第3話 先輩のピアノと同級生

 初めてのダンジョン探索から寮に戻ると、宗人は自分の部屋で落ち込んでいた。

 気持ち悪くなって吐いて動けなくなるとは。

ダンジョン探索の様子は福岡でVR動画をたくさん見た。ゴブリンとかコボルドとか人に近い魔物を倒すシーンを見ても平気だったし、覚悟はできているつもりだった。

 でも実際に戦ってみると、全然違った。

 魔物の肉に剣が食い込む感触、鉄みたいな血の匂い、それに引き裂くような叫び声……リアルは映像とは別物だった。

 本田先輩がいなければ死んでいたな。

 ベッドに転がって天井を見ながら宗人は考え込む。

 初心者ダンジョンの二層をクリアしたくらいで探索者に向いているとか調子に乗っていたのが恥ずかしい。


 しばらく落ち込んでから、いつまでも部屋にいても気分は変わらないと思い、宗人は寮のカフェに行くことにした。

 部屋のドアを開ける。木製の立派なドアだ。結構高そうで、最初に見たときは驚いた。

 学生寮は思ったよりも豪華なつくりだった。相部屋じゃなくて個室だし、広さは30㎡くらいありそうだ。

 ダンジョン探索をする学生のために寮だから「ダンジョン寮」と呼ばれている。ダンジョン推薦の学生だけじゃなく、一般入試で入学してダンジョン部で活動している学生も住んでいる。

 ダンジョン寮は設備も充実している。

 各部屋にエアコンがあるのはもちろんのこと、ベッドと机・椅子は備え付けで、寛げるソファも置かれている。家具はシンプルなデザインの中にも品格のある北欧テイストで統一されていた。

 クローゼットは大きくて、宗人のように服を少ししか持っていない男子には広すぎるくらいだ。

 ユニットバスには人造大理石の洗面台があってホテルみたいに綺麗だし、ゆっくり風呂に入りたければ、男子寮と女子寮のそれぞれに大浴場もある。

 男子寮と女子寮の真ん中には共用棟があって、食堂やカフェ、ジム、プール、さらには音楽室や図書室まである。

 寮の豪華さに驚いていると、案内してくれた先輩は「命がけで国のためにマナストーンを採りに行くんだから、豪華すぎるなんてことはないよ」と言っていた。

 なぜかダンジョンに軍人や政府関係者は入れない。会社に雇われてダンジョンに入ろうとしても駄目だった。誰かに命令された者をダンジョンは拒む。


 男子寮から渡り廊下をわたって共用棟に入り、カフェに向かって歩いていると、ピアノの音が聞こえてきた。

 誰が弾いてるんだろうと思って、宗人は行き先を音楽室に変えた。

 音楽室のドアをそっと開けると、ピアノを弾いていたのは本田先輩だった。

 凛々しく剣を振るっているときとは印象が全然違う。

 少し憂いをたたえた横顔は神秘的で、長くしなやなか指が鍵盤の上を踊っている。

 音楽室には先客がいた。

 宗人と同じ新入生だ。名前は確か伊達透士(だてとうじ)だったかな。

 新入生の自己紹介のすべては覚えていないが、透士は背が高くて秀麗な顔立ちだったので印象に残っていた。

 宗人に気付くと、透士は黙って隣の椅子を指さした。

 演奏の邪魔にならないよう、宗人はそうっと椅子を引いた。

 「心に響く音だな。」

 隣りに座ると、透士は小さな声で話しかけてきた。

 「そうだな。幻想的な旋律で、何だか沁みるな。」

 宗人も小さな声で返事をする。

 「ああ、ドビュッシーの月の光は、ダンジョンで醜態しゅうたいをさらして落ち込んでいる今の気分にはぴったりだ。」

 宗人はクラシック音楽に詳しくないが、今の気分にぴったりというのは同感だった。

 「俺もダンジョンで醜態をさらしたよ。ゴブリンを倒すうちに吐いて動けなくなった。」

 「そうか、俺と同じだな。」


 やがて演奏を終えた先輩はこちらを振り返った。

 「どうしたんだい、二人とも。」

 「何だか心に沁みました。少し元気が出そうです。」

 「落ち込んでいたんですが、気持ちが楽になりました。」

 「褒めても何も出ないぞ。」

先輩は苦笑した。

 「実はピアノにはあまりいい思い出がないんだ。でも一人で暮らすようになると不思議に弾きたくなるときがあってな。まあ、少しでも君たちの役に立ったのなら良かった。」

 こんなにピアノが上手いのに、いい思い出がないのはどうしてかなと宗人は思ったが、先輩は少し寂しそうな表情だったので、聞かないことにした。

 「ところで、二人とも落ち込んでたようだが、ゴブリンを初めて倒したときに吐くのは通過儀礼だぞ。むしろ何も感じない奴のほうが怖い。二人ともレアジョブを得たんだし、これからきっと伸びるよ。


 その後、宗人と透士はカフェでコーヒーを飲んだ。食堂とは別にカフェがあるだけでも充実した施設だが、カフェではいつでも無料でコーヒーマシンやティーサーバーが使える。

 夜なので他に人もおらず、二人はゆっくり話せた。

 大学のことや故郷のことなど、いろいろ話した。

 透士は愛媛の出身だったので、宗人も自分は福岡だと言い、九州と四国の違いはあっても西の方の出身というのは一緒だと少し嬉しくなった。

 それから山手線には時刻表がなくて驚いたとか、地方出身者によくある話題で盛り上がった。

 だいぶ仲良くなった感じがしたところで、透士はぽつりと言った。

 「環境を壊した大人たちは愚かだ。ダンジョンに入れるのは若者だけっていうのは、大人に絶望して若者に期待してるんじゃないかという説もある。ダンジョンにはおそらく何者かの意思が働いている。それを知れば、この壊れかけた世界を何とかするきっかけになるかもしれない。」

 はっとした様子で透士はごまかすように笑った。

 「会ったばかりなのに妙に大げさな話をしてすまん。忘れてくれ。」

 「いや、俺も同じようなことを考えていたよ。ダンジョンの謎を知りたいと思って東京に来たんだ。」

 「そうか、俺と同じか。」

 こうして二人は意気投合した。


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