは特に厳しく、みれいはキャメルのコートを羽織り、オフホワイトのブーツを履いている。

 一方の鈴花は、普段は明るい色調の服装が多いが、このときのためにバッグに用意していた暗めのコーディネートを選び、伊達メガネをかけキャスケットを被っている。

 眼鏡も帽子もいつもは使用しないアイテムで、そういった姿でメンバーの前に現れたことはないから、自分だと気づかれる心配はないだろうという目論見だった。

 それに、メンバーやスタッフからは日頃から「なんか地味で存在感が薄いよね、鈴花って」とからかわれているくらいだし。

 そう鈴花は自嘲する。

「Paradise Party」の専用劇場は北千住駅の東口にほど近い大学のそばにあり、みれいは歩いて八分ほどの駅にやや急ぎ足で向かっていた。

 誰かと待ち合わせでもしているのかな? 

 これは何かあるかも。

 鈴花の心中にじわじわと期待が込み上げてくる。

 みれいは地下鉄の千代田線と銀座線を乗り継ぎ、渋谷駅で降りた。

 それから、一人で文化村通の緩やかな坂を足早に進む。

 一〇九やH&M、ドンキホーテをみれいが素通りした先にはBunkamuraがあるが、今は改装工事中である。

 いったいどこに向かっているんだろうと鈴花が不審に思っていると、松濤郵便局前の交差点を左に折れて急な坂道を登っていき、その途中にある右手の建物の中に入っていった。

 鈴花はその無機質なコンクリート造りの建物の前で立ち止まった。

 壁の一部のちょうど眼の高さの位置にガラスケースが設置され、その中にポスターが飾られている。

 モノクロ映画の一場面が掲載され、「サッシャ・ギトリ特集」とあった。

 この建物が旧作映画を上映する映画館だと鈴花は悟った。

 急いでいたのは上映時刻に間に合わせるためだったのだろうか。

 もしや、ここで彼氏と待ち合わせている? 

 鈴花はエレベーターで四階に上がり、受付でチケットを買って劇場内をそっとうかがった。

 みれいはスクリーンに向かって右手の最後列に腰を下ろしていた。

 隣には誰もいない。

 鈴花がほぼ中央の最後列の席に座ると、まもなくして上映が開始された。

 作品は「あなたの目になりたい」という戦時下のパリが舞台のフランス映画だった。

 鈴花は暗闇の中、みれいのおぼろげな姿を監視しながらの鑑賞だったので、ストーリーを追うことはほとんどできなかったけれど、二人の男女が灯火管制の敷かれた暗闇の街中を懐中電灯で足元を照らしながら歩くシーンは、モノクロの画面にもかかわらず不思議と鮮やかな色彩的印象を鈴花に与えた。

 上映が終わると、みれいは作品の余韻を味わうようにしばらく座席にそっと腰かけたままだったが、やがて席を立った。

 映画館を後にしたみれいは渋谷駅には引き返さずに、センター街と井の頭通を経由して、JR線の線路沿いに出た。

 JR山手線の線路を右手にみながら、原宿方面へと向かう。

 表参道とか竹下通りとかでデート?

 今度こそ、何かあるかも。

 だが、鈴花の期待に反し、みれいの足は原宿駅の手前で左に向かい、行き着いたのは明治神宮だった。

 みれいは杜の中の参道をその自然を味わうようにゆったりと歩いている。

 やがて木造の大鳥居をくぐって道なりに進み本殿で参拝。

 復路では途中で御苑に立ち寄り、四阿や八つ橋を巡りながら苑内を一周した。

 およそ一時間で再び原宿口に戻り、明治神宮を後にする。

 そのまま地下鉄の駅に向かい、明治神宮前駅から副都心線に乗り込んだ。

 中目黒で日比谷線に乗り換え、下車したのは鈴花の予想どおり広尾駅だった。

 みれいは日が暮れかけた駅前の商店街を抜け、急な坂道を上った高台にある白亜の邸の大きな門の中に消えていった。

 終始単独行動で、男性の影は微塵もなかった。

 鈴花の尾行は完全に徒労に終わったのだった。

 鈴花は駅へとぼとぼと引き返し、地下鉄を乗り継いで東武線の牛田駅で降りた。

 そして、駅から五分と近いが、築三〇年を超える賃貸アパートのワンルームの自宅へと戻った。

 みれいに合わせて昼食を抜いていたこともありひどく疲労していた。

 わたしは一体なにをやっていたんだろう。

 そう思うと、強烈な虚しさに襲われた。

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