第15話


 縫い針を鼻に差し入れたみたいなツンとした酸味がして、僕は日が暮れかかっていることに気が付いた。

 「まあ、いいや。とりあえず、逃げようか」と僕が言うと

 「全然いいわ。一刻も早く逃げきりましょう」とサーヤが返す。

 なんだかサーヤとの会話に違和感を感じながらも僕はそれを酸っぱいつばと一緒に飲み込んで走り出す。 

 空の肌が夕陽に焼かれて爛れていく。もしかして夜とは、空の火傷が世界を覆うことだったのかもしれない。血が夕陽に焦がされて速度を奪われた滝みたいにドロリと空から垂れてきて丘の上に落ちた。その丘は、ドレスシィ城にひざまずく五つうちの最も小柄な丘だった。血の滝がその小柄な丘にのろのろと渦を巻き、その丘は黒ずんだ嵩を増していった。

 焦げて固くなった血が空一面にこびりついた。空は瘡蓋に覆われた。斑のある暗闇が僕たちから一切の光を奪う。僕もサーヤも足元がぬかるんだことだけしかわからずに呆然と立ち尽くした。

 「困ったな」と僕が言うと

 「困ったな。困ったな」と羊人の少女サーヤがそう繰り返す。

 その時だった。空の瘡蓋から針が生えるように鋭い星光が降ってきてそれがドレスシィ城を貫いた。暗闇の中、唯一光る縫い針がドレスを白く縫っているような神秘的な光景だった。縫い針が白い糸をドレスに縫い込むほどに、糸状の光を帯びたスカート部分が暗闇に花のように浮かび上がる。その白い花のようなスカートが風でふわりと膨らんだように見えて、僕は目をごしごしとやった。僕の隣でサーヤも目をごしごしごしごしこすっている。空の瘡蓋に次々と穴が空いて、星の光が丘陵地帯を照らし始めた。

 「幻?」

 僕の視線はもともとドレスの糸の一本だったのかもしれない。ドレスシィ城が躍るようにくるくると回るほど僕の視線はドレスシィ城に巻き取られていく。

 「幻だね。幻に違いない!」

 サーヤがそう繰り返す。そんな、針のような星光が僕たちの瞳孔に酸味を縫い込むようだ。さっき擦って敏感になった瞳がヒリヒリと痛む。

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