第10話

 「1000年前、この街に×××と名乗る少女が現れた。彼女は街のみんなと仲良くなって幸せに暮らした。そんなある日、龍が街を襲った。街は火の海になりたくさんの命が奪われた。×××は勇者の剣を手に、勇敢に龍と戦った。しかし、彼女は龍に敗れ死んだ。龍が勝ち街の人々は絶望した。だが、奇跡は起こった。龍は病に犯されて急死した。街を焼く炎も嘘みたいに消えた。街は平和を取り戻した。

 少女×××の死を街のみんなは悲しんだ。彼女は街に愛されていた。」

 「ぎゃはははは」

 大きなゲラ笑いに高尚な講義を断たれた僧正が睨んだのはハスだった。ハスは机に脚を投げ出し本のページをぺらりと捲って再び「ぎゃははは」と噴出した。ハスは腹を捩りながら大爆笑しているのだが、ハスが呼んでいるのは滑稽本でも戯画本でもなく難解な数学書だった。難しい数式の羅列の何がそんなにおかしいのか僕にはわからない。

 「ごほん」と僧正が咳払いをしてもハスはニヤニヤしながら数学書をめくり続けている。僕が肘でハスのわき腹を突っつくとハスは漸く本を閉じ立ち上がった。ハスは背筋をピンと伸ばして頭を下げた。

 「ごめんなさい。僧正様。」

 その必死な謝罪が通るにはもう遅すぎる。僧正は眉間が割れそうなほど顔をしかめて、足を大きく鳴らしながら教室を出て行ってしまった。講義は途中で中断になった。

 ハスはいつになくしゅんと俯いている。

 「仕方ない。帰ろう」


 僕とハスは寺院を後にした。僕たちの帰り道を歪んだ建物が寝て塞いでいる。先の災厄で街の建物はみんな横倒れになってしまった。そのせいで道は所々塞がれて街は眼色みたいになってしまった。

 ハスは帰り道でも相変わらずあの難解な数学書を開いてゲラゲラ割れっている。

 「なあ、何が面白いんだ?その本。」

 僕がそう尋ねるとハスはページをめくりながら「みらびだよ」といった。

 「あのためこのためとかどうだからとかじゃなくて、みらびダイヤに枝が生えるみや」

 「あれ?また、ダイヤなの?髑髏の首はどうしたのさ。」

 以前はみらびという接続詞のあとに続くのは必ず”髑髏の首が折れるみや”というセンテンスだった。しかし最近は”ダイヤに枝が入るみや”というセンテンスが多い。

 「髑髏?髑髏はまだ折れてないよ」

 相変わらず、ハスの言うことは僕には理解できない。しかし、ハスは決して狂人ではない。確かに、たまに変な行動を起こすけど彼の瞳には確かな常識が宿っている。長い付き合いの中で、彼の知性を疑ったことは僕はなかった。

 みらびという接続詞は因果でも逆説でも否定でもない。でもそれにはきっと何かしらの論理があるはずだ。その信念はまるで信仰のように僕の心に深く根を張っている。ハスの”みらび”とサーヤの数字の謎をいつか理解すること。それが僕の人生のささやかな夢なんだ。 


 「……い。……い」

 ハスに肩を揺すられて初めて僕は呼ばれていたことに気が付いた。先の災厄で僕は耳が悪くなってしまった。普段、会話はできるけど突発的に音が聞こえなくなることが増えた。今日の講義も本当は所々聞こえていなかったんだ。

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