第20話 電話

 

 エレベーターが35階に付き、扉が開く。

 自分の家の鍵を開けた松野は、玄関を上がると、静まり返ったリビングを見渡した。


 さっき家を出た時は、皆が居なくなって寂しいなと思ったのに。

 明日の朝にはここを離れる事になるなんて。

 寝る為に帰ってくるだけの家だったから、あまり思い出はないけれど、「全く寂しくない」と言えば嘘になる。

 が、感傷に浸っている暇がない。


 ――後で業者から連絡が来るって言ってたけど、どうなるんやろ…。


 引っ越しの為に使えそうな段ボールは持っていない。先にできる事は何かあるかな…と、顎を撫でていると、ソファの上でスマートフォンがブルブルと震えだす。


「!!」


 そっか、朝からずっと置きっぱなしだったのか…と、慌ててソファからスマートフォンを取り、画面を見る。すると、見知らぬ番号が表示されている。


 ――業者か?いや…もしかしたら、記者って事もありえるか…?


 松野はゴクッと喉を鳴らしながら、恐る恐る電話に出る。


「…もしもし」


 ドキッドキッと心臓が騒ぎだす。松野は緊張の面持ちで耳を澄ますと、スピーカーの奥から元気な声が聞こえてきた。


「お世話になります!アーリーライン引越センターの沼田と申しますが、松野様のお電話でよろしかったでしょうか~!」

「あ!!は、はい、そうです!」


 ――ああ、良かった。引っ越し業者の人だった。


 松野は「ふ~…」と心臓を落ち着かせながら、相手の話に耳を傾ける。


「浜ヶ崎様のご要望で、単身パックで大阪までお引越しをされると聞きましたが、お間違いないでしょうか?」

「単身…はい」

「かしこまりました~!今から私含め作業員6名がそちらに向かい、松野様の代わりに梱包作業をいたします。トラックが21時頃空きますので、到着次第、搬出作業を開始。そして明日の朝10時頃に搬入させていただく予定となっております。ご質問等はございますでしょうか?」

「い、いえ、ありません!」

「では後程伺いますので、よろしくお願いいたします~!」


 明るい挨拶で締めくくると、松野の返事を待たずに電話がプツッと切れた。

 …凄い。引っ越しの準備が着々と進められていく。

 通常ならあり得ない速さだが…浜ヶ崎のお願いだと、こうも簡単に動くのか。


 ――やっぱ、浜ヶ崎って俺が思ってる以上に凄い奴なんやろうな…。


 ジーっと画面を見つめながら、思わず感心してしまう。


「あ、そや」


 松野は着信履歴を開き、かかってきた電話番号の詳細をタップする。“引っ越し業者”と登録しようとして、ふと指が止まった。

 5年前の着信履歴にある名前――“おかん”と書かれた文字に松野の目が留まる。

 自分とそっくりな仏顔をした、80歳の母の姿が頭に浮かぶ。

 松野はジッと文字を見つめると、「よしっ」と小さく呟いた。“おかん”をポンとタップして、スマートフォンを耳にくっつける。プルルルル…と鳴る呼び出し音。少し前の自分なら、電話が怖くて母にすらかけられなかった。だけど、もう逃げない。この勇気を浜ヶ崎達がくれたから。


「……もしもし」

「!」


 聞き慣れた穏やかな声に、松野の胸がバクっと脈打つ。

 ドッドッ…とうるさい鼓動を落ち着かせる為に、大きく深呼吸をする。しかし、一ヵ月ぶりに聞いた母の声に安堵したのか、勝手に涙が浮かんできて。慌てて手で目を仰いでいると、電話の向こうで「はぁ…」と溜め息が聞こえた。


