第12話 挑戦・1
肉々しいソーセージが、ジュワ~と油を弾きながら美味しそうな焦げ目を纏っていく。食欲をそそる燻製の香りに「ぐぅ~…」とお腹を鳴らしつつ、松野は重たい瞼を人差し指で擦った。
あの後寝付くまでに時間がかかってしまい、結局眠れたのは4時近く。15回目のアラームで何とか起きれたものの、抜けない眠気がずっと瞼を下ろそうとしてくる。
――…なんで浜ヶ崎、あんな余裕そうに仕事してるんやろ…。
自分は眠くて堪らないのに、浜ヶ崎はピシッとワイシャツを着てパソコンを開いている。いつもと変わらない姿を見ていると、あの時間は夢だったんじゃないかと思えてくる。
龍二は朝食作り、吟は洗濯…と、各々の仕事をテキパキと熟す中、黒い無地のロングTシャツに緩めのジーンズを履いた松野は、膝の上で遊ぶ春の頭を撫でながら、大きな欠伸を噛み殺す。
「あっれ~~~?」
ベランダで洗濯物を干し終えた吟が、片手で扉を閉めながらスマートフォンに目を落とす。
「お嬢に朝飯食べるか聞いてるんっすけど、ずーっと既読無視状態ですわ」
いつもなら6時半には「起きたよ」と連絡が来て、朝ご飯を食べるか否かのやり取りをするのだが。
「もう7時半になるのに…まだ寝てるんですかねぇ?」
鋭くセットされたソフトモヒカンをポリポリと掻きながら、吟は糸目を不思議そうに瞬かせる。
「……昨日の朝は『明日も食べにくる』って言ってたけど…お嬢から何か聞いてるか?」
ソーセージを5つのお皿に盛りつけて、龍二が目線だけを吟に向ける。しかし、「いや、何も聞いてないっす」と吟は首を振る。戸惑う二人のやり取りを見て、松野は春を撫でる手を止める。
――…もしかして、雪が来ないのは俺のせいなんかな…。俺のせいで、父親に怒られたから…。
「……」
深夜の浜ヶ崎との会話を思い出し、松野は責任を感じて視線を彷徨わせる。
その松野の不安そうな姿を、浜ヶ崎は上目でチラリと見る。そして、「はぁ~…」と面倒臭そうに息を吐くと、パソコンを閉じ、テーブルに置いていたスマートフォンを手に取った。
「…ちょっと雪のとこ行ってくるわ。先に皆で飯食っといてくれ」
首を回しながら立ちあがり、ドスドスと大きな足音をたてて玄関に向かっていく。
「分かりやした!」
吟が後ろをちょこちょこついて行き、明るい声で送り出す。それに手を上げて返事をすると、浜ヶ崎はドアをパタンと閉めた。
「は~、お腹減りやしたねぇ~!」
スキップしながら戻ってきた吟に、龍二はチッと舌打ちをする。
――親父の反応を見たら、昨日のお嬢との話がうまくいかなかった事は一目瞭然なのに…なんでこいつは気付かずにヘラヘラしてんねん…。
「…おい、吟。皿運べ」
龍二は吟を鋭く睨み、顎で指示を出す。しかし、吟は「へいっ!」と笑顔で言うと、鼻歌を歌いながらトーストが乗ったお皿を運んでいく。
「!?」
「こいつっ…何でこんなに空気読めへんねん!」「クソが!」「親父がこいつの事気に入ってなきゃすぐに追い出すのに…!」――と、モヤモヤと膨らんでいく怒りが、龍二の奥歯をギリッと鳴らす。
「…チィッ!!」
「!?」
唐突に吐き出された舌打ち――否、叫びに、松野はビクゥッ!と肩を揺らす。
「ばう~?」
「ご、ごめんなぁ、春」
大きな揺れに驚いた春が、自分の指を食べながら松野を見る。春の顔を覗きこみ、ぷにっと膨れたほっぺをつつく。すると、松野の指がぬるっと頬を滑った。
「うわっ!あぁ!春、涎凄かったんやな!はよ拭かんと」
「あう~」
松野はキョロキョロと辺りを見渡して、ソファのひじ掛けに置いてあったガーゼに手を伸ばす。濡れた頬や顎をポンポンと拭いながら、キッチンとテーブルを行き来する吟に声をかける。
「吟、春って起きてすぐにミルク飲んでるよな?」
「へい!200ml作りやした」
「そうかぁ…。なんか、しょっちゅう口もぐもぐさせてる気ぃするし、もう少し量増やしてみても良いかもなぁ…」
松野は首を傾げながら言うと、ポケットからスマートフォンを取り出した。“6か月 ミルクの量”と入力し、検索する。
「…生後半年だと220でもええみたいやな」
「じゃ、次220にしてみますか?」
「そうやな。そうしてみよか」
画面を見ながら、ふむふむ…と頷く松野に、吟もキッチンで相槌を打つ。すっかり子煩悩な雰囲気を醸し出す吟を龍二は横目で見ると、コンソメスープが入った器を持ちテーブルに運んだ。
――…あっ…坊ちゃんのお茶が無くなってる。
ちょこんとテーブルに置かれた春のマグ。その中に入っていた麦茶が、殆ど無くなっている。龍二はマグを手に取ると、もう一度キッチンへ戻る。そして、赤ちゃん用の麦茶をマグに足すと、おもちゃで遊んでいる春に近寄った。春の目の前で龍二は膝を付く。そのまま勢い良くマグを突き出しそうになって、ハッと松野の助言を思い出した。
“春は大きな声や雑な仕草を好まない。”
その有り難い教えを、龍二は頭の中で念入りに復唱する。一度深呼吸をして心を整えると、
「……坊ちゃん、どうぞ」
と控えめに言い、そっとマグを差し出した。
――受け取ってもらえるとええけど…。
龍二は緊張の面持ちで、春の反応を見つめる。すると、春はパッとマグを取り、美味しそうにお茶を飲み始めた。
「!」
――ぼ、坊ちゃんが受け取ってくれた…!
