第6話 森の出逢い

 村を目指して散歩がてらボクは森の中を進んでいた。来た道を戻っている筈なのだが、中々獣道が終わらない。

 さっきからとある予感が脳裏に浮かぶが、それを証明するように森が村にボクを一向に返してくれない。


 やはり、ボクは森を彷徨っていた。


「早く帰らないと────」


 ボクは焦っていた。またあの眼に睨まれると思ったら、脂汗が吹き出してくる。また見つかれば今度こそ逃げられないからだ。さっきは何故か運良く引いてくれたけど、次はそうとも限らない。


 なんとか草を掻き分けて進んでいるが、どんどん奥に入り込んでる気がしてならない。けれど、じっとしていては帰れる訳が無いので、進むしかなかった。


 そして、暫く彷徨う中で、希望の光とも言えるあの白い女の人にボクは偶然出会った。

 

「……おねえちゃん、だぁれ?」


 隆起した木の根に腰掛ける、全身を白の布に包まれた美人にボクはいつの間にか話しかけていた。助けを求めようとした筈が、あまりのその姿の輝かしさに彼女のことを知りたい欲求の方が上回ってしまったのだ。

 

 村へ帰れない事に対する恐怖では無く、未知な存在に対する好奇心の方に心の天秤が傾いてしまった。


「────えっと、それは私に聞いてる……のよね。そうよね。えっと、私はアナベル。キミはもしかして人間?」

「え?人間だけど……おねえちゃんもそうでしょ?」


 ボクがそう言うと、おねいちゃん──アナベルはふふふ、と囁くように笑った。


「私はね、人間じゃなくて魔女なの。初めて会った?実は私も初めて人間に会ったわ」

「……アナベルはここで何してるの?」

「んーとね、何もしていない、って言うのが答えかな。キミこそ、なんでここに?」

「ボクはね、アナベルに会う為に来たんだ!」


 偶然ながらも見つけた、純白の可憐な人。幼さを残す顔をしていながら、ボクを見つめる視線には慈愛に満ちていた。どこか達観したような瞳。けれど笑う顔は少女そのもので、とても愛らしく感じる。


「まあ──!私に会う為に来てくれたの?嬉しいわ!……キミ、名前はなんて言うの?よければ教えて頂戴」

「ボクはレイだよ」

「レイって言うのね。ええ、素敵な名前だわ。光のように優しくて、どこまでも深い愛が込められているのを感じるわね。そういえば、お父さんやお母さんはどうしたの?」


 ボクは森で彷徨っている事を思い出し、村に帰れなくなっている事をアナベルに伝えた。


「あらまあ、それは大変ね。でも大丈夫。私が責任持って村までレイの事を送り届けるわ」

「でも、この森は広くて簡単には出られないよ。アナベルも迷ってるんじゃないの?」

「いいえ?私は迷ってなんかいないわ。自分の家の中で迷う人がいると思って?」

「家の中って、家なんてどこにも無いけど……」


 莫迦真面目に周りを見渡して家らしきモノを探すボクを見て、アナベルは小鳥が囀るように可愛らしく笑った。

 そして、腰掛けていた岩のような木の根から腰を上げて、ボクの目の前に立った。お母さんと同じくらいの身長だとボクは思った。


「森の魔女アナベル。それが私のなまえ。そして、この森全てが私の家なのよ。だからレイを送り届けるのは簡単ね。──お父さんお母さんが心配するわ。さ、早く行きましょう?」


 ボクの手を取って、有無を言わさずに獣道を慣れた足取りで進んでいく。

 不意に触れたその手は冷んやりとしていながら、どこか暖かった。その温もりの在処を探してみると、ボクの心が温まっていたのだ。


 左右に揺れる白く長い髪は、白鳥の翼を思わせた。自然の中では決して見られない、純水のように透き通る白。


「アナベルは村の場所わかるの?」


 ボクの手を引きながら歩くアナベルの背中に問いかけた。すると、アナベルはボクを横目にもちろん、と自信をもって言い切った。


「言ったでしょ。この森は私の家だって。レイが自分の家の周りに何があるのかが分かるように、私もこの森の周りに何があるのかは分かっているわ。だから私に任せて。野生の動物たちも襲ってくる事は無いわ。あの子達は優しいからね」