「……用が無いなら切るけど」

「うわ~~~~!ある!用、ある!」


 呆れたような声で言われ、松野は必死に呼び止める。が、止めたものの、何かを言おうとすると涙で声が詰まってしまって。

 ずっと電話口でグズグズしている息子に、母は「全くもう」と呟いた。


「…元気なの?」

「…うん…」

「ご飯、ちゃんと食べれてるの?」

「うん…食べてる…」

「そ。ならええわ」


 フッ…と、母が安心したように微笑んだのに気づき、松野はズルッと鼻を啜る。


「…で、電話…かけられなくてごめん」


 だらしない涙声になりながら。松野は必死に言葉を紡ぐ。


「そうねぇ。テレビに出て幸せそうにしてたのに、あんな事になって…お母さん、凄く心配したわよ」

「…ごめん」

「武蔵、携帯の電源切ってるでしょ?だから、何回も電話したけど繋がらなくて…って、あらぁ?そう言えば、今“武蔵2”って画面に出てたけど、なんでかしら…」

「2?…これ、会社用じゃなくてプライベート用のやつやから、分けて登録してたんちゃう?」

「?…あ~~、そうかそうか!武蔵は携帯2台持ってたかぁ…。お母さん、着信履歴からしか電話かけへんから、すっかり忘れてたわ!」


 あっはっはっは。と高らかに笑う母に、松野もフフッと笑みを溢す。


「おかん…俺のせいで、迷惑かかったんとちゃう?」


 目尻の涙を指で拭いながら、松野は問いかける。

 ワイドショーにとりあげられたり週刊誌の記事が出てしまったので、マスコミが母の元に行っているのではないだろうか――と、本当はずっと気にしていた。

 母は今、一軒家に一人暮らしだ。人が押し寄せて、外に出る事すら出来ていなかったらどうしよう――そう思っていながらも、家に引きこもり、連絡を閉ざしてしまっていた。そんな自分がとても恥ずかしいし、情けない。


「そうねぇ…最初は毎日ピンポンピンポンうるさくて、大変やったねぇ」

「……ごめん」


 やっぱりそうだよな…と、松野の顔が曇る。しかし、落ち込む息子を察した母は努めて明るい声を出す。


「でもな、聡くんと花ちゃんが助けてくれてん!」

「……え…誰?」


 うふふ、と笑う母に、松野は目を瞬かせる。


「覚えとらんのー?あんたが小さい頃よくお世話してあげてた、4つ下の佐藤聡くんと6つ下の田村花ちゃんよ!」

「…?」

「え~!わからん?あんなに『武蔵兄ちゃ~ん!』って二人とも武蔵の後ろ追いかけてたのに!」

「う~ん?…居たような、気もするけど…」


 松野は顎を撫でながら首を傾げる。思い出してみようとするものの、お世話していた子が多すぎて、ちょっとどの子か分からない。


「そうかぁ…いっぱい子供達居たもんね。最初は預かるの、一人だけやったんやけどねぇ。『うちも預かって~』って言われてもう一人預かったら、『うちも~!』『うちも~!』って色んな人に言われるようになって、断れなくなっちゃってねぇ」


 思い出に浸りながらしみじみと話す母に、松野は「えっ」と声を上げる。


「おかん、好きで預かってた訳じゃないんや」

「子供は好きやで?母さん、人に頼まれたら断れないんよ。それで家が託児所みたいになってなぁ。私のせいで、武蔵も巻き込んじゃって…悪かったねぇ」

「いやぁ…今では良い思い出やで」


 当時は家が毎日お祭り騒ぎで大変だったけど。いじめられても孤独に感じなかったのも、春のお世話がスムーズにできたのも、あの経験のおかげだから。皆をお世話できて良かったと心の底から思っている。


「ふふ…そう言ってくれてありがとう。総君と花ちゃんはね、今警察官なのよ。しかも、結構お偉いさんなの!『昔、おばちゃんと兄ちゃんに世話になったから、今度は俺らが助ける』って言ってくれてねぇ。変な人を追い払ってくれたり、取り締まってくれたのよ」