普段、動揺する事がない男の目にパァァッと明るい光が宿る。
春が素直に龍二に応えてくれたのはこれが初めてだ。
「坊ちゃん…!」
もしかしたら仲良くなれるかも…と、期待に満ちた目で春を見る。
強面で冷徹なイメージを抱かれがちな龍二だが、実は赤ちゃんや子供が大好きだった。
春は家族以外の人間が嫌いなんだと思っていたし、仕事が忙しいのもあり、しょうがなく吟にお世話を任せていたが…本当は、自分もお世話をしたいと思っていた。
――接し方にさえ気を付ければ、俺も…。
龍二はドキドキしながら、春の頭に手を乗せてみる。しかし、その手が少し重かったようで、春はムッと唇を突きだすと、ペシン!と龍二の手を振り払った。
「!!!」
「あ~あ~、ダメですよ兄貴!坊ちゃんを撫でる時はこうですよ~!」
宙に手を浮かせて固まる龍二の横で、花に触れるような繊細な手つきで、吟が春を撫でてみせる。「ほら~」と嬉しそうに言う吟の声が、ショックを受ける龍二の癇に障る。
――…畜生…俺の方が坊ちゃんの事好きなのに、何でこいつの方が…!
龍二は悔しそうにグッと奥歯を噛み締める。
「ほら見て下さいよ~、こん…ぶふっ!」
「うるせぇ!!さっさと朝飯食え!」
龍二は吟の鼻先に自分の鼻をくっつけて啖呵を切る。そして、フンッ!とそっぽを向くと、テーブルに着き、熱々のトーストに噛り付いた。
「えぇーっ…」
何で今、怒られたんだ?と、糸目をしょんぼりさせる吟に、松野は苦笑する。何となく龍二の気持ちを察して。とは言え、こちらがどうにかしてあげられる問題ではないので、そこは龍二自身に頑張ってもらうしかない。今は理不尽に怒りをぶつけられた吟を励ましてあげないと。
「吟、温かいうちに俺らも食べよう」
「はぁ…」
ぽん、と優しく肩を叩くと、吟は渋々龍二の隣に座る。
松野は吟の向かい側に座ると、春を赤ちゃん用のローチェアに乗せておもちゃを渡した。
「いただきます」
と、二人で両手を合わせ、ご飯を食べ始める。
力なくスープに口を付ける吟だったが、啜った瞬間、ふわっと口の中に広がる野菜の甘味にみるみる顔を輝かせていく。
「う、うめ~~~~!!」
「うるせぇ!テメェは何回も飲んだ事あるだろうが!」
「店出せますよ!兄貴!うちのシマで店やりましょうよ!」
「……」
興奮してブンブン腕を揺らしてくる吟を、龍二はうんざりした顔でシカトする。しかし、冷たくあしらわれても全く気にしない吟は「うまいうまい」と言いながらスープを飲み干していく。
――チッ…親父が居ないとペラペラしゃべりやがって…。
食事中は無駄話をしないのがルールなのに。組長が居ないとすぐに気を抜くから腹が立つ。
「さっさと食え!」
「へい!」
カッ!と目を見開いて怒るも、吟は元気良く頷く。
そんな二人を見て、
――なんやかんや言うても仲がええんやな~。
と、松野は微笑ましそうに笑った。
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