第8話

 まるで自分の胃を底へと駆け下りているみたいに、斜面を踏むたびに僕はお腹が痛くなった。それは、サーヤもリンも同じみたいで二人とも一歩踏み出すたびに顔を歪めている。ようやく、丘を下りきって僕とサーヤは門の柱に背を預けてうずくまり一息をついた。

 「遅かったな。お前ら。」

 毬玉の隣の空間の腫れからそう毬玉の声が聞こえてくる。

 ハスはサーヤに手を差し出してニカッと笑った。

 「なあ、サーヤ。今のおれはいくつだ?」

 サーヤはハスの手を取りながら立ち上がった。サーヤの返事は彼女の歯型と一緒に空間に受肉され聞こえてこない。ハスもサーヤも辛抱強く声が聞こえてくるのを舞ったけどダメだった。サーヤは二本指を立ててそれをハスの方に向けた。そして、二本指を拳に畳んで今度は一本指を立て、次はその一本指をしまって残りの九本指を立てた。

 「219。219回目だな。ありがとう」

 ハスの声は相変わらず空間にも風にも土にも水にも受肉されずにまっすぐに僕たちの耳に届いた。その代わり、彼の声は水のように蒸発し僕たちの耳から去っていった。僕たちは彼の声を聞きながらその音色を熱を美しさを常に忘れ続けている。僕たちの体に残されるのは彼が発した言葉から味を抜かれた意味だけだ。

 ようやく腹痛が収まって僕が立ち上がるとハスは門を指さした。「さあ、行こう。街はあと少しだ。」

 僕は背中にハスと毬玉の圧を感じながら門を押した。

 両開きの門は砂や土を押しながら向こう側へと開いていった。門に扇形に均された土から赤い花びらが一枚現れた。風が吹いても僕が踏んでもそれは動きも汚れもしないからきっとカラーパなんだと思う。

 「20個目だ」

 そう言ってカラーパを指さしたのはリンだった。自分の声が思いのほか縛られずに響いたのに彼女自身が驚いている。僕たちの視線がそのぽっかりと空いた自分の口に注がれているのに気が付いてリンは頬を染めて俯いて二の腕のうろこを爪繰り始めた。

 「そういえば、カラーパ狩りをしていたんだったね。俺と玉兎は19個だから、お前らの勝ちだ」

 そう努めて冷静に言ったハスの目には一粒の涙が浮かんでいた。ハスはこの成長を喜ぶ親のようにその涙を指で拭って鼻水をずるずる啜った。

 相変わらずの突拍子もない感情表現。今にその文脈から孤立した不可解な涙が例のディスコスマーカーによって回収されるだろう。

 「みらび、ダイヤに枝が生えるみや」

 「あれ?髑髏の首じゃないんですか?」

 リンがハッとしたようにそう尋ねるとハスは表情を硬くして「お前ごときが口を開くな。ごみ人魚が!」と吐き捨てた。

 その言葉はリンどころか周りにいる僕ですらも傷つけるぐらい鋭利だった。

 「いくぞ」

 ハスはそう言って僕たちに背を向けた。僕たちが従うハスの背はなぜだか涙をこらえているみたいに小刻みに震えて見えた。

 リンはまた項垂れて二の腕のうろこを爪繰り始めた。そんなリンの肩を優しくつかんだのはサーヤだった。サーヤはリンを指さして、リンに指で数字を示した。

 「21」

 それがサーヤからリンに贈られた数字だった。一の位を表す右手の指が二本三本と次々に立っていき5本指を開いた後、サーヤは右手を返した。リンの数字は、見る見るうちに増えていき100を超えて両手では表しきれなくなった。サーヤは空を抱くように両手を大きく広げた後、花開くようにリンに笑いかけた。その笑顔が太陽のように明るくて僕はなんだか元気になった。背筋が自然に伸び自然と僕の口から笑みがこぼれた。

 サーヤはそんな僕に気が付いて目をこちらに流してくれた。そして、僕の胸に一本指で一回叩いた。休止を挟んで今度は僕の胸を指で九回叩き、もう一休止挟んで今度は7回叩いた。

 197 それが今の僕の数字らしい。

 「ありがとう」

 サーヤに向けた僕の返事は石ころのように僕の口から零れて地面に穴を開けて埋もれた。別に言葉が届かなくてもいいから、サーヤのこの眩しい笑顔がいつまでもぬくもりを失わないことだけを僕は願った。

 「到着だ!」

 ハスの柔らかい報告がバターナイフのように僕の顔から笑みを削ぎ落す。

 屋根が地面に突き刺さり土台が空を向く逆さまの家がぽつりぽつりと現れ始め、街の者たちが僕たちの行く道に人垣を添え始めた。

 街の人たちは僕たちを見て何やら喋っているみたいだが、その声は空間に喰いこんだり風に攫われたり、地面に落ちたりして閉じ込められ一切無音だった。

 ひときわ高い寺院が僕たちの前に立ちふさがった。この寺院もまた屋根が地面に突き刺さり床が空を見ている。その寺院から僧衣に身をくるんだ老人が出て来る。老人は道を横に指さした。僕たちはその指さしにしたがって道の脇にあるある建物へと向かっていく。

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