「…そうやったんか」

「武蔵のおかげよ。ありがとねぇ」


 電話越しでも柔らかな笑顔が伝わってくるような、優しさでいっぱいの声。


「…いや、おかんが皆に優しいから、皆、おかんの為に手伝ってくれたんやろ…」


 と、言いながら段々目頭が熱くなってくる。

 思い起こせば、母は昔から何か問題が起こっても、決して焦らず、ポジティブに変換して前を向く人だった。困っている人がいたら必ず手を差し伸べていたし、歩みの遅い人には立ち止まって待っていてあげるような優しい人だった。

 こんなに愛に溢れた人に心配をかけてしまった事、迷惑をかけてしまった事が、本当に本当に申し訳ない。


「あらも~、そんなにメソメソして…。あなた、今何歳?」

「5…58…」

「あらぁ~!もう還暦近いの!そりゃあ私も老けるはずだわ」


 あっはっはっはと高らかに笑う声が、松野を優しく包み込む。


 ――おかんに電話して、良かった…。


 勇気を出して電話をかけて良かった。またこの温かい声を聞けて良かった。


「うぅ~」

「もう、泣かないのよ。…武蔵、この後どうするつもりなの?一度、こっちに戻ってくるの?」


 東京には居づらいのでは。そう思う母が、息子に尋ねる。すると、松野は鼻水を手の甲で拭って、口を開いた。


「俺…実は、大阪でベビーシッターする事になってん」


 ズルッと鼻を啜りながら、少し気まずそうに松野が言う。母は「あらまあ!」と驚いて目を見開くと、矢継ぎ早に質問する。


「もしかして、記事に載ってた浜ヶ崎組の赤ちゃん?」

「!うん…」

「あらあらあら…」


 「は~…」と、溜め息のような長い息を吐く母に、松野はゴクッと喉を鳴らす。


 ――…流石に、やめろって言われるかな…。


 ヤクザと関わるなんて知ったら、母は卒倒してしまうんじゃないだろうか――そんな不安を抱きながら打ち明けたのだが。


「ベビーシッターかぁ…武蔵にぴったりやね」


 と言うと、母はスピーカー越しにうふふと笑った。


「…おかん、止めへんの?」

「え?ええやないの、ベビーシッター。あなた子供の扱い上手やし。お母さん昔、武蔵は保育士さんになったらええのに~と思ってたのよ」

「んん?いや、そうじゃなくて…」


 のほほんと話す母に、松野は戸惑って頭を掻く。


 ――ヤクザと関わる事、どう思ってるか知りたいんやけど…。


 言いづらそうに咳払いをする松野。モジモジとする息子に、母は呆れながらも唇を弧にする。


「武蔵が若かったら止めたかもね。でも、もう良い歳の大人が自分で考えて選んだんだから…お母さんから言う事は特に無いわよ。お父さんだって、生きてたら絶対応援してたと思うよ」

「……そうかなぁ」


 母の言葉に首を傾げながら、父の姿を思い浮かべる。

 中肉中背でバーコードはげ。大きな四角い眼鏡の縁に触れる程のふさふさの眉にくりっとした瞳。そして、大きな鼻筋と一直線の唇が特徴的な父は、あまり感情を表に出さない人だった。

 話しかけても相槌しか返ってこないし、褒められる事も怒られる事もなかったので、自分には興味が無いんだろうな…と、子供ながらに思っていた。


「そうよ~。お父さん、『武蔵がやりたい事をさせてやってくれ』って、いつも言ってたもの。だから、お父さんもお母さんも、あなたが頑張るって決めた事なら何でも応援するわよ」

「…ありがとう」


 母にお礼を言いつつも、頭の中ではちょっとしたパニックが起きている。


 ――おとん、そんな事言ってたんや…。


 母が話す父の姿と、記憶の中の父が全く結びつかない。

 進学先を選ぶ時も上京する時も、何にも口を挟んでこなかったけど…あれは息子に興味が無かったのではなく、意志を尊重してくれていたのか――と、40年以上経って知る真実に衝撃を受ける。


