第8話 怒り心頭
そうだ、覚えているわけなんかないんだ。
だって『覚えていてほしい』と願ったのは有栖だけれど、あくまで有栖の一方的な思い。そしてワガママ。
一足先にタクシーで帰り、有栖の姿を見た古くからの使用人に『お嬢様!』と悲鳴を上げられた。セットされていた髪がぐしゃぐしゃになり、有栖も涙を零しながら帰ってきたのだ。
しかも古くからの使用人だから、有栖を子供のように可愛がってもくれていた人だから、尚のこと、悲鳴をあげるのは当たり前だろう。
慌てて祖母が呼ばれ、ぎゅうっと抱き締められた。
悔しそうにしている祖母に申し訳ない気持ちが膨れ上がり、有栖はしょんぼりとして頭を下げた。
「おばあちゃん、ごめんね」
「どうしてあなたが謝る必要があるの…!あぁ…有栖、どうしたの、何があったの…?」
「え、と…」
有栖は、裕翔にされたことを祖母に説明した。吐かれた暴言までは言わず、あくまで『何をされたのか』だけを伝えた。
「なんてことなの…」
はぁ、とため息を吐いている祖母を見て、有栖はいたたまれない気持ちが大きくなっていく。大好きな祖母に、こんな顔をさせてしまったことが申し訳なくて、そしてせっかくの着物が台無しになってしまったし、結ってもらっていた髪もよれてしまっている。
「…ごめん、なさい…」
「有栖は悪くないわ、だからもう謝らないで。まずは着替えていらっしゃいな、おばあちゃんとお茶しましょう?」
「…うん」
気遣ってくれる祖母の優しさに、有栖は今は甘えることにした。
きっと、あの会場では玲と樟葉の婚約の話が恙なくすすんでいることだろう。そう思って、自室に向かった有栖だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お兄ちゃん、ほんっと最低…」
玲はようやく話せるくらいに落ち着いてきているものの、先ほどまで玲はずっと泣きながら樟葉や有栖の両親に謝り続けていた。
そして、裕翔もようやく自分のやらかしたことの大きさを理解してきたらしく、真っ青になっているが、目の奥には自分は悪くないという色がある。
「…玲さんが謝ることじゃないわ」
來未は小さくため息を吐いて、呆れたような目を廉也と文佳に向けている。
自分の失態=家の恥。
こうまでならないと理解しない裕翔も裕翔だが、何か原因があるような気がしていた來未は文佳へ視線をやった。
「ふみちゃん、どういうこと?」
「もしかしたら…だけど、うちのおじいちゃんとおばあちゃんのせい、かも…」
バツの悪そうな顔で文佳は言って、廉也と顔を見合わせた。
恐らく間違いないだろうと察していた廉也は、深々と樟葉と來未に対して頭を下げる。
「うちの親の偏った思考回路のせいだ。しかし、それを信じ切った裕翔にも責任はあると思っている。…俺たちの子育てに協力してくれているとばかり思っていて、信じていたんだけど…その考えが甘かったみたいだ」
責任はある、という言葉に裕翔の顔は強張る。
そうだ、確かに責任はあるのだが、祖父母の言葉はいつだって正しかった。玲が生まれるときだって、補助術を使わせたらとんでもない才能を発揮する、愛らしい女の子が生まれるし、裕翔や樟葉の力とも相性がとてもいいんだよ、と言ってくれていた祖母の微笑みはとても温かかったから、信じないという選択肢は幼い裕翔にはなかった。
「…だ、って…じいちゃんとばあちゃんの言うことは全部合っていた、から…」
「狐の異能を使えばそれくらい簡単だろうな。お前の祖父母は『妖狐』と言われていたくらいに、術の使用に関してずば抜けた才を発揮していた、と聞いているが」
「う、っ」
「……お兄ちゃん、ほんっと最低……。おじいちゃんとおばあちゃんの言うことを真に受けて、疑いもせずに有栖に対してあんなことをしたなんて……」
あちこちからトドメが刺されてくる。
しかし、裕翔にしてみれば、自分の至らなさなどを痛感させられる言葉ばかり。当主教育と称して祖父母の家への出入りが多かった裕翔は、彼らの言葉は絶対だと言わんばかりに妄信していた。
有栖のこともそうだ。
「砺波のハズレがゆうちゃんの婚約者だなんて、おばあちゃんはとても心配だわ…」
