第9話 やり直したいけどそもそもそれって…

「さて、裕翔くんはこれからどうするのかな?」

「どう、って…」


 改めて全員が席に座り直し、一成は真っ直ぐに裕翔を見据えた。

 どうするのか、というのは当たり前だが有栖とのこれから。普通に考えてみれば、婚約を解消してしまえばもう関わらせたくないということが親としての本音。

 既に関わらせたくないから、婚約自体は解消する気満々の一成と來未だが、どういう風な出方をしてくるかによっては、砺波と阿賀の交流さえもなくなってくる。


「まぁ、有栖と裕翔くんの婚約は解消しましょうね」

「えっ?!」

「え?」


 來未の言葉にぎょっとした声を上げたのは裕翔。あれだけ酷い言葉を散々ぶつけたのに、まさかこれからも婚約関係が続くと思っていたのだろうか、と思い來未は訝しげな顔になる。


「あの…裕翔くん。どうしてそんな反応なの?」

「…い、いや、だって…。そんなに、簡単に…」


 毒ともいえる祖父母の言葉を信じきって、有栖に対して暴言しか吐いていない今の裕翔ならば、まず有栖に間違いなく拒絶されることは目に見えている。

 付け加えて、対話をしようにもその機会があるのかどうかも危うい。

 裕翔は有栖に今まで拒絶をされたことはない、というよりもそこまで会話ができていない。だから、有栖に否定されるとか、拒絶されるとか言われてもあまりピンと来ていないのだ。