「そのベビーシッターはいつからやるん?」

「あ、えっと…明日から」

「明日!?あっはっはっは!あんたの人生、ほんまに飽きへんなぁ。凄すぎて涙出てくるわ」


 自分の膝をパンパン叩く母につられ、松野も自然と笑顔になっていく。


「は~。まぁ、自分らしくやりなさいよ。浜ヶ崎組があるのってウチの隣の市やし、たまには顔見せに来てね」

「えっ!そうなん?」

「そうよ~。有名よぉ」

「そんなら、落ち着いたら行くわ!」

「うんうん。そうしてそうして」


 ふふふと、笑う母に松野も笑顔で頷く。と同時に、ピンポーンとチャイムが鳴った。


「あら、お客さん?」

「おお。引っ越し業者が来たわ」

「そうかぁ。東京に家は残さないのね」

「うん。俺の荷物、全部あっちの家に運ぶらしい」


 インターフォンの対応をしながら話す松野。その声が前向きで明るいように感じられて、母はホッと胸を撫で下ろした。


「へぇ~。有名な人やから、お家も大きいんやろね」

「あ~、どうなんやろう。やっぱそうなんかな」

「きっとね。…大変だろうけど、頑張ってね」

「ありがとう」

「うんうん。じゃあ、今から忙しいだろうから」


 母は「またね」と言うと、一拍おいてから電話を切った。

 通話時間が表示されたスマートフォンを、松野は暫し嬉しそうに見つめる。

 マザコンだと笑われるかもしれないが、母と話すと元気が出る。


 ――あっちに行ったら、ちょこちょこ実家に行かせてもらおう。


 急な引っ越しに心が付いていけてない部分もあったが、段々楽しみになってきた。

 ピンポーンと再びチャイムが鳴り、松野は「はーい」と言いながら玄関に向かう。

 扉を開けると、20~40代の筋骨隆々の男性六人が、お手本のような笑みを浮かべ立っていた。


「こんにちは~!アーリーライン引越センターの沼田です!よろしくお願いいたします!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 キャップを外して頭を下げる沼田に、松野も丁寧に頭を下げる。

 笑顔で部屋に入って行く沼田に続き、五人も挨拶をして入って行く。挨拶を終えた松野は、どんどん運び込まれていく段ボールの邪魔にならないよう、リビングのソファにちょこんと座る。が、すぐに「松野様~!」と沼田に呼ばれ、ソファから飛び上がる。


「はっ、はい!」

「今から梱包作業に入らせていただきますので、必要な手荷物だけ避けていただいてもよろしいでしょうか?」

「あっ!はい、分かりました」


 と、反射的に頷いて、はたと気づく。


 ――…あれ?そう言えば俺、今日どこで寝ればええんや?


 21時頃、搬出開始すると言っていた。その際、ベッドも無くなってしまうはず。


 ――え…もしかして床に寝るしかないんか…?


 寝袋は持っていないので、何も敷かずに寝るしかない。うわ…絶対体痛くなるやつやん…と絶望していると、沼田は二カーッと歯を出して笑い、松野に顔を近付ける。


「東京駅直通のホテルにお部屋をご用意しましたので、本日はそちらでお休みください!フロントに新幹線のチケットも預けておりますので、受け取ってくださいね」

「えっ!?あっ、あ~…そうですか!ご丁寧にありがとうございます…」


 思考を読んだかのように胡散臭い笑みでペラペラと喋る沼田に、松野は咄嗟にぎこちない笑みを作る。


 ――な…何であの人、俺が考えてること分かったんやろ…。


 すぐさま作業に向かう沼田の後ろ姿を見て、松野はブルッと背筋を震わせる。

 やくざが経営する業者だから、やっぱり働いている人も普通の人間じゃないのかもしれない――というのは、考えすぎだろうか。

 でも、怖かった。あの笑顔が、作り物の仮面に見えてしまうくらい、人間味を感じなかった。


「は~…」


 松野はドキドキする胸を撫でながら、ウォークインクローゼットに向かう。

 棚の上段に並べていた大きな黒革のボストンバッグを取り、肌着やTシャツを適当に詰めていく。小物はサングラス以外別にいらないかな…と、部屋を見渡して、ピタッと視線を止める。

