来訪者①


 その日は、本当に何気ない一日になるはずだった。


午前9時に起きると外の気温はもう高くて、シャワーを浴びてからリビングに行くと珍しく姉の亜渦流あかるが帰ってきていた。


「学校は?」

「今日から夏休み」


コーヒーを飲みながら聞かれるので、俺も冷蔵庫から麦茶を取り出しながら背中で答える。


つけっぱなしのテレビでは、珍しい彗星すいせいが近づいているというニュースにタレント達が楽しそうに騒いでいる。


「ああ、そっか。学生は気楽でいいねえ」


しみじみとした声を横目にテーブルにつくと、頬杖をついた亜渦流にジロリと睨まれた。


「あんた、進路はどうするの?」


どうせ聞かれると思っていた質問を聞かれた。


「……別に。このまま大学に上がろうかなと」


うちの高校は付属のため、ほとんどの生徒がそのまま内部進学を選択する。


「それはいいけど、その先は? 就きたい職業とか、やりたい仕事はあるの?」


矢継ぎ早の声が、起きたばかりの頭にキンキンと響いた。


「それは、大学に行ってから……」

「まさか、あのゲームで生きて行くとか言わないでしょうね?」

「クダラノな」

「それ。確かにすごい額の賞金貰ってるけど、仕事にするにはやっぱり不安定だと思うの。それに結婚して子供が出来たら、父親がずっと家でゲームやってるのもちょっとアレだし。そもそもやり甲斐とか……」


延々と続くトークに耐えきれなくなった俺は、ふらりと椅子から立ち上がった。


「ちょっと、亜汰流」

「あー、その話はまた追い追い」


冷蔵庫から昨日買っておいたコンビニのサンドイッチを取り出し、自分の部屋へと逃げ帰る。


「まったく」


背後からの姉の不機嫌な声は聞こえないふりをした。


我が家は父親が不干渉な分、たまに会った姉がこうして俺の行く末を心配してくる。


死んだ母さんの代わりという思いもあるのだろうが、毎回だとうんざりしてしまうのが正直なところだ。


実際のところ、クダラノで生きてゆくことは可能だと思う。


今のところ規模が大きすぎてサ終なんてことはないだろうし、今の段階で もう一生働かなくていい賞金は貰っている。


けれど俺は、亜渦流が言うような世間体とか不安定という理由とは違うが、そういう未来を考えたことはなかった。


確かにクダラノは長年生活の一部だったし、アタルもアマテラスも俺の半身だ。


人生のほとんどを捧げたと言って過言ではないが、けれど人生の全部かといえば、それははちょっと違う。


まだ自分の将来のことなんて想像も出来ないけれど、今までの10年と同じような気持ちで、これからの10年もクダラノとはつきあっていきたい。


漠然ばくぜんと、そう思っていた。


そんなことを考えながらベッドの上でサンドイッチを食っていると、床に置かれたクダラノの機器が目に入る。


せっかく夏休みに入ったのだから、ネカフェにも本屋にも行きたい。髪も切りたかったし、近所に出来たという映画館にも興味があった。


夕方あたりからログインすればいいかと思っていたが、今リビングに出ていけばまた亜渦流のお説教をくらうのは確実だ。


「仕方ない」


誰に言うでもなく言い訳をして、俺は床の上に座る。


もう何万回と繰り返した動作。


目をつぶり、体の力を抜いて。


俺はクダラノの世界へと潜り込んでゆく。


前回と同じように、ネタバレ絶許システムのスイッチはオンになったままだった。



 「あれ」


見知らぬようで、どこかで見たことのあるような……そんな天井を眺めながら俺は目を覚ました。


なんとなく、自分がゲームの中にログインしたのだという事実はボンヤリと分かる。


けれど、自分がどうしてそんなことをしたのかは何故かすっぽり記憶が抜け落ちたようになっていた。


 「あれ、アタルきてたの」


しばらくベッドでボーっとしていたが何も起こらないので、仕方なく部屋の外に出るとそこはどこかの家の中のようだった。


目についた階段を下りてゆくと、広間のようなスペースには3人ほどの人物が座って楽しそうに茶など飲んでいる。


見知らぬ男の姿に驚かれるのではないかと身構えたが、その中の黄色い髪をした少女は俺を見て当然のように言った。


「……えっと」


「ミドリコも午後から来れるらしいぜ。なんか練習試合の予定が変わったとかで」

「キャンディもそろそろインすると思います」


続けて赤髪の少女と金髪の女性にも交互に言われるから、これはのだと直感的に悟った。


「あ、ああ」


呟いて階段の途中で止まってしまう俺に、3人は顔を見合わせる。


「ちょっと、またそのパターン?」

「最近どうしたんだよ」


嫌そうな顔をされ、自分に起きていることを何となくだが把握した。


多分、いや、きっと俺は


目の前の彼女達が嘘や冗談など言っていないのは分かる。ならば、おかしいのはこちらのほう。


それに……不思議と、こういうことは初めてじゃないような気がした。




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