第7話 私は魔術師団長〜王女〜③

 押し出されるように舞台の真ん中に立たされたのは、およそ王女には見えない格好をした少女だった。

 事前に順番を知らなければ、彼女を『王女』とは思わなかっただろう。

 くすんだ薄緑のドレスにはフリルもレースもリボンもなく、髪は辛うじて結い上げられていたが飾りの一切もつけていない。

 あんなにお粗末な披露をした妹王女は、今少女の間で流行っているスタイルのドレスにふんだんにフリルとリボンをあしらい、頭と同じサイズの大ぶりな花飾りにまで水滴を模した宝石が輝いていた。


 (ここまで…か。ここまでするか!?)


 所詮は他所の子供、と思ってはいる。第一に考えるのは自分の子供、自分の家族。そして一族と魔塔と魔術師団。この考えを変える気はない。しかし、それにしても今放り出された少女は、およそ王女には見えない。


 (最も金のない家門でも、子供にあんな格好はさせまい)


 鉢合わせはしなくとも、チラリと垣間見えるくらいはしたことがある。

 その時にはまるで往生に出入りしている下働きが、少しめかし込んだ程度のドレスを着ていた気がする。

 供もつけずにお忍びでやってくる以上、身分を隠すためにあのような格好をしていたのだと思っていた。


 人の親として当たり前の同情心で眉根が寄るのを抑えられず、舞台上の姉王女ルシエラ殿下を見つめる。

 放り投げるように乱暴に立たされたにも関わらず、1つ深呼吸をしすぐに持ち直すと、まるで周囲の全てが目に入っていないように深く集中を始める。

 ごくごく自然に合わされた両手を中心に魔力の放出を始め、ドレスが淡く輝き始めた。

 第一印象のインパクトも瞬間で冷めた者や、噂を信じきっている者たちは『どうせ大したことは出来ない』と言いたげにニヤついたいた顔をしていた。

 ドレスを光らせる程度のことしかできないのだろう、と笑いだす者まで。

 だが、ドレスはただ光ったのではないことにすぐに気がついた。

 無地のドレスと思われたが、同色で施された刺繍が術式を描き輝いていたのだ。

 刺繍で布地に術式を描くのは、魔術師団でも魔塔でも昔からやっている技法だ。

 ただ、より正確に描かなければいけない術式を、紙にペンで描くならともかく針と糸で縫い刺していくのはそれなり以上の技術がいる。


 やがてドレス全体に緻密に施された術式全てに魔力が巡り、何の装飾もない見窄らしいドレスがエメラルドのように輝きを放つ頃、王女の目の前には澄んだ大きな水球が作られた。

 会場の高い天井を目一杯に育った水球は、砂の海底、珊瑚の岩礁、群れる小魚が気泡で作られている。

 明かり取りの天窓から入る陽光により、眩しいほどに美しい幻想的な水球は、十分に会場中の人間の目を楽しませた後、海中を擁する大きなクジラになった。

 感嘆の歓声を受け、優雅に空中を泳いだあと、開け放たれていた窓の1つから庭に出たクジラは気持ちよさそうに庭を1周し、細かな霧となって文字通り霧散し消えた。

 美しく整えられた花々を潤し、虹がかかるその光景に誰も言葉を発しなかった。

 いや、言葉など出るはずもなかった。

 ただただ、呆気に取られ今見た光景が幻だったように、夢でも見たかのように信じられなかったからだ。

 

 最初に正気を取り戻したのは、司会進行役だった。

 それまで立板に水の如くされていたアナウンスを、何度も噛みながらようやく次の芸術実技開始の宣言がされる。

 もう、全てが児戯だった。

 いや、今までも子供のやることなので大人や専門職からすれば児戯ではあったが、どうしようもないほど、全てが見劣りしてしまった。

 歌っても、踊っても、誦んじても。何をやっても、あの夢幻には及ばない。

 ここでも妹王女の披露したものは、さらに輪をかけてお粗末だったが誰もそんなことを気にしてはいなかった。


 気になっていることは、たった1つ。姉王女殿下が次は何をするのか。


 彼女の実技は今度は、魔術式の描かれた小さなメモ用紙をピアノにはりつけ普通に演奏を始めた。

 それは単調で単純で…面白みも何もない演奏だった。

 指1本で、同じフレーズを何度も何度も繰り返す、習いたての幼子の演奏だった。

 メモ用紙の術式が発光しているので、展開はされているはず。しかし、何も起こらない。

 先ほどのような大掛かりな仕掛けを期待していたのに、盛大に肩透かしを食らった慣習は鼻で笑い、今度こそバカにしてやろうと演奏の終わりを楽しみにニヤニヤと笑っている者もいた。

 その後も姉王女殿下は、メモ用紙を貼り付けては演奏し、またメモを貼って演奏する。

 指1本から徐々に演奏になった頃、徐ろに立ち上がり深く息を吸うと歌い始めた。

 ピアノに貼られたメモ用紙の全ての術式が輝き、およそ1つのピアノで奏でているとは思えないほど複雑で深い演奏…いや、伴奏で子供特有のやや高い澄んだ歌声は会場中の隅々まで染み入るように響く。

 何より歌詞が素晴らしい。

 『きみがよは』と、歌い出されたその歌詞の『君』とは、つまり『君主』であり『女王』のこと。

 女王の治世が何年も続くように、と願う歌にも思えるが、この『君』を『女神』に置き換え、女神が加護する国の平和が続くようにと、神を讃える歌にもなる。

 さらに、『君』を君主や女神ではなく『恋人』あるいは『思い人』に置き換え、愛する人物といられるこの時間が、ずっと続いて欲しいという恋の歌にもなりえる。

 たった1曲の短い曲に行く通りも意味を乗せるその作詞の才能も、1人でに、それも幾重にも重なる複雑な伴奏を可能にしたピアノの術式も、どれをとっても子供の域を超えている。

 大人でさえ、出来るものも限られるだろう。


 姉王女ルシエラ殿下は、再び会場の空気を幻想に誘い伴奏の余韻も残しながら優雅にお辞儀をして舞台ステージを降りていった。




 あの後、空気に飲まれず、王女を追いかけ息子ベルゴールを紹介したことに後悔はない。

 3年間も放置した大人の私が、今更ながらに『後ろ盾になります』と近寄るより、ずっと良いだろうと判断したまでだ。

 あの才能はダメだ。

 王族の義務だかとか、暗愚の女王のためだとかで人身御供にするにはあまりにも惜しい。

 それに国が滅びようとも魔塔は滅びない。

 あそこは独立組織であり、庇護下にあるわけでもない。

 魔術師でもない人間で保護できる人数は限りがあるが、それでも幾らかは救える。

 それは主に自領の領民になるだろうが、構わない。

 私が守るのは、まずは家族。それと、自領と魔塔と魔術師団。

 それらが無事で平和で、あと研究ができるなら国が滅びようとも興味はない。

 どうせまた次の君主が生えて出てきて治めるだろう。


 「バカな連中だ。女神の加護に目が眩み過信し、それ以外を蔑ろにする。本当に国を守ろうとするなら、先ぼそりの加護や権威より人材だろうが」


 吐き捨てるように呟いた独り言に、副官が小さな声で『そうですね』と静かに同意した。

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