逃げる女③

「……でも、ありがとうございました。ちょっと落ち着きました」


散々大声で泣いた後、カーラさんは真っ赤な目をこすりつつ俺達に頭を下げた。


「それは構わないけど……、これからどうするんだ?」


尋ねたアカネの問いに、その青白い顔は宙を見つめる。


「あの人達、気に入らないプレーヤー1人を大勢でどこまでも追い回していじめ抜くんです」


ポツリと語られた話は、俺達が今まで聞いていたイクリプスのイメージ通り。


あいつら、一体どれだけの悪事を働いているんだ。


「最初は、ゲーム内の嫌がらせなんて無視してればいいって思ってました。……でも他の人から悪意を向けられるのってすごく心が痛い」


また声を震わせながら一生懸命に話してくれるカーラさんの感情は、誰しも経験があるものだと思う。


「自分が全部否定されて、生きてちゃいけない人間みたいに思えてきて。……最近はクダラノから現実に戻った後でも気分が落ち込んでしまうんです」


匿名同士の関係なんて、何かあればスルーかブロックするだけ。


自分自身でさえ最初はそう軽く考えてしまう。


けれど、悪意のある言葉、向けられる敵意、踏みにじられる感情。


それらは、非現実世界で行われたものだとしても確実にアバターの体を貫通し、本人の心へと突き刺さる。


「クダラノを、やめるの?」


かすかな声で聞いたのは、それまでずっと黙っていたキャンディだった。


「分からない……。でも、今はここにいることが怖い」


カーラさんの答えに、小さな唇は「そっか」と小さく呟くだけ。


「……何だか、長居してしまってごめんなさい」


椅子から立ち上がったカーラさんは、俺達を見回し笑顔を作る。


「色々とありがとう。もう大丈夫だから」


そう頭を下げて去って行こうとするから、思わず俺も椅子を蹴っていた。


「大丈夫じゃないだろ?」


このままエリアに出たら、また すぐにイクリプスの連中に見つかってしまう。


「……大丈夫。クダラノはゲームだもん。嫌になったらやめればいいし」


そう笑ってみせた彼女の本音が、そんなことを望んでないのはこの場の誰もが分かった。


クダラノは、たかがゲーム。


けれど、他の誰でもない自分として長い時間を過ごし、そこには感情も思い入れもある。


他者からの悪意のせいで諦めるなんて、あってはならないはずだ。


「そんなことは……」


カーラさんを引き止める言葉をかけなければいけない。


そう思い、口を開きかけた俺は。


「やめるなんてダメだよ!」

「ここにいればいいだろ」

「私達も協力するから」


立ち上がったヒロカ、アカネ、ミドリコの勢いに、お株を奪われていた。


「……え?」


当然 俺ではなく、カーラさんは3人娘を見つめる。


「何も悪くない人が嫌な思いするとか許せない」


心から憤慨している様子のヒロカ。


「どうせ部屋は余ってるしさ、ベッドもすぐに運べるぜ」


白い歯を見せて笑うアカネ。


「私達もイクリプスとは色々あったけど、何とかなってるしね」


と、俺へ視線を向けてくれるミドリコ。


「あ、ああ。カーラさんが楽しくクダラノが出来るよう、皆で考えよう」


最後にそうまとめることで、なんとか恰好をつけることが出来た。


「……そんな」


その言葉を噛みしめたグリーンの瞳に、また涙があふれ出す。


「ご覧の通り、ここの奴らはイクリプスよりもしつこいんだ。どこに逃げても捕まえに行くぞ」


ちょっと冗談めかして言うと、やっぱりカーラさんは声をあげて泣き出した。


「な、なんで。私なんかのために、そこまで……っ」


よく聞き取れなかったものの、そんなことを言っているらしい。


とはいえ、何でと聞かれても俺達にもよく分からない。


元々 人助けなんてガラじゃないし、正義感に燃えるようなキャラでもない。


俺に至っては、いつも3人娘に引っ張られてなんとなく……というのが正直なところだ。


「ま、イクリプスはいけ好かない連中だしさ」

「そうそう、あいつらの好きにさせるのはムカつくもん」


アカネとヒロカが言うように、自分達がそうしたいからそうする。


理由なんてそんなもんで十分だろう。


「みんな……」


その光景を泣きはらした顔で見つめたカーラさんが何かを口にしようとした時。


ガシャーンッ!


という耳をつんざくような音に、俺達は一斉に身を凍りつかせた。


この広間の窓ガラスが割れた音。


そう気づいた時には、玄関のドアが乱暴に開き4~5人の男達が広間へと乗り込んできていた。


「なんだ、お前らはっ」


突然のことに理解が追いつかないまま、俺は上ずる声で叫ぶ。


けれど、頭の片隅では聞く必要もなく分かっていた。


イクリプスの連中だ。

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