第5話 前夜

 悶々とした気持ちのまま日々を過ごし、顔合わせ前日となってしまった。学校はもう終わって帰宅しているが、何を着るのかまだ決めていなかったために、夕食後に有栖は衣類部屋に引きずられてきてしまった。

 着物にするか、洋服にするか、と悩んでいた両親や祖父母だったのだが、桜華が姿を現し『姫様には着物じゃろ』としれっと言ったものだからまた張り切って振袖を出してきた。


「…桜華」

「てへ」

「なんなら制服で良いかも、って思ってたのに」

「いや、それは良くないぞ?姫様の愛らしさを引き立たせるためにはな!」

「汚れたらどうするのさ」

「汚れたら、手入れに出せば良いだけじゃ」


 にっこにこな桜華は、どうやら有栖の着物姿が見たかったらしい。

 着物を選んでいる祖母と母親の前に姿を見せ、あぁでもないこうでもない、と振袖、帯、帯締め、帯揚げ、とあれこれ引っ張り出してはわいわい騒いでいる。

 有栖にとって、明日の顔合わせで裕翔に会った時にどんな顔をされてしまうのか、幼い頃のようにまた『ハズレ』と言われてしまうのか。

 あるいは、さらに昔のことを覚えてくれていて、『あぁ、君か』と言ってくれるのか。


「(…覚えていて、ほしい)」


 幼い頃、びっくりして泣いてしまったけれど、あの時に『以前会っている!』とそれだけでも主張していたら……と有栖は少しだけ後悔するが、もう時は戻らない。


「姫様、姫様!」

「っえ?」


 桜華の声に、そちらを見ると目をキラキラと輝かせてブンブンと手を振っている。


「…えっと?」

「姫様、はようこちらに!」

「有栖、おいで」


 祖母にも呼ばれ、困惑しつつ近寄って見れば、艶やかな着物と、それに合わせた帯や小物などがずらりと揃えられていた。

 紺よりも明るいけれど落ち着いた濃碧の生地に、桜模様を刺繍や絵柄で施した振袖に、帯は黒地に銀糸を用いた綴れの帯。確か祖母が京都で一目惚れして購入してきた、とか何とか聞いたことがあるけれど、まさか一番最初に自分が締めることになるとは思っていなかった。

 それに合わせた帯締めは淡いクリーム色で、帯揚げも淡いクリーム色。着物と帯が落ち着いた雰囲気だから、小物で少しだけ色を入れている。

 草履は有栖が気に入っているものだが、この日のために、とでも言わんばかりにピカピカに磨かれている。きちんと手入れされているのがよく分かる、とても保存状態が良いものだった。


「わぁ…」

「有栖、最近元気が無かったでしょう。少しでも元気になれそうかしら?」

「おばあちゃん、この帯私が最初で良いの?」

「えぇ、えぇ。可愛い孫のためだし、そもそもこれはあなたの晴れの席に合わせるために是非、って思ったのよ」


 優しい祖母や母、気遣ってくれる桜華のためにも、いつまでもウジウジしているわけにはいかない。

 有栖は、両手でぱちん、と頬を叩いて気合いを入れるかのようにし、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、おばあちゃん!」

