サイドストーリー 本田美邦

 美邦は東京の裕福な家庭で育った。

 父は医者で母は専業主婦だった。母は医者の妻であることをよく自慢して、「大海嘯が起きて会社員の方々は大変なようですけど、医者の仕事には変わりはありませんの」などと言っていた。

 美邦には「女の子でも医者になれば儲かるのよ」と口うるさく言って、医学部を受験させるために小学生の頃から夜遅くまで塾に通わせた。

 父は仕事が忙しくて育児を母親任せにしていた。

 母は何から何まで美邦のすることに口を出した。

 オモチャも母の気に入ったものしか与えられず、服を買いにいっても「これが似合うわね」と言われたものを着るしかなかった。

 小さい頃に母親に言われてピアノを学び始めた。他の子より早く上達するように夜まで無理やり練習をさせられた。

 母に従えば優しいが、少しでも反論するとキレられた。「いい子はお母さんの言うことを聞かなきゃ駄目よ」というのが母の口癖だった。

 周りに相談できる大人はいなかった。

 とても息苦しかった。

 父は育児について何も言わなかったが、土曜日にお腹が痛いのに母が美邦を無理に塾に行かせようとしたとき、「体調が悪いときに無理はさせるな」と言って止めた。医者としての良心だったのかもしれない。

 だから美邦は嫌なことがあると「お腹が痛い」と言って布団に入っていた。

 布団にくるまれていると安心できる。


 美邦は受験競争をどうにか生き抜き、中高一貫の名門女子校に入った。

医学部への合格率が高い学校だったので母は喜んだ。周囲には、さぼりたがる娘を叱咤して自分が勉強させた成果だと自慢した。

 学校には自分と同じように親に言われて医者を目指す子が多かった。

 だが、中学3年のときに自分のやりたいことを目指す友人と出会った。他の同級生は親の言うことを聞くしかないと諦めていたが、彼女は違った。

「自分の人生でしょ。自分のやりたいことを目指さなくてどうするの。」

 友人は大海嘯で大きな被害を受けた地域の支援をしたいと言っていた。自分のやりたいことを語る彼女は生き生きとしていた。

 美邦は生き方を変えることを決意する。

 学校では、地球温暖化による海面上昇で多くの都市が水没することは事前に分かっていたと習った。それなのにどうして温暖化を止められなかったのか、これから何をすべきか知りたいと美邦は思った。

 高校に進級すると、母親の反対を押し切って父親を説得して医学部受験のための勉強は止めた。地球温暖化について学びたいという美邦の希望を父は理解してくれた。

 母は泣き叫んでキレたが、美邦は怯まなかった。

 「私の人生はお母さんのものじゃない、私のものだ。」


 帝都大学には一般入試で合格したが、ダンジョン部に所属した。

 マナストーンは温暖化の原因となった化石燃料を使わないために必要だから、ダンジョン探索は大切な活動だと思ったこともあるし、両親に経済的援助は受けないと啖呵を切ったので、自分で稼ぐ必要もあった。

 荻窪の実家から大学に普通に通えるが、あえて美邦はダンジョン寮に住んでいる。

 祖父の影響で、小さい頃は剣道が好きだった。道場に通うことは母に止めさせられたが、探索者としてのジョブは戦士だし、どうやら近接戦闘に向いているようだ。

 ダンジョン部でどのパーティに入るか考えていたとき、他人から距離をとっている蘭を見かけた。

 蘭は、母に支配されていた頃の自分のようなうつろな目をしていた。

 声をかけてみると、蘭は家が貧乏なのでダンジョン推薦で入学したこと、以前怖い目に遭って男性は苦手なことをぽつぽつと話した。

 社会が信じられず殻にこもっているとき、他人に自分のことを話すのは難しいことを美邦は知っている。

 だから話してくれた蘭の信頼に応えたいと思い、パーティを組むことを提案した。

 だがパーティを組んだのはいいが、3人目がなかなか見つからない。1年生の女子2人ではまともな探索はできないが、蘭が怖がる人をパーティに入れるわけにはいかない。

 美邦が悩んでいると、寮の共用棟のカフェで紅茶を飲んでいる顕嗣を見かけた。

 理知的で穏やかそうな外見は、どちらかというと体育会的な雰囲気のダンジョン寮では珍しい。

 美邦が話しかけてみると、思ったとおりの人柄だった。

 この人ならいけるかもしれないと思い、蘭を引き合わせた。

 蘭は怖がるどころか、なぜか安心するとまで言った。

 美邦は事情を話して、顕嗣にパーティを組んでほしいと真剣に頼んだ。

 すると顕嗣はパーティを組んでくれた。後になって、他のパーティに入ることが内定していたのに断りを入れてくれたことを他の人から聞いた。


 ダンジョンでは最初は剣を使っていたが、そのうちに槍に適性があることが分かった。

 顕嗣に言わせると、動体視力と反射神経に天性のものがあるらしい。可愛げのないことだと自分でも思うが、槍を振るうのは楽しい。

 二年生の春になって、レアジョブを持つ一年生が二人もパーティに入ってくれた。蘭が怖がらないという条件を満たし、しかも将来性もあるルーキーたちだ。

 自分たちのパーティはきっと強くなると美邦は期待している。

 ダンジョンに危険はあっても、このまま行けるところまで進んでみたい。

 トップ探索者は収入が多く、社会への影響力も大きい。

 医者が社会で一番偉いと思っている母に見せつけたい思いもあるのかもしれない。

 でもそれ以上に、幼かった頃の自分に見せたいと思えるような大人になりたいと美邦は思っている。



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