第7章/紅き胡蝶 第7話/瀝青丘の大災厄
一
「……ここウルクルも、大将が安住できる地じゃなかったのかなぁ?」
馬上のミアトが寂しげな目をアサドに向けた。
「どうして、そう思う?」
「だってさ…」
頭をポリポリと掻きながら、ミアトはアサドの視線を避けるように言い淀んだ。
「ここは…辛い思い出が多すぎて、大将が自分の国を建てる場所じゃないと思うんだ」
「俺の好悪は関係ない。どこであろうと、アル・シャルクに帰るための礎になる場所なら、そこが俺の国になる」
「じゃあ、あくまでもここでアル・シャルク軍と戦うつもりなの? このまま逃げちゃってさ、次の機会を待つっていう手もあるじゃんか」
唇を噛みしめ、眼に必死な想い追いを込めたミアトの提案を、アサドは言下に否定した。
「次の機会があるかどうかはわからん。天が俺にウルクルを
「それじゃあ、駄目だよ!」
アサドの言葉を、今度はミアトが真っ向から否定した。
「おいら達は、大将のために死んだっていいんだよ。でも、大将はおいら達のために、死んじゃあいけないんだ! だから……」
ミアトの言葉を引き継ぐように、サウド副官がアサドに語りかけた。
「凡庸な人間には、凡庸な生き方しか出来ませぬ。名を成すものはたとえ、その人生が栄光であれ、悲劇であれ、喜劇であれ、なにがしかの天命を持って生まれるのだと、私は思います」
アサドの胸に、ワディの言葉が甦る。
多くを持って生まれたものは、また多くを背負うものだ───
「俺は…多くを背負うべくして生まれた人間なのか?」
アサドは胸の中の固まりを静かに吐き出すかのように、問うた。
サウド副官が義足をなでながらを、アサドの傍らに馬を寄せる。
「我々の期待や想いや願いは、あくまでも我々の勝手なものでございます。だがあなたは、それらから逃げ出すお方でもない…私はそう確信しておりまするよ。そう確信させる事、それこそがあなたの器量……」
「買いかぶりすぎだ。俺はそこまで強い人間じゃ、ない」
「かもしれません。ですが、弱い人間でもありますまい?」
「自分では分からん」
二
「おいらは《
ミアトが、胸を張って言う。その言葉に微笑んで深く頷くと、サウド副官はアサドに頭を垂れた。
「我々があなた様の
サウドの言葉に応えず、アサドは遠くウルクルを見やった。
……あなたを王にするのはアハマル家の血ではなく、ただ勝利だけが、あなたを正統な王にする
彼の耳の奥に、ファラシャトの最後の言葉が
甘く切ない声。
「でもさ、ちょっとだけ安心しちゃった」
ミアトが囁いた。
「なぜだ?」
「だってさ、もう少しだけ大将といっしょに、いられるじゃんか」
ミアトは少し頬を染めてうつむくと、照れを隠すように、馬を急がせた。
「ミアト……」
飾りのないその言葉が、今のアサドにはありがたかった。
アサドがミアトのそばに、自分の馬を並べようとした瞬間…………
それは来た!
「地震だ!」
大気を震わせ低い地鳴りの音が増幅し始める。
大きい。
妖魔ハイヤットが起こした地震など、比較にならぬほどに。
「くっ……ハイヤットの起こした地震の反動か?」
「大地に無理な力を加えたために歪みが生じたのでしょう。危険ですぞ、アサド殿!」
地震は初期微動と呼ばれる細かく小さな振動の後、激しい揺れが襲ってくるが、この地震はその初期微動ですら、並の既に地震ほどの揺れを起こしていた。それは当然この後に発生するであろう、揺れの巨大さを暗示していた。
「……いかんっ!」
突然サウド副官が上擦った声を上げた。
その視線の先の瀝青の丘から土埃が上がり、丘全体が微妙に揺れている。
アサドは副官の警句の意味の全てを悟った。
悟ると同時に、自分が何をすべきかをも即断していた。
彼は以前、この瀝青の丘の地震に巻き込まれて、死にかけた男だ。
三
「できるだけ瀝青の丘から離れろっ! 崩れた土砂に巻き込まれるぞ」
平原での地震は、地割れにでも巻き込まれない限り、それほど危険な物ではない。
だが、この不自然に巨大で小高い丘の土砂が、一気に崩れ落ちてきたとしたら?
部下達も全て、アサドの意図を察し、察すると同時に行動していた。
辺境最強を謳われる赤獅団の神髄は、この危機回避能力にある。
「来るぞっ!」
「うひゃあ!」
激しく揺れる大地に足を取られながらも、彼らの騎馬は全速力で駆けた。
揺れる大地の上では、周囲に自分の位置を確認する物がないだけに、平衡感覚に異常をきたす。
自分の体が重心に対してどちらに傾いているのかを確認することができないからなのだ。
唯一の対象物である瀝青の丘は……
「大将、う…後ろッ!」
瀝青の丘から滑り落ちた砂の波が、もうもうたる砂埃の中を滑るように襲いかかって来た。
轟音を立てるそれは、さながら巨大な石と土砂の入り交じった津波のようだ。
揺れる大地は、それだけでアサド達の騎馬の足下をすくう。
「わわわ、振り落とされちゃう!」
「ミアト、おまえは空に逃げろ! 全滅するよりはいい」
頷くとミアトは手綱を落とし、鞍から素早く翔び上がった。その背中から現れた巨大な翼が、小さな身体を軽々と上空へと持ち上げる。身軽になったミアトの馬は一気に加速してアサド達の前方へと走り去った。
「できるだけ馬に貼り付け、馬に負担をかけるな!」
部下に指示したアサドは、自分自身も馬に密着するように背中を丸め必死に馬を駆る。しかし巨大な黒煙は一気に襲い掛かり、人馬共に総てを呑み込んだ。
「うおお…おおおっ!」
「た…大将! 大将! あああ、砂にのみこまれちゃったよお…大将ッ!」
巨鯨のごとき土石流はアサド達を呑み込み、さらに膨張し続けた。ミアトの絶叫が空に響く。
「ちくしょう、死んじゃうのかよ? 死んじゃうのかよう!」
四
アサド達を呑み込んだ地点から、さらに数倍の大きさに膨張した砂煙は、自身の起こした風に押されるように、放射線状に拡散した。
ミアトは何度か砂埃の中に飛び込んで仲間を捜すが、もうもうたる砂に視界を遮られ、呼吸すらままならない。
ようやく僅かばかり回復した視界の中、ミアトがアサド達が呑み込まれた地点に舞い降りたのは、一刻以上も経ってからであった。
「大将、みんなあ、大丈夫かよお! いるなら返事してくれよお……みんなぁ〰〰〰〰ッ!」
ミアトの甲高い声が土砂に埋め尽くされた大地に響く。
大丈夫だ、大将達はきっと生きている。
今までだって何度も死んで当然の危地から脱してきたじゃないか。
大将には、天運が味方してるんだい!
「大将おおお、サウドのおっちゃあああん、みんなあ、どこだよおおお……」
だが、声を嗄らしての呼びかけにも返事は無い。
ミアトの声がだんだんか細くなり、嗚咽が混じり始めた。泣くまいとこらえても、大きな眼から涙が溢れだす。ミアトはそれでも必至に声を振り絞った。
「みんなあ、死んじまったのかよ? 生きてるんなら返事してくれよう……おいら…もう一人ぼっちは嫌…だよぉ…」
その時突然、ミアトの耳に微かな遠吠えが聞こえた。
■第7章/紅き胡蝶 第7話/瀝青丘の大災厄/終■
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