最終章/蒼き奔流 第2話/聖塔の中の空間

   一


 怪訝な顔をするアサドに、サウド副官は笑って打ち消した。

「まあ、単なる伝説でしょうが」

「伝説には、根拠となった事実がある。昔知り合った盗賊が、そんな事を言ってたぞ。墓泥棒は、伝説から悲報を見つける、とも」

 アサドの疑問に答えるように、サウド副官は言葉を続けた。

「この大陸のかつての統一王朝であったナザフ朝の、秘密の遺構かもしれん」

「ナザフ朝? でもその国は、ほんとにあったのかどうか、わかんないって聞いたよ。あの王朝は伝説だって」

 ミアトがキョトンとした顔で尋ねた。


 ミアトが息を弾ませて階段を登りながら、クリクリした眼をサウド副官に向ける。

「いや、そうとばかりは言いきれんのだよ。断片的ではあるが、ナザフ朝の実在を証明する遺物は、いくつかある。例えば粘土板に刻まれた古文献がそうだな」

 サウドは紐が結ばれた丸い土器の筒を、ミアトの目の前にぶら下げた。

「なに、これ?」

「この表面に書いてあるくさびがたの文字、これはな、儂の名前を著しておる」

「これ古い壺なんかに刻まれている、とんがった三角形の模様じゃない? えぇー? あれって文字だったの?」

「ごく一部の者にしか読めぬが、立派な文字だよ、ミアト」


 そうやって喋っている内に、一行は聖塔の頂上に出た。

 広い───

 聖塔の頂上の広場には、蒼い焼き煉瓦で覆われた宏壮な神殿が建っていた。

 神殿の壁面と扉には幾何学模様と東方の植物が描かれ、ラピスラズリの薄片がちりばめられた上にさらに金箔が施されている。

 その精妙にして絢爛たる遺物に、アサド達は圧倒されていた。

「これは……凄いな」


 アサドの驚きに、他の団員も興奮気味に言葉を被せた。

「これほどの物を造れる職工は、そうは居りますまい」

「この扉だけでも一財産だぜ!」

「よく今まで盗掘されずに無事だったな」

「キタイ帝国の都の太陽神殿より凄ぇよ!」

 銀の月の光に輝く神殿を見上げ、口々に言い合う赤獅団をよそに、ミアトはある扉の前に釘付けになっている。



   二


「どうしたミアト?」

「この扉、中はどんなかなぁ? 大将、開けてみよっか?」

 好奇心に忠実な子であった。

 アサド達には、その扉自体の芸術性が興味の対象であったが、ミアトにとっては扉の内側が興味の対象らしい。アサドの返事も聞かずに、ミアトは扉の把に手をかけていた。

「おいミアト、気をつけないと壁が風化して……」

「な…うわぁぁぁっ!」

 アサドの言葉を無視して扉を強引に開けたミアトの、甲高い声が響いた。


ドドドドドドドドドドドド…ドドドド……ドドド…ドド……………………


 大音響と共に神殿の扉を突き破って、大量の砂が雪崩落ちてきた。

「隊長! 大丈夫ですか?!」

 血相を変えた傭兵達がアサドに駆け寄る。

「ん……ああ、俺は何とかな。それよりミアトはどこだ?」

「大丈夫…のようです」

 呆れた声で答えたジャバーの指差す先に、ジタバタ動くミアトの足だけが砂から覗いている。


 神殿の中に詰まった砂は、徐々に勢いを弱めながら流れ続け、やがて止まった。

 アサドは松明を手に砂が引いた神殿の内部にゆっくりと歩み入った。

 松明の火は、外からの風を受け微かに揺らいだが、燃え続けている。

 神殿の内部には新鮮な空気があるようだ。

「暗黒神シャイターンの神殿でしょうか……危険はありませんか?」

 強張った声で言うサウドの後ろで、部下達がそれぞれの武器に手をかけ油断なく身構える。


「だとしても、妖魔が数百年以上も、潜んでいるわけではあるまい」

 そう言いながらも、アサドは松明を左手に持ちかえ、いつでも剣を抜けるように右手を自由にする。

 ゆっくりと、アサドは手にした松明をかざした。

 天井は赤く塗られていた。何の顔料であろうか?

