第6話 最悪の形

「ねぇ桜華。変なところ、ない?」

「姫様はいつでも愛らしい!」

「……ねぇ、おにい」

「髪飾りが曲がってるから直してやる」

「おい小童」

「ありがと、おにい」

「あぁっ、姫様!!」


 やいやいと言い合いながらも有栖、樟葉の準備は恙なく進んでいった。

 桜華に聞いてみても、そもそもの有栖贔屓がとてつもないので、おかしいところがあったとしても『それが姫様の良きところ!』と言い切ってしまうので、あんまり役に立たないな、とようやく有栖も自覚した。

 そして樟葉に簪を少し直してもらい、改めて鏡で角度や位置を確認してから、有栖もうん、と頷いた。


「しかし…姫様大丈夫かや?」

「ん、何が?」

「おい、桜華」

「万が一があったとしたら、わらわをすぐ呼べ。良いな、姫様」


 万が一、なんてあってほしくない。

 そう思うけれど、有栖は何だかずっと胸騒ぎがしていたから、遠慮がちながらも頷いてみせる。

 嫌な予感が当たらないでいてほしい、と思うけれどこういうときの有栖の予感はとてつもなく当たるから厄介だ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「あそこにいらっしゃるわね」


 どくん、と有栖の胸が鳴る。

 ときめきなんかではなく、緊張で吐きそうになってくる。大丈夫、ハズレと言われたあの日から時間も経っている。深呼吸して、落ち着いて、まずはきちんと挨拶をしよう。まずはそれからだし、それすらできない人に、相手が心を開いてくれるなんてありはしないのだから。

 そうやって自分に言い聞かせ、有栖は表面上、何でもないふうを装いながら、歩いていく。桜華の気配も近くにあるから、姿を消してついてきてくれているのだろう、と想像できた。

 心の中で、『ありがとう、桜華』とお礼を言うことは忘れない。

 勿論、兄の婚約のこともあるから、樟葉だっていてくれる。兄の婚約者は親友の玲だから、色んな意味で大丈夫なんだから、とまた、自分を落ち着かせる。

 顔合わせは、古くから付き合いのあるホテルで、ということになっている。お祝いの席や何かあった時の食事会も、ずっとここで、というくらいに贔屓にしているホテルだ。


「…よし」


 小さく呟いて入り、ロビーへと歩みを進めていくと、先に玲が気付いてくれて、小走りで駆け寄って来てくれる。


「有栖!」

「玲!」


 満面の笑顔で駆け寄り、ぎゅうっと抱き締めてくれる親友を、有栖もしっかりと抱き締め、つられたように嬉しそうに破顔した。


「有栖、すっごい着物綺麗!私、制服なんだから~」

「私も、制服が良かった…。そしたら玲とお揃だったのに」

「あら有栖、おばあちゃんがこれがいい、って言ってくれたのよ?」

「そうだけど…学生の正装は制服だって言うじゃない」


 有栖、と玲に何だかとても力強く呼ばれ、視線をやると真顔でがっちりと肩を掴まれてしまった。妙なことを言っただろうか、と少しびくびくしていると、ずい、と顔を近づけてこう言われてしまった。


「有栖は、着物似合うんだから、こういう時は着物で良いの!」

「えぇ…」

「おばさま、有栖の着物とっても可愛いです!」

「玲ちゃん、ありがとう。そう言ってもらえるとおばさん嬉しいわ」


 にこにこと上機嫌になった母と、自分をやたら褒めてくる親友。そしてちらりと兄に視線を移せば、うんうんと頷いているし、桜華は有栖にだけ聞こえるように『わらわの姫様はいつだって可愛いので!』と自信満々に言っている。

 お前もか、と思わず内心呟いたけれど、有栖はとても嬉しかった。ついついにやけてしまうほどに。


「えへへ」


 ふにゃ、と笑う有栖にまた玲が思いきり抱き着き、ぐりぐりと頬ずりをされ、くすぐったいやら、気恥ずかしいやら、とあれこれ考えていると、樟葉が立ち位置を変えて有栖を隠すように背に庇った。


「…おにい?」


 一体なにが、と思ったが、すぐに理由を察した。


「樟葉、課題は終わったか?」

「ああ」


 樟葉とやり取りをしている裕翔の、肩あたりがちらりと見えた。

 体格の良い樟葉だから、有栖を背に庇えばすっぽりと隠れてしまうほどの体格差があるため、今はたまたま見えていないようだ。

 心なしか、玲が有栖を抱きしめる腕の力も強くなったような気がする。


 大丈夫、怖くない。


 そう自分に言い聞かせながらも、玲の制服をぎゅっと掴んでしまい、心配そうな目を向けられた。

 うん、と頷いてタイミングを見て話しかけようとした矢先、玲の両親もこちらに歩いてきていた。

 勢ぞろいをしたところで、名残惜しいけれど玲は有栖から離れて自分の親のところに歩いていく。『あら、どうしたの』、『有栖に挨拶してたの』という会話が聞こえ、何とか平静を装って有栖は樟葉の背から顔を出し、玲の両親にぺこりと頭を下げた。


