第5話

 最初、僕たちの視線を巻き取ったのはドレスシィ城だった。それは地平線を玉座とし、大きな丘を4つも5つも平伏させる高貴な城だ。その容貌は白いドレスの貴婦人のようで僕たちの目玉に透明な鈎針を掛けてでもいるみたいに僕たちの視線を引いて離さない。風が吹いて丘の草花が主たる城へ服従を示す。

 世界中のありとあらゆる場所、風に土に人の骨身にひそかに存在している鈴の幽霊たちがお互いをやはり見えない糸で結びつけあい静けさを保っていた。しかし、いたずらな天使がその糸を爪ではじいた。そんな音がした。これはもちろんたとえだけど、まるで世界そのものが一斉に歌いだしたみたいな天も地も風も海も敵も味方も生者も死者も聾者にさえもすべてに聞こえるきれいな音色だった。

 人はこれを冥鳴りと呼ぶ。

 世界の全ての場所で同時に聞こえる不可思議な音。無音のそれを除いては、冥鳴りには一つとして同じ音はない。誰も聞いたことのない未知の音色が時に僕たちの耳を楽しませ時に苦しめる。

 冥鳴りが止むとようやく僕たちの目はドレスシィ城から自由を許された。僕はサーヤと目を見合わせた。なぜか彼女は頬が赤く染まっている。

 毬玉が空気を噛んで虫刺されみたいな赤い粒が空間に生じた。その赤い粒から毬玉の声が聞こえる。

 「ハスはどこだ?」

 その腕でもなくしたみたいな悲痛なニュアンスに脅かされて僕は殴られたみたいに視線を振った。たしかに、ハスの姿はどこにもない。

 急に列車が大あくびでもするみたいな低い声をあげてレールを後戻りし始めた。「ちょっと。痛いよ。やめてよ」という女の声が列車によってもと来た道へと引きずられていく。車輪とレールがうまくかみ合わないのかガコンガコンと巨人の顎でも外れたみたいな音がしたときある事実が僕の脳天に矢を立てた。それは、列車に車輪が無いということだ。列車はまるで口から尻尾を剣に串座された大蛇のようにしなりを失ったまま過ぎた道へと引きずられていく。車輪の悲鳴みたいな金属音は聞こえど肝心の車輪はどこにもなくてただただ列車が幽霊のように浮き滑っていくだけだった。

 列車の喉笛に当たる部分のドアはだらしなく開いたまま後ろへ滑っていく。そのドアが慣性で閉じようとするその時だった。ハスが何かを鷲掴みにしながら列車から外へと出てきたではないか。まるでそれは、大蛇の腹を内側から斬り裂いて出て来る英雄のようでもあった。

 ハスが掴んでいるのは人魚の少女の髪だった。

 「痛い。痛いよ。やめてよ」

 人魚の少女の声が列車に閉じ込められたまま過去へと遠ざかっていく。

 ハスはこの人魚の少女を罪人のごとく懲悪した。その苛烈さに見かねてサーヤがハスの後ろに回り込みその肩関節を固めた。しかし、ハスのこぶしはサーヤの非力では封じきれずにそれは風を殴り続ける。

 僕は人魚の少女を毬玉に保護させた後、サーヤがハスを封じるのに助力した。拳をとらえ脚を固めてもハスの獰猛さは静まらなかった。ハスに殴られた空間は痛みを受肉し葡萄のように痛々しく膨れ上がっていく。

 「どうしたの?ハス?落ち着いてよ」

 判のように捺された空間の唇型からサーヤの制止が聞こえてくる。

 「ハス。落ち着いて、深呼吸するんだ。」

 僕もサーヤに続いてハスに呼び掛けるが、僕たちの制止はハスの熱を鎮めることはできない。僕は白い毬玉に助け舟を求めた。しかし、毬玉は無反応をもってそれを拒絶した。毬玉はいつだってハスの味方だった。ハスのやることならそれが善でも悪でも首を縦に振る毬玉の無能な父性が僕は嫌いだった。それを恐れてすらいる。

 ふいに、房のような痛々しい空間の腫れが一つ破れて血が一筋果汁のようにハスに零れた。空間の出血はハスの熱をすっかり冷ましてしまった。ハスが脱力したのを確かめてから僕とサーヤは彼を解放した。

 ハスはおでこの角を触りながら「ごめんよ。ごめんよ」と頭を下げ続ける。

 「ごめんよ。みらび、髑髏の首が折れたみや」

 

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