「どういたしまして」


 優しく頭を撫でてくれる祖母の手が心地よく、猫のように有栖は目を細める。

 そして、いつの間にやらいなかった母が、髪飾りを何種類か持って戻ってきた。


「あれ、何それ」

「有栖が好きかな、って思ったから」


 しゃら、と細かな桜飾りが揺れるデザインの簪、大ぶりのこれまた桜を形どった珊瑚があしらわれたバレッタ、髪飾り用の組紐などなど。

 わぁ、と嬉しそうに微笑んでいる有栖を見て、祖母も母も、同じように嬉しそうに微笑んだ。


「良かった、有栖が笑ってくれて」

「え?」

「ここ最近、物思いにふけっていたでしょう?…ご飯も零していたし」

「……う」


 母や祖母、もとい家族にバレないわけがない。

 有栖を長く知っている人ほど、薄くなってしまっている有栖の感情を的確に読み取ってくれるから、落ち込んでいたりすると、すぐにバレてしまう。

 勿論、桜華にもバレバレだし、親友の玲にだって『うちのお兄ちゃんには、当日絶対に失礼なことなんかさせないからね!』と、会ってそうそうに言われたくらいだ。


「…ごめんなさい」

「謝る必要なんてないから、明日に備えて今日は早く寝ちゃいなさい」

「はぁい」


 自分の部屋に向かう有栖と、そんな有栖にくっついている桜華を見て、母も祖母も、ふと笑みを浮かべる。

 縁談がうまくいけば勿論良いけれど、何よりも有栖が笑っていてくれるようになればいい。だから、異能を理解できて、異能に触れている人を伴侶にしようとしたが、一番最初の顔合わせは失敗した。

 それより以前に、有栖と裕翔が出会っていることなど、今は有栖しか覚えていない。このことをせめて、裕翔が覚えていてくれれば、と望んでいる有栖だったが、願いは簡単に打ち砕かれることとなってしまうのは、今は誰も知らない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「明日、か」


 ふん、とつまらなさそうに呟いて、裕翔は解いていた問題集から顔を上げた。

 裕翔が顔を上げた先には、妹である玲が苦い顔をして立っている。


「お兄ちゃん、有栖に妙なこと言わないでよね」

「…あのハズレに?」

「お兄ちゃん!ちゃんと聞いてるでしょう!?有栖は…」

「はいはい、翡翠眼を封じられているんだろう。耳にタコができるほど聞いたが…彼女がそれを、いいや、砺波家がそれを偽っていないという保証はどこにもない」

「…っ」


 有栖の名前を出したとたん、まるで軽蔑していますと言わんばかりの態度になった裕翔に、妹の玲はげんなりとしてしまう。

 しかも、砺波家のことまで疑い始めてしまったから、もうこれをどうしたら良いのか、と泣きたくなってしまった。


 それに、明日あるのは、有栖と裕翔の顔合わせだけではない。玲と樟葉の顔合わせもあるのだ。

 縁談を壊すわけにはいかない、と意気込んでいる両家の関係者たちに、この裕翔の態度は知られてはいけないと思い、玲はまた溜息を吐いた。


「お兄ちゃんがそんなに疑うなら、樟葉さんのことも信じてないんだね」

「樟葉のことは信じているし、認めているさ」

「じゃあどうして有栖のことは疑うの!?」

「樟葉の力はこの目で見た。だが、妹の力は…いいや、翡翠眼はこの目で見ていないからね」


 今の状態で翡翠眼の発現を行ってしまえば、有栖にどんな影響があるか分からない。しかし裕翔の言葉からは『見てない者は信じてなどやらない』という、とてつもなく強い意志しか感じ取れないのだ。

 有栖に万が一があっては、まず、桜華が黙っていない。いいや、黙っていないというか、ブチ切れる。


「なら、お兄ちゃんの縁談は断ればいいじゃない」

「それは…」

「何よ、問題あるの?」


 ぐ、と言葉に詰まった裕翔は、がしがしと頭を掻いてから椅子から立ち上がると、玲の肩を押して部屋から出そうとする。


「ちょっとお兄ちゃん!?」

「もういい、明日は僕が大人しくしていたらいいんだろう!」

「そうじゃなくて、そもそも嫌なら断って、って言ってんの!」

「断らないよ!ああもう、分かった!翡翠眼も信じてやるから一旦お前は出て行け!」

「ちょっと!」


 ぐいぐいと玲の背中を押して、自室から玲を無理矢理追い出し、一人になった部屋ではぁ、と大きくため息を吐いた。


「…だって、あの子は僕が砺波で会った、あの子じゃない」


 呟いて、記憶の中にだけいる少女のことを思い出す。

 大人たちが会合をしていて、子供は外で遊んでいなさいと出された庭で、一人遊んでいた黒髪の可愛らしい女の子。


 きっと、あれが一目ぼれだったのだろうと思うけれど、昔の記憶を引きずり続けるわけにはいかない、

 だから、あの子のことは忘れなければいけないのだ、と裕翔は必死に自分に言い聞かせた。

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