 松野がジッと見つめる場所。それは、ゴルフウェアをしまっている引き出しだった。


「……」


 松野は引き出しの前に行くと、膝を付き、手を伸ばす。

 色んな色のポロシャツが重ねられている、一番下のさらに奥。松野は手探りで中を探ると、指先に触れる硬いものを見つけ、取り出した。出てきたのは、会社用のスマートフォンと充電器。鳴り止まない通知が怖くなり、一度封印した物だ。

 松野は徐に立ち上がると、ボストンバッグにスマートフォンと充電器を入れ、リビングへ向かった。


「す~…は~…」


 0%になってしまったスマートフォンを充電しながら、松野はソファで深呼吸を繰り返す。

 電源を落としてから一ヵ月。

 どれくらい履歴が溜まっているのだろう…と想像すると、胃がキュウッと痛くなる。でも、佐々木から社長たちの話を聞いた今、お世話になった人のメッセージくらいはちゃんと確認しなければ…と、思う。


 ――めちゃくちゃ心配も迷惑もかけただろうしな…。


 松野は膝を擦りながら、硬い表情で「ふ~~…」とひたすら息を吐く。その瞬間、パッとスマートフォンが明るく光った。


「!」


 白く光る画面を見ながら、松野はピンと背を伸ばす。食い入るように画面を見ていると、ポンポンポンポンポン!と通知が鳴り始めた。


「あ、わわ、わわわ…」


 ポンポンポン!ピコン!ポン!ピコンピコン!…と止まらない通知に、松野はあたふたし始める。そうこうしている内に怒涛の通知ラッシュが止み、リビングがシーン…と静まり返った。


 ――と、止まったか…?


 戸惑いつつも、松野はスマートフォンに手を伸ばす。すると、指先が触れる寸前でプルルルル…と電話が鳴り始めた。


「ひょわっ!!」


 ビクゥッ!と体が飛び跳ねる。松野は「はぁ、はぁ…」とドギマギしながら画面をそろりと覗き込む。

 着信相手は滝社長――ジムオリジナルのプロテインや栄養補食バー等を作ってくれている工場の社長だ。松野の3歳上で、熊のようにずんぐりむっくりした体型に可愛いくりくりお目目を持つ、ぬいぐるみのような可愛らしい人だ。そして、とても仲良くさせていただいた社長の一人でもある。

 着信音は止まる様子がない。

 松野は腹を括ると、通話ボタンをスワイプした。


「…も、もしもし…!」


 背を正して、話しかける。すると、電話の向こうでハッと息を呑む音が聞こえた。


「…松野さん…?」

「はい…ご無沙汰しております」

「……」


 まさか松野が出ると思わなかったようだ。相手の戸惑っている様子が、こちらにもひしひしと伝わってくる。松野は緊張で瞬きを繰り返しながら、膝の上で拳を握り、滝の言葉をジッと待つ。


「……やっと出てくれた…」


 肩を力ませる松野の耳に、脱力するような滝の声が聞こえる。苦労と安堵が混ざった声から、いかに心配していたのかが伝わってきて、松野はズキッと心が痛くなる。


「毎日…毎日、電話してたんですよ。今日は繋がるかも…って思いながら」


 社長椅子に深く凭れ、滝は噛み締めるように言う。


「…ご心配をおかけして、すみません」

「…ニュースの後、電話が繋がらなくなっちゃったから…最悪、死のうとしてるんじゃないかと思って…ほんと、気が気じゃなくて…」

「!すみません、滝さん。すみません…!」


 「はぁ~~~~~~…」と大きな息を吐く滝に、松野は何度も深く頭を下げる。

 滝がこんなに心配してくれていたと思わなかった。申し訳なさと罪悪感で、うっすらと視界が滲んでいく。

 グスッ…と松野が鼻を啜る音を聞きながら、滝はふにふにの大きな手を目元に当てる。そして、「ふぅ…」と小さく息を吐くと、頭の中を整理するように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「…昨日?一昨日だっけ?ヤクザと繋がりがあるなんて記事が出たじゃないですか。あれも、変な事に巻き込まれたのかなって、物凄く心配で…。大丈夫なんですか?」