「話せば、どうにか…」

「ならねぇから言ってんだよ、分かれバーカ」

「ば、バカって何だよ?!」

「そうよ、お兄ちゃんは有栖のあのガン無視を知らないからそんなこと言えるのよ」

「樟葉はともかく玲まで?!」


 樟葉と玲、二人からズバズバと言われ、ギョッとする裕翔だが、來未や一成もうんうん、と頷いているのを見て、これまたじわじわと理解を始める。


 元々、裕翔はきちんと人の話も聞くし、理解能力も高い。

 だが、その反面で思い込んだら一直線に突っ走ってしまうという悪い癖もある。良いところでもあるのだが、今回は完全に悪い方へと作用してしまったのだ。


「有栖のガン無視、結構な怖さよ」

「え」

「歴代いじめっ子は、軒並み空気以下の扱いしてやがるからな、アイツ」

「……え」


 これは、本当にまずい。

 裕翔の表情から察してくれた一成は、ふむ、と呟いてから玲と樟葉双方に視線をやった。


「一旦裕翔くんには心を整理してもらうとして…玲ちゃんは樟葉をどう思うかな?」

「へ?」


 きょとんとしてしまった玲を見て、一成は安心してもらおうと柔らかく微笑んだ。


「今どき、婚約者がどうとか、家柄がどうとか古くさいことをしている自覚は、僕たちにだってあるんだ。だけど、君が嫌なら婚約とかそもそも無かったことにだってできる」


 微笑んでいるけれど、一成の目は真剣そのもの。

 どうしたものかと、玲は恐る恐る樟葉へと視線をやってみると、思いのほか優しい目をしていた。


「え、っと」

「顔合わせは何回もしているし、樟葉と玲ちゃんは有栖も入れて、三人で平和に遊んでいたからね」


 思いもよらないところで一成の言葉のトゲがざっくりと突き刺さるが、これもまた本当のことなので裕翔は何も言えずにしょんぼりとしている。


「裕翔、今更落ち込んでもあなたのやらかしは消えないの。受け入れなさい」

「……はい」


 文佳に改めてピシャリと言われてしまい、がっくりと項垂れる裕翔。

 基本的に悪い人ではないからこそ、祖父母の言葉に毒されなければ本当の意味で、良き縁が結べただろうに、と來未が思っていると、ばっと裕翔が顔を上げた。


「っ、あの!」

「何?」

「僕と、有栖の婚約を…解消しないでください!」

「駄目」


 思いがけない裕翔の必死な言葉は、來未と一成によって秒も掛からずに綺麗にハモリながら、却下されてしまった。

 更に、裕翔には二人から追撃の言葉が続く。


「まずひとつ。あそこまで有栖にやらかしたんなら、自分から傷口を広げにいく必要はないと思うの」

「それからもうひとつ。少しの間に、裕翔くん自身の目で有栖のことを見てごらん」

「有栖、のことを…」

「おい」


 呟いた裕翔の頭を、体を乗り出した樟葉が思いきり叩いた。


「いっった!何なんだよお前は!」

「有栖を呼び捨てにして良い許可は出してねぇぞ、駄狐」

「だ、だ、駄狐?!お、お前な!」

「人の妹を散々バカにして罵ってお茶までぶっかけて、自分の常識とか考え方が間違ってたかもしれない、ってやっと思い始めた程度の駄狐を、どうして妹と関わらせたいと思うんだ。あぁ?」


 ヤクザ真っ青のメンチの切り具合に、こいつ本当に僕の友達か…?と思わず考えてしまった裕翔だが、如何せん今の樟葉はシスコン丸出しなのだ。

 そして目の前にいるのは有栖を散々コケにした己の親友。

 そりゃもう樟葉には裕翔への敵対心しかないだろう、と言わんばかりの樟葉の様子を見ていた玲は一人でうん、と頷く。


「おじさま、私と樟葉さんの婚約は、樟葉さんさえ良ければそのまま継続してください」


 思いがけない台詞が玲から聞こえ、今まさに口喧嘩をしようとしていた二人の動きがぴたりと止まる。


「樟葉、お前は?」

「え、と…俺も、問題ない、が…本当にいいのか?」


 そう問い掛けてくる樟葉に対して、玲は笑顔で頷いてみせた。


「はい。私は、樟葉さんが良いんです」


 何がそんなに嬉しいのかは分からないが、玲がいいと言うのならば、と樟葉は頷く。


 有栖のことにしてもそうだが、樟葉と玲は実はとても気が合うのだ。

 読書をしていても読んでいる本が似ていたり、好きな食べ物が同じだったり、行動し始めるタイミングが同じだったり。

 玲としては断る理由もないし、むしろ大歓迎。何なら兄から有栖を守るために牽制もできる立場になれる!と思って、婚約解消をするだなんて思ってもいなかったらしい。


「というわけで、私の方はよろしくお願いします。樟葉さん」

「あぁ、こちらこそよろしく頼む。…えぇと」

「玲、と呼び捨ててお願いします」

「分かった、玲」


 二人のやり取りを見ていた裕翔は、羨ましいなと思う一方で、『有栖がもっと能力があれば…』と思ってしまうが、有栖自体は能力がないわけではない。

 能力もある上に、翡翠眼を持ち合わせているのだが、裕翔の祖父母は肝心なところを諸々すっ飛ばして裕翔に対してマイナスにしかならないような感情を植え付けていたことで、この最悪な状況を生み出してしまっている。


 というか、まさかこいつは…と樟葉は頬を引き攣らせながら、ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくりと裕翔へと視線をやった。


「お前、そもそもだが……有栖の釣書、読んでるんだろうな?」

「へ?」

「嘘でしょお兄ちゃん……」

「裕翔、あなた……」

「お前なぁ……」


 阿賀家の面々はがっくりとうなだれ、まさかここまで拗らせているとは、と盛大な溜息を吐く。

 それを聞いた砺波家の面々も、頭を押さえつつ困ったような顔になる。


「裕翔……もう何か、駄目だろうお前……」

「やばい、かな…」

「どうしてヤバいと思えないのか、っていうくらいにはヤバいわよ」


 最後の最後、さっくりと玲にトドメを刺された裕翔は、言葉通り頭を抱えてしまった。

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