「そうだな、裕翔にはもっと良い家柄で、そして優れた異能の使い手の嫁が相応しいというのに、あ奴らは勝手なことをしおってからに…」
裕翔の祖父母は、裕翔に幼い頃から常日頃このような言葉を聞かせていたため、刷り込み教育のように、裕翔自身も『有栖が婚約者だなんて自分は何て不幸なんだ』と思っていたのだから。
婚約が決まった時の、あの幼かったころの顔合わせでも酷い言葉をぶつけてしまった。更に今日のことで間違いなく有栖の心にはとどめを刺してしまっただろう。
「裕翔くんの置かれていた状況は分かったけど…最悪ねぇ」
場違いな程のほほんとした來未の声に、樟葉も玲もぎょっとする。どういうことか、と母を見た樟葉に対して、來未は困ったように言葉を続けた。
「だって、ああなった有栖って完全拒絶に入っちゃうから…。それに、裕翔くんの置かれていた状況をどうやって良い方向に持っていくとしてもね…、十八歳にもなる男の子が、祖父母の意見にばかり耳を傾けて、両親の言葉に耳を貸していなかったこともそうだし、玲ちゃんの言葉も聞いていなかった…だなんて」
どす、ざく、と裕翔の心に容赦なく突き刺さる來未の言葉に、反論なんかできるわけない。
仰る通りです…と聞こえてきたか細い裕翔の声にも、更に容赦することなく來未は続ける。
「さっきも言ったけどね、有栖に対して出来損ない、っていう言葉をぶつける人になんか、有栖を嫁がせたくないの。これは私の本心よ」
母親としての厳しい言葉だが、当たり前だろうと思う。娘にとんでもない無礼な発言をし、心を傷つけた奴になんか、どうして嫁がせたいと思うのだろうか。
「すみま、せん」
「今更でしょう。それに、あなたのその謝罪は、誰のため?」
また更に、裕翔の心に突き刺さった言葉。
「謝れば良いというものでもないの。それにね、やった後で謝るくらいなら」
裕翔が恐る恐る來未を見る。
「最初から、そもそもしないでちょうだい」
真剣そのものの顔、声で來未は言いきった。
言われて当然だ。
「…っ」
しん、と静まり返った部屋の扉を開ける音がして、とても明るい声が聞こえてきた。
「お待たせしまし……あれぇ?」
扉を開けて入ってきたのは、砺波 一成。
有栖の父親で、入り婿ながらに砺波の経営に携わっているなかなかの切れ者。温厚ながらにも言うことはずばっという性格だから、とても來未と相性がいい。
そして、有栖を溺愛している娘馬鹿な父親、という一面も併せ持っている。
「有栖は?」
「それがね…」
困ったような顔をしている來未と、真っ青な裕翔。
廉也と文佳は、困った顔しかしていないし、玲は泣きすぎて目が腫れあがっているし、樟葉は何とも言えない顔をしている。
少なくとも、これはめでたい席の空気ではないな、と察した一成は、裕翔に視線をやって、問いかけた。
「裕翔くん、何したのかな?」
「……っ!」
言い知れぬ迫力の一成に、思わず震え上がった裕翔だが、答えないと恐らく痛い目を見ることは間違いない。
裕翔は意を決して、おずおずながらも答えた。
「…有栖、さんに…その、暴言を吐いて…お茶を」
「は?」
一成の温厚な笑みが家出をした瞬間というものを、裕翔は初めて見たのだが迫力は段違いだった。
笑顔で凄まれても迫力があるのだが、今の一成の迫力はそんなものの比ではない。
ぽん、と肩に手を置かれた裕翔は、ひゅっと奇妙な呼吸をしてしまった。いつもなら『大丈夫か』と声をかけてくれる優しい樟葉は生憎不在で、代わりにここにいるのはシスコンの樟葉なのだから。
「そうか、つまり君も同じことをされていいんだな。うん、分かったよ」
先ほどの凄みは消えたのだが、今、さらりととんでも無いことを言わなかったか!?と裕翔の目が語っているが、恐らくこの場で味方になってくれる人なんて、いるわけがない。
「裕翔くん、君がしたこと、言ったことをこれからやり返して良いかな?」
本格的に、マズい。
思ったところで、今の状況を打破使用をしても課題が山積みなのだから、もうあきらめてほしい。
裕翔に対して、『ご愁傷様』とだけは呟いた樟葉だった。
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