「あっ、あれはですね…」


 と言うと、松野は浜ヶ崎との出会いや今に至るまでの経緯を話す。

 最初は訝し気に聞いていた滝だったが、松野の話が進むにつれ、段々前のめりになっていく。


「そんな漫画みたいな事って、本当に起こるんだなぁ…。しかも、明日から正式にベビーシッターになると…」


 「は~…」としみじみと言いながら、滝はワクワクと目を輝かせる。


「ほんと、嘘みたいですよね」


 「ははっ」と笑う松野に、滝もうんうんと頷く。しかし、滝の楽しそうな顔にふと影がさし、寂しそうに口を開く。


「いやぁ…。松野さん、会社辞めて暇だろうから、一緒にゴルフとかサーフィン行きたいな~って思ってたんだけど…残念だな」

「!すみません…」


 大きな体をしょんぼりと項垂れさせている。そんな姿が目に浮かび、松野は慌てて頭を下げる。


「あ~、いやっ、申し訳ない!良い事だよ。松野さん、まだ50代でしょ?隠居するには早いし、働けるうちは働かないと!…て言っても、松野さん、有り余る程お金持ってるだろうけど」

「いやいやいや!滝さんにはかないませんよ!」

「そんな事ないよ。僕は結構使っちゃうからね~、多分7億くらいじゃない?松野さん、この2倍は貯金あるでしょ?」

「……」

「アッハッハッハ!松野さんは素直だなぁ~。大阪でも、頑張ってね」

「…ありがとうございます、滝さん」


 滝の温かい声援に、松野は自然と目尻を細める。


「そう言えば、金子さんも鈴木さんも、松野さんのこと凄く心配してたよ。時間があるなら、電話してあげてくれない?」

「!分かりました!すぐにします」


 「じゃあ、また電話するね」と言う滝にお礼を言うと、松野は通話終了ボタンを押した。

 滝と話したのは、30分程度。だけど、物凄い多幸感が胸を占めている。


 自分にも応援してくれる仲間がいるんだ。

 そう思ったら、今すぐ声を聞きたい――そんな衝動に駆られて。


 松野はアドレス帳を開くと、下へとスクロールしていく。そして“金子”と書かれた名前をタップすると、電話番号を押した。プル…とワンコール鳴って、すぐに「はい!」と声がする。


「えっ!?松!?」

「そうです。すみません、金子さん。ご心配おかけし…」

「松だ~~~!」


 特徴的なまん丸の鼻の穴を膨らませた金子は、出先にも関わらず素っ頓狂な声を上げる。


「おいおい松~!めちゃくちゃ心配したんだぞ~!」

「!そうですよね。本っっ当にすみません!」

「それにさ!見たよ、週刊誌!あれ、本当なの?」

「はい、実は―――」

「え~~~~~っ!!!」


 ビリビリとスピーカーを震わせる金子のオーバーリアクションに、松野は「うるさいなぁ」と言いながら笑う。


「ちょっとさ、俺、今時間無いから、後でかけ直すわ!その時もっと詳しく教えてくれる?」

「分かりました!」

「じゃ!」


 ブツッと勢い良く切れた電話に、この人は変わらないなぁ…と、松野は微笑む。


 その後もお世話になった人達に電話をかけ続け、松野は何度も頭を下げる。

 励まされたり、怒られたり、大声で笑いあったりしながら。

 久々の会話を楽しむうちに、あっという間に時間が過ぎていった。


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