第22話


 お腹が三日月型に欠けている大狼は鼻息を鳴らして去っていった。

 「あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜!!!!!」

 ピユは笛のような声でそう叫びばんざいしたまま狼を追っていく。狼の残した鼻息がピユにとって向かい風となってピユのまっすぐな巻き毛を後ろへと飛ばす。だが、ピユはその風に逆らって狼の背中に抱き着く。

 「お゛い゛。なにしてる?」

 「HHHHHっ!びっくりしたあ」

 声から音だけを抜いたみたいな笑い方でピユは驚いて見せる。

 「……」

 「君、素晴らしいね。合格だ!」

 「え?隊長?どういうことですか?」

 長鼻の男が長鼻を地面で引きずりながら驚く。

 「どういうことかじゃないよ!この狼君は逸材だ!素晴らしいパワー!これこそ、ドレスシィ城警備隊に必要なものだよ!」

 「勝手に決めるな!」

 大狼は水から上がったときみたいに肩を震わせてピユを水滴のように体から振り落とした。

 「あ゜あ゜!!」

 笛のような驚き方でピユは尻もちを搗く。

 「痛いなこりゃ。HHHっ」

 ピユはそう言いながら立ち上がりゴム製ダイヤモンドの瞳をギラリと光らせる。

 「あなた……人探しをしているんでしたよね?警備兵になるとHHっ!ドレスシィ城のいたるところを探せますよ。」

 お狼は月のような瞳を落としてピユを見下げる。

 「ほう。隅から隅までか?」

 「Hっ!隅から隅までです。」

 こうして、ピユは狼をつまり白い毬玉をドレスシィ城の警備兵にしてしまった。僕はあなたのことが心配になってあたりを見回した。だが、あなたの姿はどこにも見えなかった。



” 第719章

  その夜、月がなかった。

 「明日は満月だね」

 君がそう微笑んだのは昨夜のことだった。

 君は今、月の出ない夜を見上げている。夜空は月を失ってできた瘡蓋みたいに汚く暗く僕には見えた。

 ふいに、君が僕を振り向いた。君の目が救命灯のように激しく光った。はじめ、僕は君が暗闇の猫みたいに妖しく見えた。だが、その光は徐々に静まっていく。そして今は、その清い眼差しで僕の傷を癒すだけだ。僕は気が付いた。夜から月を盗んだのが君だったということに。月は君の目に閉じ込められて静かに息をするだけだった。


 僕は本を閉じた。僕が手を放しても、その本は地面に落ちることなく路地裏の暗がりに浮かび続けている。僕は狼から逃げてきた。今から狼を白い毬玉を知らないところに案内して知らない仕事を教えるなんてできなかった。

 「長鼻君!狼君のことは君に任せたよ。ハハッ!」

 「隊長!わたくしは田中と申します!」

 「そうか、長鼻君!では後は頼んだぞ!ハハッ!」

 とピユの真似をして狼と長鼻を言いくるめるのは大変だった。最も難しいのはピユの笑い声だった。HHッ!という笑い声から母音だけを抜いたようなあの笑い方。ピユというよりはその呼吸が笑っているような笑い方。のどを介さず肺そのものが笑っているような色も味もないそれでいて骨のある笑い方。

 

 「ハハッ!スーッ。ハハッ!」

 僕は喉を押さえながらピユの笑い方を練習した。のどを押さえる自分の手が無限のゼロ本指であることに気が付いて一瞬ギョッとした。地下洞窟を潜って以降僕の身体はだまし絵そのものみたいになってしまった。まるで、受肉した矛盾みたいな自分の体に慣れることはないだろう。

 とにかく、僕はピユの体のままあなたをつまりサーヤを探すことにする。

 路地は餌に群がる蟻みたいに人でごった返している。一体ここにどんな甘い食べ物があるというのだろうか。人々をよく見てみるとみんなどこかしらおかしなところがあった。仮面みたいな顔の人とか身体より顔の方が大きい人とか足が三本ある人とかいろいろだ。しかし、この中で一番おかしな姿をしているのは間違いなくピユ、つまり僕だろう。

 「おーい!」

 人々を葦原のように掻き分けながら声がやって来る。その声の主が見えた時、僕は体をピユに譲った。

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