最終章/蒼き奔流 第1話/伝説の聖なる塔
一
狼のようなそれは、二頭の巨躯の犬が発する声であった。
ウゥルルオオオ──────ン……
白と黒、馬上のサグの両脇を固めるように、付き従う砂漠の名犬サクール。
それに続く犬の群れ。
遅れて合流するはずの遊撃部隊。
旧知の存在に巡り会えて、ミアトは絶叫していた。
「サグ隊長に
ミアトの言葉よりも早く、犬部隊は動いていた。
サグの指笛が砂漠に響き渡ると、二頭の巨犬が左右に疾走する。
他の犬たちがそれに従って散開する。
ミアトには視認できない、砂に埋れた赤獅団の面々を、匂いで探り当てる。
そのよく聞こえる耳で、わずかな音を聞き逃さない。
サウド副官とお付きのジャバーが遭難しかけたときも、見事に見つけ出したのだから。
ミアトも中空を、上下左右にせわしなく旋回し、人影はないか、必死に探す。
だが、気ばかり焦って、グルグルと回り続ける。
……と、白いサクールがひときわ大きく長い遠吠えを発した。
慌ててミアトがその場に降り立つと、土に下半身が埋もれ、動けない馬がいた。
「大将の? 待ってろ、今掘り返すからな。大将も一緒に埋まってるのか?」
サクールと一緒に、手で必死に土砂を
その下にアサドが埋まっているかもしれない。
「ミ…アト」
かすかに声がした。
振り向くと遥か後方、砂埃の中で手を振る人影が見える。
「アハ…アハハ、やっぱり生きてるじゃんかよう!」
探し求めた人影に向かって、ミアトは全速力で走りだした。
走って、走って走って、気持ちに追いつかずに足がもつれて転ぶ。
立ち上がってまた走って、そしてミアトはアサドに飛びつき抱きついた。
「大将、大将ぉぉぉ……」
二
「ミアト、怪我はなかったか?」
抱きついたまま、頭を左右にぷるぷると振るミアトに、アサドの眼が和んだ。
やがて砂の中からそれぞれ、馬と赤獅団の傭兵達が、這いだしてきた。
細かい粉塵がいっせいに彼らの上に降り注ぎ、全速力で走って呼吸の荒いミアトが、思わずそれを吸い込んでせき込んだ。
「ゴホゴホッ……ううう…ゴホッ!」
「大丈夫か、ミアト?」
「うん、大丈夫。大将は?」
頷いたアサドは残りの部下を見渡す。
皆、無事のようだ。
「どうやら砂埃は凄かったが、実際に流れてきた土砂は大した量じゃなかったようだな。馬は呼吸ができなくて辛かったろうが、俺達は転んだ程度で大した怪我はしていない」
「おっ、ミアトひんでぇ顔だな。おまえ泣きべそかいたな?」
目ざとく見つけた大男のジャバーが、ミアトの頬をつついてからかった。
涙と鼻水で濡れたミアトの顔に砂埃が貼り付いて、まるで出来の悪いお面のようだ。
「ち…ちがわい! このミアト様が泣くもんかっ!」
憤慨したミアトがジャバーの長い向こう脛を蹴飛ばし、ジャバーが大げさな悲鳴を上げて倒れた。
アサドが思わず笑った。
ミアトも笑った。
サウドが。
そして皆が笑った。
と、一陣の風に舞っていた砂埃が一気に吹き飛ばされ、急に視界が開けた。
「おおお、アサド殿……あれを!」
サウドの声が飛んだ。
この冷静沈着な副官には珍しく、その声に驚愕と興奮が入り交じっている。
もうもうたる粉塵の中から、それは、出現した。
三
かつて瀝青の丘と呼ばれた場所には、巨大な遺跡が姿を現していた。
平らな正方形の箱を積み上げたような、七層からなる白く輝く巨大な階段状の塔。
搭の一面に人が登れる高さと幅の階段があり、六層目まで一直線に伸びている。
その階段を直角に挟むように、左右の面にも階段が見え六層目で正面の階段と合流していた。
合流する場所に方錐の上部を切り取った、ドームのようなものが立ち、そのドームから最上段の七層目へは正面からやや狭い階段が続いている。
それはたんに石や煉瓦を積み上げた単純な遺跡ではなかった。
搭の格段の縁は複雑な、しかし全体を見れば調和と均整を保った形をしている。
