第13話

 この丘がまるで巨人の鼻ででもあるみたいにてっぺんには黒い穴が二つ開いていて、それは生暖かい空気と砂土を呼吸している。

 

 受肉。それは、空間や大地、光など 無・死に属する存在がまるで有・生のように現象することだ。ちょっと、口笛を吹いたぐらいのことで空間は唇型のできもので腫れる。ちょっと、転んだぐらいで地面は青血で真っ青になる。こんなのまるで、僕たちが世界にとってのアレル原か害虫みたいじゃないか。

 それでも、繊細な肌のような青空は美しかった。時折、強い風が吹くと青空はハサミで切られた皮膚みたいにペラリと剝がれて血を流す。そんな血の滝が枯れたころに現れた骨の白い美しさよ、衝撃よ。やがて、空の青色が瘡蓋のようにその傷を覆い血を固め骨を癒すだろう。

 今、馬のいない馬車から白髪の少女が降りた。彼女の白髪は梳かした羊毛のように眩くカールしている。彼女がその細い足で丘を踏めば、僕の胃に足の形をした腹痛が現れた。それは、彼女の歩きと調和しながら僕の胃を痛める。

 彼女が、丘の頂上に至ったから僕は漸く腹痛から解放された。「な、なんで?」僕は彼女の手を取った。

 「なんでこんなに早いんだ!サーヤ。」

 白髪の少女は首をかしげる。

 「え?なんで私の名前を、知っているの?あなたはだあれ?」



冥府の吐息みたいな風が泣きながら僕たちの頭上を通り過ぎ丘を涙の雨で濡らした。びしょ濡れになった僕と彼女を陽の光が温める。濡れて重たくなった彼女の白髪を陽の光が梳かすようで、雫の輝きを帯びた彼女の微笑は光そのものだった。

 ふいに、胃の底に足の形をした痛みがした。 

 「おい!」

 太いナイフみたいな呼び声が丘のふもとから僕の喉元へと迫って来る。ハスだ。ハスが丘を踏みつけながらこちらへ登って来る。僕は足の形をした腹痛に顔を歪めながらも白髪の少女を木のカラーパに隠した。

 「なにか、女の声がしなかったか?」

 ハスはそう言いながら僕の背後をのぞき込もうと首を伸ばした。呪いを解いてきたのだろう彼の背丈は元の大きさに戻っている。ふいに、地面に空いた二つの穴から生暖かい風が吹いて彼の前髪を乱れさせた。ハスは「チッ」と舌打ちしながら丘の鼻孔を踵で踏みつぶした。その行為によって、彼のズボンのポケットにわずかなゆとりができた。そこには、大粒の飴玉が窮屈そうに収まっている。僕は盗人のようにその飴玉をスリした。

 「みらびだ」

 「え?」

 「みらび、髑髏の首が折れるみや」

 肺の中が燃えているみたいにハスの声は攻撃的だった。

 彼は、鬼の腕力で僕を軽々しく押しのけて木の形をしたカラーパに手を突っ込んだ。そして、花を抜くようにあっけなく白髪の少女が陽の元に引き出されてしまった。

 「どういうことだ?」

 ひときわ強い風が吹いて、青空に一筋の切り傷が入った。

 「なぜ、生きている?昨日殺したばかりで、もう帰ってきたのか?この街に。」

 おでこの傷から垂れる血が目から光を奪うみたいに、太陽が血で暗く覆われていく。

 「サーヤ。俺は災厄少女を殺す!」

 ハスは雷鳴みたいにそう叫び、ナイフの光のひらめきはすでに白髪少女のサーヤの喉元に迫っている。

 「うおおおおおおお」

 自分の肺が喉が獣か悪魔のそれにでもなったみたいに獰猛な声をあげながら僕はハスを押し倒した。ハスは丘の鼻孔みたいな穴に足を取られた。穴はフゴフゴと大地が鼻詰まりを起こしたような音を立てながらハスの足を吸い離さない。

 「逃げるぞ!」

 僕はサーヤの手を取って丘を駆け下りた。丘を踏み腹痛を感じた時だった。明らかに丘の骨が折れたような破壊的な音が背後からしたのだ。

 「こっちに来てる!」

 サーヤが後ろを振り向いてそう叫んだ。

 丘のふもとへと至って、腹痛が止んだ時僕は手のひらに握っていた大粒の飴玉を口の中に放り込んだ。なぜならこれは魔法の飴玉でこれが溶ければ溶けるほどハスの身体が小さくなるからだ。だが、ハスは破壊その者みたいに丘を壊しながらこちらに迫って来る。ハスの通った足跡から血が柱のように噴出して空をさらに暗く汚していく。

 そして、ハスに踏まれて凹んだ大地が僕たちの足元すら揺るがすぐらいに彼は迫ってきている。僕もサーヤも経っていられない。そして、ハスのナイフがサーヤのつむじに達しかけた時、僕は殺意を持って飴玉をかみ砕いた。

 命を殺めて得る感覚とは到底思えない至高の甘味が僕の口の中を照らしていく。

 ハスのナイフはみるみる縮んでサーヤから丘の方へと引いていく。いや、縮んでいるのはナイフではなくハスだった。ハスの身体は今は僕の膝ぐらいの背丈しかなかった。そして、瞬きの間に彼は赤子の姿になった。

 飴玉の欠片が僕の頬の内壁を傷つけた。そうして流れた血の味が明るい甘味に溶け込んでいく。赤子になったハスの瞳は穢れのない水のようだった。そんな清らかな眼差しは僕の目を潤した後気体となって消えていった。ハスの身体は親指のように小さくなって、最後の瞬きで完全に消えた。ハスの姿も、最後の眼差しも、声の美しさも、ぬくもりも全部僕の体から去っていった。それは、ハスは僕の記憶やイメージの中にすらとどまらなかった。今はただ、僕にハスという友達がいたということと僕が彼を殺したという記録だけが僕の中に残った。


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