第16話 化かされている、だなんて

 樟葉とじゃれている間、裕翔と桜華の会話は有栖にもしっかり聞こえていた。


「化かされている…?」


 誰が、誰に。


 桜華が気付いた、ということは、何かしらの術でも関係しているのだろうか。

 だが、裕翔は九尾狐の異能が使えるのだから、そうそう簡単に化かされるだなんて思えない。

 しかも言葉の響きとしては『操られる』とか『洗脳』ではなくて、『化かされる』だから、恐らく己の血縁にではないだろうか。


 裕翔の母や父が裕翔を洗脳するわけがない、多分。

 洗脳したところで、何かを得するとか、あるいは損することなんてないのだから。


 では、誰なのだろう。


「うーん…」


 考えてもすぐに答えなんか出てくるわけはない。むしろ有栖が考える必要なんか、ない。


「私、どうして…」


 あの人に関わらない、って決めたのに話しかけたんだろう。

 心の中で問いかけても、答えなんかない。

 有栖の部屋の中、人をダメにするクッションにもふ、と座ってから蹲るようにして膝を抱えていると、バランスを崩してからそのままこてりと横に倒れた。


「…今までと、おんなじ。無視しておけば、きっといつか離れる」


 桜華は今、たまたまここにいないから、いくらでも独り言を言い続けられる。


「……会いたい」


 幼い頃、たった一度だけ会った、初恋の男の子。


『またね、ありすちゃん』


 あの日、親戚に悪口を言われてしまって落ち込んでいた有栖の隣に座って、声をかけてくれた優しい男の子。


『悪口って、言った人にそのまま返るらしいよ。だからさ、いつかその人にはバチが当たる』

『……そんなにつごうよく、いかないもん』


 ぶす、と拗ねた有栖の頭をよしよしと撫でてくれて、笑いかけてくれた。

 桜華や樟葉、両親、祖父母と家にいる使用人以外であんなにも笑いかけてくれたのは、あの人が初めてだった。


「名前、なんだっけ…」


 大好きだったあの人の名前は思い出せないけれど、笑いかけてくれた笑顔だけは覚えている。


「どこで会ったんだったかな…。うちだっけ…?」


 いやでも、とまた考え始める。

 そしてはっと我に返って、ごろりと転がった。


「化かされるとかどうとかの話から、何で私は初恋のあの人のこと思い出してんの…!」


 ええいもう!と人をダメにするクッションをもすもすと殴っても、形が変わるだけ。

 むしろ有栖が転がったことで、クッションからころり、と落ちてしまったのでもう一度体勢を元に戻した。


「阿賀、裕翔、さん」


 玲の兄で、開口一番に有栖を罵ってきたひと。

 だが、玲の話を聞く限りでは、玲に対してはとても優しいらしい。


「うちのおにいと似たような感じかなぁ…?」


 有栖の兄樟葉も、有栖に限ったことではあるが、とてつもなく甘くて優しい。

 裕翔にお茶をかけられたあの日、手土産、と言いながら有栖の好きなケーキ屋さんのケーキをあれこれ買ってきてくれたり、学校からの帰りも一緒だった。

 更には晩ご飯のおかずだって、普段は有栖と樟葉、交互に母に聞いているのに『色々あったししばらく有栖の好きなもん作ってやってくれ』と言っていたらしい。


「いや、おにいは食べ物で私のご機嫌取れると思ってない?!」


 半分あたり、半分はずれ。


 だが、結果的に有栖は割と早めに元気になれた。有栖が食いしん坊だったのも幸いした、といっても過言ではないが、それだけ有栖の性格を熟知していてくれて、尚且つ気を回してくれているからだ。


「おのれ…おにいめ…」


 兄の優しさは、きっと結婚する玲に向けられていくに違いない。


「(そう、だから)」


 翡翠眼には、あんなタイミングで発現なんかしてほしくなかったのだ。


 兄には、玲には、家族には…幸せになってもらいたい。

 で幸せになれるのだから、生死は問わないのではないだろうか。


 じく、と有栖の思考回路が黒くなる。


「(翡翠眼は……)」


 いや、もしかしたら生死は問われるかもしれない。だが、いるだけで幸せになれるのならば、だけでも良いのではないのだろうか。


「こんな考えするのが、馬鹿げてるなんて…分かってる」


 独り言は、どこまでも部屋の中の空気に溶けていく。


 お荷物である自分は、もう十分すぎるほどの幸せを貰っている。

 両親からも、兄からも、友達からだって、めいっぱい幸せにしてもらっているのだから、最後くらいは自分の番になってもいいだろう。


 そこまで思って、有栖は胸にひたりと手を当てた。


 とくん、とくん、と脈打つ鼓動の他に、もう一つの規則的な鼓動を感じた。

 母親が、有栖の命を最優先に考えた結果として施してくれた封印。

 体が出来上がっていくと、体の中を巡る力も少しづつ大きくなっていく。そうして、一定を超える度に封印が解除されていき、最終的に全ての封印が解除されれば、翡翠眼は完全になる。


