最終章/蒼き奔流 第6話/相まみえる両雄
一
ウルクル陥落から、二日目の朝。
ラビン新司令官は、かつては太守が座っていた玉座に、その身を沈めていた。
眼は充血し、無精髭に覆われた顔に、焦りの色が見える。
太守は牢に放り込んでいる。生殺与奪は思いのまま。
だが、アイツが見つかるまでは、活かしておいたほうが、何かの役に立つかもしれない。
それだけだった。
彼の前にはウルクル城内の地図が広げられている。
その地図の大部分に赤い印がつけられていた。
ラビン直属の部隊が、城内をくまなくアサドの所在を探索した跡であった。
それ以外の兵達は、城邑の略奪に狂喜奔走している。
「まだ、終わってはいない」
戦場での鋭い眼光のまま、ラビンは呟いた。
麾下の将軍達も、未だに鎧を脱いではいなかった。
傭兵部隊長アサドの行方が、確定するまでは、決して気を抜けないのだ。
「司令官! アサドと部下達の行方が分かりました」
息を切らして駆け込んできた斥候の言葉に、ラビンはもどかしげに玉座から立ち上がった。
将軍達も、一斉に斥候を見る。
「逃散したウルクルの兵と住民、全て
瀝青の丘。
それはアル・シャルク北方方面軍が、初めてアサドと邂逅した場所である。
あの時以来、アル・シャルク軍はアサドに対して連戦連敗であった。
屈辱の原点である瀝青の丘に、アサドが敗残兵と共に集結している。
なるほど、あの場所こそ復讐にふさわしい…ラビンの
半刻後、ラビン准将は広間に主立った将兵を集めた。
「北方方面軍の目的は、既に達した。こ度の戦に勝利すれば、本国への帰還を許される」
将兵達の顔に、安堵の表情が浮かぶ。
亡きカジム将軍と共に出征して以来八年、夢にまで見た故国への帰還がやっと許されるのだ。
嬉しくないはずがない。
「……だが、その前にやっておかねばならぬ事がひとつある!」
ラビンの言葉に、兵達の顔が一瞬にして引き締まった。
二
「傭兵隊長アサド……奴の首級を挙げずして、真の勝利はない。だが……」
ラビンの前に、参謀の一人が歩み出た。
「ウルクルの民は既に逃亡し、アサドも本来の傭兵に戻りもうした。これ以上の追撃は無意味、そうではございませぬかな?」
「まったく、そのとおりだ」
間髪を入れず、ラビンが応えた。
「アサド追撃は俺個人の、まったくの私怨による私闘である。従って正規軍たる貴公らに、同道を命ずる気は毛頭ない」
意外な言葉に、兵に戸惑いが走る。
「では、いかがなさるおつもりか?」
「俺は準将の位と、総司令官の職を辞す」
意外な申し出であった。
亡父カジム将軍の復讐のために、総司令官として全軍に号令を下しても、おそらくは異を唱える者は皆無であろう。
にも関わらず、彼はあくまでも自分一人でアサドを討とうというのだ。
「なるほど、あくまでもアサド追撃はアル・シャルク北方方面軍の職分とは無関係の身で行う、そう仰るのですな?」
参謀の言葉に、ラビンは深く頷いた。
ラビンをじっと見つめていた参謀が、声を上げた。
「さて、ウルクルを占領し勝敗が決した今、我々には軍紀により三日間の休息が保証されまする。その三日の間は何をしようと我らの自由」
別の老兵が、にんまりと笑いながら言葉を継ぐ。
「さよう、本国の連中に文句を言われる筋合いは、ございませぬなぁ。我らが酒を飲もうが、博打に興じようが、狩りに出かけようが……な」
老兵の言葉に、居並ぶ将兵達はいっせいに頷いた。
「父とも慕ったカジム将軍の無念、我らが晴らさずして、何のアル・シャルク凱旋でございましょうや!」
「しかり!」
「今こそ復讐の時!」
「討つべし、アサド!」
真情溢れる彼らの言葉に、ラビンの眼が涙に潤んだ。
「結論が出たようですな」
老兵がラビンの肩を叩く。彼は、ラビンが生まれるよりも前から、父カジムと苦楽を共にしてきた副官であった。
ら便は小さく応えた。
「皆を誇りに思う」
三
僅かに頷くと、ラビンは腰の彎刀を抜いた。