「でも実はボク、さっき追いかけられたんだよ。凄く怖かった」

「あらまあ。それはごめんなさい。多分、レイを追いかけた子はキミと遊びたかったのよ。ヤンチャな子だったのかも」

「そうなの?でも、凄く目が怖かったけど」


 すると、アナベルは急に立ち止まってボクに振り返った。そしてしゃがみ込んでボクと同じ目線になったかと思えば、ボクの頭を優しく撫で始める。


「レイはまだ何も知らない。知らないから怖がるの。けれど、それは間違っていないわ。だって知らないんだもの。怖がるのは当然ね。だから知ればいいのよ。怖くないんだって、大丈夫なんだって、勇気を持って知れば────キミは一つ、恐怖を乗り越えて成長した事になるの」


 名残惜しく、ボクの頭からアナベルの手が離れていく。その手はそのまま、誰かを手招くように森の方向へ伸ばされた。手首を曲げて数回動かして、おいでとに向かって小さく声をかけた。


「ほら見て。私のお友達が来たよ」

「アナベルの友達?」


 そう言ってアナベルの視線の先をみると、親子の鹿がノコノコと心を許したようにやってくる。

 草を揺らしてやってきた鹿たちはアナベルの手に顔を添わせた。


「レイも触ってあげて。……大丈夫、怖くなんかないわ」

「う、うん」


 ゆっくり、本当にゆっくりと子鹿に向かって手を伸ばす。その子鹿はボクの手を見ると、意外にあっさりと顔をすり寄せた。その様子を見る親の鹿もボクを攻撃する事なく、自らの子と触れ合う事を許してくれている。


「ね?怖くないでしょう?」

「うん!可愛いね、この子達」

「うふふ。仲良くなれそうでよかったわ。……うん。何事もまずはお互いを知る事から始めなきゃね。勝手に怖いだとか嫌だとか思い込まないで、少しずつ歩み寄っていくのが大事よ」

「おたがいを知ることが、だいじ……?」


 レイにはまだ分からないかもね、とクスッと笑って見せたアナベルは鹿から手を離して立ち上がる。それを見た親子の鹿は森の茂みの中に消えていった。


「それじゃあ行きましょうか」

「うん!」


 再びを逸れないように手を繋いで、鼓動がやたら激しくなる心臓を胸を抱えながら、ボクはアナベルについて行った。

 そして、暫し歩いた先に太陽の光が溢れている所が見えてきた。具体的には見覚えのある、森と村の境界。


 森の中もかなり明るかったが、日光を遮るモノが一つもない場所が比較相手では分が悪かった。

 その影の中にアナベルは止まって、ボクの背中を優しく押す。


「───じゃあね、レイ。あまりお父さんとお母さんを心配させちゃ駄目よ?」

「え、アナベルは行かないの?きっと皆と仲良くなれるよ!」

「ううん。私は行かないわ。だって魔女だもの。キミたちと私では根本的に違う。だから、キミはキミの人生を過ごしてね。少しの間だったけど、楽しかったわ」


 ニコ、と少女のような笑みを浮かべてアナベルは控えめに手を振る。

 その別れの言葉にボクは寂しくなって、最後にアナベルの所に駆け寄ろうとした時────


「レイ──────!!!」


 お父さんがボクを見つけて、森の中へと入ってきた。半ば乱暴に草木を避けてボクの元に駆けつけるお父さんの顔は、酷く困憊している。多分、ボクを探してあちこち奔走していたのだろう。


「お父さん……!」

「ああ、良かった!!怪我はないな?本当に無事で良かった!!」


 ボクはお父さんに抱きかかえられて、森を後にする。

 最後にもう一度アナベルの方を振り向くと、そこにはアナベルの姿は無かった。

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