 恐らく、有栖が生きている限り、有栖に対しての幸福と、有栖の周りに対しての幸福をまき散らしてくれるものとなる。

 更には、有栖の使える異能の大きさも桁違いとなるだろう。


「ねぇ……どうして、私だったのかな

 」


 答えは、返ってなどくるはずもない。

 どうして自分に宿ったのか、なんて聞いたところで分かるわけもないのだが、いつも『どうして自分が』とは思い続けている。


「姫様ー!」

「あ、桜華おかえり。どこ行ってたの?」

「姫様のお母上のところに」


 桜華が敵対心を剥き出しにしない相手の一人が、有栖の母。

 たまに來未に呼ばれてふらりと出かけることもあるが、基本的には有栖最優先なので桜華はすぐに帰ってくる。

 今回も出かけていた時間は凡そ三十分程度ではあるものの、戻ったら有栖の所にまっしぐら、というわけだ。


「うちのお母さんが何て?」

「うむ。ほれ、姫様に暴言吐いたあのクソガキ」

「桜華、口が悪い」

「……こほん。阿賀の跡取りじゃが」

「うん」

「姫様への悪口というか、向けてくる意識がどうにも気持ち悪かったのでな。すこぉし來未殿に調査をしてもらっておったのじゃ」


 意外だな、と思ったが、桜華はにっこり笑って続きを言う。


「己の力を過信して洗脳…もとい、化かされたひ弱な男子なぞどうでも良いんじゃが…次期当主がそれでは困る。それともう一つ困りごとが出来てしまってな」

「え」


 裕翔に関しては基本的にボロくそ言ってから、桜華の笑顔がほんの少しだけ曇る。

 あ、これはきっとロクなことにならないのでは、と有栖は嫌な予感がしたが、それは見事に的中することとなる。


「阿賀の老いぼれども、姫様のことを即座に嗅ぎつけおった」

「玲のおじいさんと…おばあさん?」

「うむ。姫様、阿賀の跡取りがあれらに色々吹き込まれていた、ということは何となく聞いたか?」

「え、と…」


 本当に何となく、でしか聞いていない。

 有栖の拒絶具合に玲が配慮してくれた、というところもあるのだが、有栖が聞く耳持っていなかったことが加えられるから、ほぼ『聞いてない』が政界かもしれない。

 途端に目が泳ぎ始めた有栖を見て、まぁ仕方ないか、と苦笑いを浮かべた桜華は、分かりやすく簡潔に、を心がけて続きを話した。


「姫様に質問じゃ。どうしてあの爺と婆を気にすると思う?」

「どうして、って…先代様、だから?」

「異能は受け継がれれば、どうなる」

「どう、って…」


 基本的に、異能は次世代に引き継がれた場合、引き継ぎ主から力はほとんど無くなる。否、全く無くなる、と言っても過言ではない。

 だが、ほんの少しだけ阿賀家は違うのだ。


「あれ…?」

「姫様、先代がどうして次世代の当主教育をしておるのか、?」

「……経験があるから、それで……?」

「今まさに経験を積んでおる当代当主がおるのに、か?」


 あ、と呟いて有栖は自分の口を自分の手でぱっと塞いだ。


 どうしてここまで違和感がなかったのか?


「え、ちょっと、嫌だ…」


 皆、もしかしたら……いいや、ほぼ間違いなく、彼らの術にはめられていたのかも、しれない。

 黙っているつもりだったことが、筒抜けで、何もかも知られていたのなら。

 有栖の行動も、当代当主の何もかもも、全てが筒抜けだったとしたら。

 そもそも、全てが最初から仕組まれていたもので、皆がお人形のように操られていたとしたら。


 嫌なピースが、ぱちりぱちり、と当てはまっていく。


「…人を、何だと思ってるの…」


 怒りよりも、恐怖が湧き上がり、有栖は己の体をぎゅう、と抱き締めた。

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お狐様と翡翠の少女 @minatokikyo

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