 長い年月に退色することなく、建設当時の赤さを今に伝えている。

「水銀朱…か?」



   三


 さらに歩を進めようとしたアサドの足が不意に止まった。

 その先に…床は、無かった。

 空間───

 漆黒の闇が満ちた空間がどこまでも続き、松明の光を吸い込む。

 その先に何があるかを少しも見せてはくれない。

 ためしに放り入れた小石が底に当たって微かな音を発するまでに、ひどく時間がかかった。


 それは思った以上に巨大な空間であった。

 おそらくは地中深くまでこの穴は穿たれているのであろう。

「これは奇妙な…聖塔の中は普通、日干し煉瓦で土台まで埋まっていますが」

「わからん……降りてみよう。綱を」

「おいらも行くよ」

「いざというとき、飛べる者がいた方がいいだろう。来い、ミアト」

「私も参ります!」

「しかし…サウド」

「私の足のことなら、お気遣い無用ですぞ」

 意気込むサウドに、珍しくアサドが言い淀んだ。


「あのぉ副官、年寄りの冷や水は…」

「何を言うか! 若造が」

 ジャバーがなだめるのをさえぎって、サウドは土器をかざすと、熱した口調で続けた。

「もしこれがまことにナザフ朝の遺跡なら、これと同じ文字がどこかにあるはずです」

「なるほど、それを読めるのはサウド、おまえ一人だけだな」

「なぁ~んだ、サウドのおっちゃんも、中が見たいんだよな。おいらと同じじゃん」

 したり顔のミアトの言葉にどっと笑い声が起こった。


 部下の一人が綱を神殿の扉に結びつけ、漆黒の空間に降ろす。

「アサド様、お気を付けて」

 いつもは陽気な笑顔を絶やさぬジャバーが、表情を引き締めて言う。

 〝隊長〟ではなく〝アサド様〟と呼んだ、その言葉に部下達全員の気持ちが込められていた。

 彼らにひとつ頷くと、アサドはゆっくりと綱を伝って聖塔の内部に降りていった。

 ミアトとサウド副官がそれに続いた───。



   四


「外の熱さが嘘のようですな。まるで山の頂にでもいるかのようです」

「温度だけではない、湿気もだいぶあるようだな。山の上と言うより、井戸の底のような感じだ」

 見上げれば、彼らが降りてきた穴が方形の光を微かに放っているが、その光は底までは届かない。

 先頭を降りるアサドの長靴の下には、暗闇だけが続いている。

「これってさあ、洪水の時の避難所かな、大将」

「かもしれん…………お、どうやら底に着いたようだぞ」


 ようやく床に降り立った彼らの遥か頭上には、ぽつんと小さな光、

 そして前には再び黒々とした空間が広がっていた。

 アサドの足先に、コツンと当たった石の音が、空間全体に共鳴する。

 吸収されることもなく、空間に反響する音。

 そこには何もなかった。……

「ミアト、火を」

「あいよ」

 ゴオオオオオッという音を発して、ミアトの口から火焔が放射される。


 次の瞬間、ミアトが発した火焔が一気に数倍の明るさになって、アサド達を包んだ。

「こ…これは…! 鏡?

 照らし出された正方形の空間は、全てが磨き上げられた鏡であった。

 足元に松明を近づけて、アサドが照らしてみる。

 継ぎ目ひとつ無い。

 鏡の中に、無数のアサドが、サウドが、ミアトが、映し出される。

 千年の時を経れば、ガラスは徐々にその透明度を失い、白濁してしまうが、この空間を埋め尽くす鏡はたった今窯から出して冷やしたかのように、澄んだ輝きを見せている。

「すんげぇ!」

「何という…、これほど明るく大きな鏡を作る技術は、現在どこの国にもありますまい…」


 興奮を隠せぬミアトとサウド副官に、アサドはつとめて冷静に話しかけた。

「…やはりナザフ朝の遺構か」

「さて、その可能性は高いですが。……おや、あちらに何か、見えましたぞ」

 サウド副官が指さした先、平面で構成された空間に、アサド達は異物のような突起物を認めた。

「行ってみよう」

 言うが早いか、彼らはもう全速で駆けていた。

 ミアトの火で点火した松明を手に、中心部近くに見えた何かに歩み寄る。

 それは───方錐形の石であった。



■最終章/蒼き奔流 第2話/聖塔の中の空間/終■

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