かつてはカジム将軍の腰にあった名刀である。
「それでは、狩りに行くとしよう。獲物は……獅子だ!」
ラビンの号令に、兵達はいっせいに自分の部隊の営舎に向かって走り出した。
ラビンは玉座から降りて大股に歩き出した。
ラビン率いるアル・シャルク軍が瀝青の丘近くに到着したのは、それから数刻後であった。
「ほお……」
兵の間から、期せずして驚嘆の溜息が漏れた。
瀝青の丘に突如出現した聖搭の事は、斥候からの報告に聞いてはいた。
だが、実際にその巨大にして壮麗な姿を目の当たりにすると、驚嘆し、圧倒される。
「あれが瀝青の丘の下に隠されていたのか……」
ラビンもこのような巨大な遺跡を見るのは、初めてであった。
七層からなるその塔の、上三層に登っている人々の姿が見えた。遠目にも女や子供、老人が混じっているのがわかる。それは明らかにウルクルから逃亡した住民と敗残兵であった。
昨夜、彼らはサウドとヴィリヤーに率いられ、密かにウルクルを脱していたのだ。
「何故、わざわざあんな塔に上る? 奴は…アサドは何を考えているのだ」
「確かに、平時であれば搭に拠るなど愚かと言わざるを得ませぬ。しかし、隠れる場所なき荒野にあって、多少なりとも有利な陣地となると瀝青の丘以外に選択の余地はございませぬな」
人の背丈ほどの土塁ですら、攻める側は守る側の二倍から三倍の兵力を必要とする。
まして、煉瓦の表面にエナメルを塗って焼き固めた聖塔の表面は、ここから見ても、簡単によじ登れそうにない。つまり、聖塔の上部に陣取るアサド達と戦おうとすれば、三本の階段から攻め上るしかないのだ。
その三本の階段も、結局上三段では正面の大階段に合流するのだから、攻める側に選択の余地は無い。
「守りに入ったときの奴の強さは、既に実証済み。あの聖塔に篭城してこちらが追撃を諦めるのを待つ戦略か?」
「おそらくは…」
四
「しかし、水は? 食料は? どうする? 突然現れた遺跡に、充分な蓄えが有るとは思えぬが…」
唇を噛んで沈黙したラビンの内に、さまざまな疑問が湧く。
ウルクルを制圧された今、アサド達に残された選択は、降伏か全滅。
逃亡は、できない。
いくらあのような遺跡に篭もったところで、しょせんその時期が早いか遅いかの違いでしかない。
「まさか、そのようなバカな選択を、あの男がするとは思えん。無菰の民を巻き込むような男でもなかろうに……」
思わず呟いた自分の言葉に、ラビンは驚いた。
俺はあの男を、認めているのか?
「あの男は我が父を謀殺した卑劣漢ではないか! それを……」
狼狽し、自分に毒づきながら、ラビンは聖塔を睨み付けた。
「ん? あれは……」
聖塔に動きがあった。
人々が、正面のやや細い階段を上って、次々と最上階の蒼い神殿の中に入って行く。
その神殿はウルクルのそれよりもはるかに巨大であった。あの程度の人数ならば、確実に収容できるだろう。
やがて、アル・シャルク軍の見つめる中、最上階にわずかの兵を残して全ての人間が神殿に呑み込まれた。
残されたのは赤獅団の傭兵達であろう、弓に矢をつがえ、アル・シャルク軍の動きを見張っている。
民と入れ替わるように、最上階に白い被り布で頭を包み、身に裾長な衣を纏った男が姿を現した。
背にあの長剣を負い、左手にも一振りの剣を持っている。
「アサ…ド……!」
ラビンの中で急激に殺気が膨らんでいく。
今すぐにでも駆け出そうとはやる気持ちを、辛うじて押し止め得たのは、彼が父から受け継ぎ、自身で磨いてきた自制心が為せる
アサドの真意を掴めぬうちは、不用意に動けない。
少なくとも、あの男の将としての器量は、自分よりも上なのだ。
聡明なラビン新司令官は、それを承知していた。
■最終章/蒼き奔流 第6話/相まみえる両雄/終■
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