設計の段階で、完成した時の形を綿密に計算し尽くさなければ、このような複雑にして巨大な建築物を築き上げることは、不可能であろう。
赤獅団の面々が、あっけにとられて立ち尽くしている。
珍しくアサドの眼にも驚嘆の色が浮んでいた。
「これ…は…?」
「わかりません。昔ここに神殿があったと伝わってはいますが…それはごく普通の規模の神殿であったはず。ここまで巨大な建造物が地下に隠されているとはどの文献にも……」
サウドが記憶を掘り起こすように眼を細めた。
「
「いいえ……私も詳しくは知りませんが。瀝青の丘は、ウルクルが建設される数百年も前からあったそうです。いや、むしろ瀝青の丘をウルクルへの道標にするために、その近くにあの城邑が作られたのかもしれません。粘土板に刻まれた最古の文献にも、旅の目印として瀝青の丘のことは記載されていますゆえ。」
「古代の神殿……か? しかしこんな巨大な物は初めて見た。ここまで完璧に保存された物も」
「このような遺跡を、いままでにもご覧になったことが?」
「ああ、流浪の時代に何度かな」
何かを思い出すように、アサドは虚空を見つめていた。
赤獅団を結成する前の数年、各地を放浪していた過去は、サウド副官さえ知らない。
アサドも、語らない。
ただ、その身体に刻まれた無数の傷と、失われた眼球が、過酷な旅の日々を推測させる。
「だが多くの神殿は、砂の中に埋もれてボロボロに風化しているか、破壊されているかのどちらかだった。それに…俺が見た遺跡は、ほとんど日干し煉瓦の上を焼き煉瓦で覆われていた。こんな白い石で表面を葺いてあるのは初めてだな」
四
足元の煉瓦の欠片を拾って、サウド副官は驚きの声を上げた。
「いや、これは石ではなく焼き煉瓦ですな。表面に白い釉薬をかけて、焼き固めた物のようですが」
七層の聖塔の最上部のみが蒼い煉瓦に包まれ、それ以外の層は白い煉瓦で覆われている。滑り落ちた土砂の中から見える搭は、数百年かそれ以上の間、土の中にあったためか、表面の日干し煉瓦はほとんど浸食されていないようだった。
年間の降雨量が極端に少なく、乾燥したこの地では、雨と木々の根の分解作用による浸食がほとんどない。あるとすれば、それは年に何回か降る雨と、激しい砂嵐による浸食のみである。
「とにかく、登ってみよう」
「危険はないでしょうか? 何しろ最低でも千年の時を経ている聖塔ですぞ」
「大丈夫だろう。さっきの地震でも微動だにしていないのだから」
言い終わらぬ内に、もうアサドは馬を引いて、聖塔の階段をゆっくりと登り始めた。
赤獅団の部下達も物珍しげにあたりを見回しながら、後に続く。
サグと犬部隊のみ、万一に備えて下方に残った。
先程の地震で表面の煉瓦がいくらか剥離して、階段に散らばっている。
それはやはり、総て焼き煉瓦だった。
建物のほとんどが日干し煉瓦で作られるこの地にあっては、焼き煉瓦自体が珍しいので、赤獅団の面々も驚きの声を上げる。
しかも表面に珍しい塗料であるエナメルを塗って焼き固めてられているのだ。
煉瓦はこの搭が造られた千年前でも高価な品であったろう。それがこの巨大な神殿の外側のほとんどを覆っているのだ。
煉瓦を焼き固める燃料だけでも、桁外れの財力が必要になる。
現在のアル・シャルクの国力を持ってしても、この規模の聖塔を作るのはおそらく不可能であろう。
土木建築技術と工芸技術の、高度な結晶──それがこの聖塔であった。
「……そう言えば、古い粘土板の記録に、大昔の交易商人がこの地で大量の水を補給して旅を続けたとあります。ここにあった神殿からは、太陽神が与えたもうた奇跡の水が、虚空から滾々とあふれ続けたとも」
「虚空から生まれた水だと?」
■最終章/蒼き奔流 第1話/伝説の聖なる塔/終■
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