逆さ坊主

 我ながら力作だった、と亜紀は思う。

 小学校の休み時間に一人、空き教室に籠って作成したそれは、しっかりと役目を果たした。その結果、

「あーちゃん」

 母親に正座させられていた。本気で怒っている。

「あれは、なに」

 指さされた先には、ベランダ前の窓、そのカーテンレールにかかるテルテル坊主亜紀の力作

「テルテル坊主」

「なんで、逆さなの?」

 目を尖らせる母の追及に、

「……雨が、ふって、ほしかった、から」

 素直に応じる。詰まったのは、仮に逆さのテルテル坊主によって目的が達成された際に発生する諸々の不利益を自覚していたために他ならない。

 母はにじり寄ったあと、顔を上げなさい、と告げる。指示に従えば、母の後ろに、いつの間にか帰ってきた父がポカンとした顔をしているのが見えた。

 さっきの言葉を聞かれたことに、亜紀は激しく動揺する。

「なんで、雨が降って欲しかったのか、言ってみて」

 母の問いに、亜紀は言葉を失う。できれば、父の前では言いたくなかった。

「よく、わからないけど、その辺にしておかないか」

 状況を理解していないとおぼしき、父の助け舟に、母が、

「あーちゃんを甘やかさないで」

 と叫ぶ。近頃、いつになく苛々しているように見えたが、理由の一端を亜紀もなんとはなしに察してはいた。

 って言ってもなぁ、と頭を掻く父は、さほど逆さ坊主の件に関心はないらしい。しかし、母はより苛立ちを深めたらしく、

「ダメなことははダメってちゃんと教えてあげるべきでしょ」

 なにがなんでも亜紀に理由を言わせる、という決意を深めてしまったらしい。

 父は、そうかもしれないけど、と形としては同意を深めつつも、相変わらず気乗りしないらしい。それに水を得たらしい母は、だからあなたの口からも厳しく言ってあげてよ、攻勢を強める。

 これ以上は、お父さんを疲れさせてしまうだけだと判断した亜紀は、

「お父さんに、家にいてほしかったの」

 本音の八割方をポツリと呟いた。

 ここのところ梅雨時にしては珍しく晴れが続いていたのもあって、この時期にしては父の仕事が多かった。それによって、父とともにいる時間が著しく減っていた。ずっと一緒にいたい亜紀としては看過しがたい事態と言える。

 同時に、夜中トイレに起きた時、どことなく疲れた顔をした父と母が話し合いを目にしていた。その時、思った。

 。とはいえ、両親の話し合いの趣旨が、お金だったのも聞いている。この願い叶えば、家に迷惑がかかるかもしれない、と。

それでも、亜紀は父と一緒にいたかったし、ゆっくり休んで欲しかった。

「いっしょうけんめい、はたらいてくれてるのに、ジャマしおうとして、ごめんなさい」

 頭を下げながら、怯えを深める。もしも失望されたらと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。

「あーちゃん」

 見上げて、ごめんなさい、と絞りだす。しかし予想に反して、屈んで目線を合わせてくれた父の表情はとても穏やかだった。

「ごめんな」

 おまけに頭まで下げた。わけがわからなかった。

「なにやってるの、あなた」

 母の言葉に、心の中で深く頷く亜紀に、父は、

「そもそもの原因は、あーちゃんや君を寂しがらせてしまったことだろう。だったら、まず、謝るべきは俺だよ」

 お母さんもごめんな。そう言いながら、背を向けた父。少しだけ、寂しくなる。

「そんなことしないでよ」

 動揺を深める母に、父は、って言っても心配させたのは俺だしな、と頭を掻いた。そして、呆然とする母に背を向け、再び亜紀の方を見た。

「あーちゃん」

「うん」

 何だろう、と思っていると、

「明日、もしも雨が降って、仕事が休みになったら、遊びに行こうか」

 父はそう優しく告げた。嬉しかったが、それでいいのか、と亜紀は思う。

「ちょっと、あなた」

 この気持ちは母も同じらしく、声をやや荒げるが、父は気にした様子もなく、

「ねえ、母さん。あーちゃんを幼稚園に迎えに行ってた頃に通ってた土手を覚えてる?」

 気楽に尋ねる。ええ、と頷く母に、

「あそこに鬼灯があるのを知ってるか? そろそろ、見頃だと思うんだよ」

 満足げに告げたあと、なっ、みんなで行こう、と促した。

 母がどこか納得いかなそうにまた、ええ、と口にするのを見ながら、亜紀は心の底から喜べない自分を見出す。一応は丸く収まった。けれども、父は、あの土手のことを持ち出した。。そう思うと、拭い難い不満が残った。

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