第17話


 僕たちはドレスシィ城の踊りに巻き取られる糸玉だった。僕は頭をぐるぐるさせながらふらふらと城の方へと寄っていく。サーヤもまた僕に負けじとドレスシィ城の方へと向かう。しかし、僕たちは一向に城にたどり着くことができなかった。月を追っても逃げられるのと同じようにドレスシィ城もまた僕たちが近づくたびに遠ざかっているような気がした。だが、ドレスシィ城が侍らせている丘たちは変わらず城のそばにあり続けている。

 「何かがおかしいぞ」と僕が首を傾げた。

 「何かがおかしいぞ、何かがおかしいぞ」とサーヤが僕の真似を繰り返して体ごと首を傾げた。

 夜が酸っぱい星光を吸いすぎて、僕たちはまるでレモンジュースの瓶の底にいるみたいだ。酸味の濃度は刻一刻と濃くなっていき肺がキュッと縮まって呼吸が痺れて来るのを僕は感じた。

 「おかしい事なんて、何もないさ」

 ふいに、声がした。水が喋っているような潤いのある静かな声だ。

 「あなたが本当に恋した人を思い出して。ドレスシィ城はあなたの恋人じゃない。」

 僕の肩が声に叩かれた気がして、僕はドレスシィ城に背を向けた。そこには、一冊の本が浮かんでいた。本はギュッと圧縮された霧みたいに確かな存在感と幻のような頼りなさの両方を具有している。不意に、本が黄金色に縁どられた。曙光が矢のように本を貫きそして僕を射抜いた。夜は光に追い立てられて、淀んだ酸味は光の箒に掃き散らされる。

 僕は眩しさに耐えかねて腕で目を塞いだ。そのはずなのに僕の目は光の燦然たるに鋭く焼かれ続けている。

 「ぎゃあ」

 サーヤが隣でそう叫んでうずくまった。

 「この朝日は錯感物(パンニア)だよ!」

 水のような声がそう僕に警告した。

 僕は右腕に眼球が焼かれるような頭痛を感じて右腕を素早く後ろに隠した。ようやく、僕の視界はすべて閉じられた。今は、瞼の暗い潤いに癒されるのみだ。


 朝の光がだいぶ和らいできて僕は再び目を開けた。目の前にいるほんと遠く背後にあるドレスシィ城がなぜか重なって見える。僕が右腕を前に出すとドレスシィ城はずっこけたみたいに視界からいなくなった。

 「君の、右手に瞳が開いたんだ。この朝日が錯感物(パンニア)だからさ。」

 そう言って声の主が浮かぶ本を掴んだ。その手の指の付け根に水かきがあって、そこに露が一粒溜まっている。

 右腕を目の前に掲げた。右腕のちょうど脈の反対側にナイフで斬られたような裂け目があってそこに瞳が瞬いている。それはまるで、目の形をした腕時計だ。そして、なぜかその右腕に僕の顔が重なった。僕が両眼を閉じると当然右腕は見えなくなって僕の顔だけが視界に像を結んだ。


 「うわあ。おもしろーい!」

 視界の端でサーヤがはしゃいでいる。彼女は両眼を閉じたまま右腕で空に手を振りながらあたりを駆け回る。

 「陽が沈むころには元に戻ります。今日の朝日は右腕に目を生やす錯感物(パンニア)だったみたいです。これをどうぞ」

 僕は両眼を閉じたまま右腕を向こう側に返した。すると、逆さまの人魚の女が僕に本を差し出していた。僕は、左手でその本を受け取った。


 ”第七十四章 ドレスシィ城と5つの丘


 ドレスシィ城は水平線に腰かける豪華な風貌の城である。それは、まるで女王のようないでたちで旅人たちに魔法をかけて自分に恋心を抱かせて道を惑わす。

 ドレスシィ城に行きたいなら、ドレスシィ城を目指すな。

 その代わり、喘息持ちの丘へと向かいなさい。この丘は、かつて妄語の罪を犯した罰で永遠に咳を患っている。近くに咳切虫たちが結ぶひし形の塔がある。その塔の明滅は両目以外の目でしか見ることができない。

 そこへ行き、咳き込む丘の裂け目へと飛び込みなさい。地下を潜っていくとドレスシィ城へと辿りつきます。”


 僕が本を閉じると人魚の女が腕時計を見せるみたいにこちらに手の甲を向けた。その手首のところに瞳が瑞々しく瞬きしている。

 「さあ、両目以外の目で、喘息の丘を探すんだ。あなたたち追われているんでしょ?急いで!」

 人魚の女はそう言って、ドレスシィ城から一番遠いところにある丘へと向かった。僕が右手首の甲をその丘にかざすと丘の中腹から半透明なひし形の連なりが塔のように空へと伸びているのが見えた。

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