「おじさま、おばさま、ご無沙汰しております」

「まぁ有栖ちゃん!こんにちわ!」

「最近うちに遊びに来てないじゃないか、また今度おいで!」

「は、はい。ありがとうございます」


 玲の両親と有栖の両親は、学生時代からの友人同士ということで、とてつもなく仲が良い。

 有栖の能力のことも、話を聞いてからは『大丈夫だった?』と優しい言葉をかけてくれたのだが、ここで厳しい目をしている人が一人だけいる。

 玲の兄で、有栖の婚約者。阿賀 裕翔。

 悪いことをしているわけではないのだから、堂々と。そう思っていても無駄に厳しい目を向けられては、怖いものは怖い。


「裕翔、おめでたい席に何て顔してるの。有栖ちゃんが怖がるでしょう!」

「…玲にとっては、めでたい、の間違いではありませんかね」


 ざっくりと突き刺さる言葉の棘。

 ああ、やっぱり良くないことの予感だけは当たる。

 そう思った有栖だが、樟葉が一歩前に出て、裕翔の顔を思いきり平手で叩いた。


 ――バチン!


 結構な音が響き、皆が集合していたロビーが一瞬静かになる。


「お前の妹にとってめでたいかどうか、お前が決めるな。そして、そんなに嫌なら今この場で、婚約なんかそもそもなかったことにしろ、裕翔」


 何よりも鋭い正論が裕翔の心に思い切り突き刺さる。

 ぐ、と黙っているが悔しそうにしているものの、視線が有栖に向くことはない。

 期待をしなければ、悲しまなくて済む。自分に言い聞かせ、有栖は樟葉の背をぽん、と叩く。


「お兄ちゃん」


 外での呼び方で有栖は樟葉を呼び、その声と背中に感じた小さな手の感触に、樟葉ははっとして有栖の方を向く。


「人の目があるから…移動した方が良いよ。おじさま、おばさま、ごめんなさい」

「いや、悪いのはうちの裕翔だ」

「そういえば、今日は一成かずなりさんはいないのね、來未くみ

「ごめんなさい、どうしても抜けられない商談があるって。終わり次第来るから、それまで待ってもらえると助かるわ」


 砺波となみ 一成かずなりが有栖の父、母が來未くみ

 そして、阿賀あが 廉也れんやが玲の父、母が文佳ふみか


 この四人は学生時代に同じクラスだったことから、これまでとても良い友人同士なのだ。その関係にひびが入ってはいけないと、有栖はぎゅっと母の手を握る。


「お母さん、行こう?」

「そうね。予約しているから行きましょうか」


 両家の改めての顔合わせということで、和室の客室を昼間、予約しているのだ。そこならば個室にもなるし、食事もとれる。更にまったりもできるだろうという配慮もだが、一番は『揉めた場合にバレにくい』というのが理由でもある。

 ぞろぞろと両家の面々が歩き、ホテルの従業員に案内され、エレベーターに乗り、部屋へと誘導された。

 とても雰囲気の良い和室で、有栖は今度誕生日にここに泊まりたい、とおねだりしようと考えていたが、いざ対面して座るとそんな思考はどこかにすっ飛んで行った。


 そして、皆が座り、案内してくれた従業員がお茶を入れてくれてそれぞれに配膳してくれて、部屋を出て行ったことを確認してからの開口一番、裕翔はこう言った。


「先ほどから、君の力を少し探らせてもらっていたが…どうして樟葉の妹がお前なんだ、というくらいに貧相だな」

「裕翔!」


 怒り心頭の樟葉の声が、どこか遠くで聞こえたような気がした。

 有栖に付き添っている桜華も、とてつもなく怒っている。


「樟葉、本当のことを言って何が悪い」

「手を合わせてもいないてめぇが、有栖の何を分かった風に言うんだ!」

「読み取れる、九尾の異能を使えばね」

「てめぇ…っ」


 駄目だ、兄と裕翔の関係が悪くなってしまう。

 有栖は本能的にそう思って、樟葉の制服をぐっと引っ張った。


「いいよ、お兄ちゃん。…もう、良い」

「有栖!」

「有栖、良くないわ!お兄ちゃん、有栖に謝って!」

「何で僕が」

「裕翔!」


 そんなにも嫌なら、もっと早くにこうしていれば良かったのに、と有栖は來未に視線をやる。


「お母さん、私は良いから…お兄ちゃんと玲の儀式を進めてほしい」

「有栖、あなた…」

「もう、良い」

「ああ、そうしてくれ。僕だって、君なんかに触りたくない」


 遠慮なんかない言葉の棘が、容赦なく有栖を貫く。

 でも、これで良いんだ。裕翔このひとには、もっとお似合いの異能もちが現れるに違いないから、そう言い聞かせて、有栖は裕翔を真っ直ぐ見てから静かに言葉を続けた。


「婚約は、無かったことにしてください。その方が、きっと今後も良いはずです」

「……は?」


 何故だか、その言葉が裕翔の気に障ったようで、お茶の入った湯飲みをがっと掴み、中身を有栖へとぶちまけた。


「あつ、っ…!」

「お前如きが僕に指図するな、能無しの役立たず!」


 ぽた、ぽた。とお茶が着物に染み込んでいく。ごめんね、おばあちゃん。心の中で有栖は着物を選び、用意してくれた祖母に、必死に謝った。

 けれど、同時にこうも思った。

 良かった、これで泣いてもバレない、と。

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