第5話 朝の闇に紛れて
その日、ボクとセロお兄ちゃんは狩りを成功させる事はできなかった。
だが、ボクにとってそんな事はどうでもよかった。脳の片隅に引っかかる、些細な気掛かり。気のせいと言ってしまえばそれで終わりだけど、上手く飲み込めない事柄。
あの、白い女の人は何をしていたのだろう──?
「──────」
ボクはその日、みんなより早く起きた。
日が昇るとほぼ同時に目が覚めてしまった。まるで夢から追い出されてしまったように。
近くにはお父さんやお母さん、セロお兄ちゃんが寝息を立てており、現実から離れた遠くの世界にいる。この様子ならまだ目覚める事はないだろう。
「………………」
一晩過ごしてもなお考える事はあの白い女の人の事だった。見たこともない白い服に、白い髪。自然の中で、その色単体で存在している事は不自然な筈なのだけど、何故かそうは思えない程森と調和している気がした。
ボクは、その正体を確かめずにはいられなかった。
「よし、そとにでよう」
そう決まれば行動は早かった。物音を立てないように家を出て、忍足で村の中で歩を進める。建物が朝日を浴びて地面に影を映し出す。その影に紛れて、寝ずに村やその周辺を見張る、見張り番に見つからないように村の外を目指していく。
土を踏む音でさえ、静かな朝焼けの中では轟音に等しい。砂が擦れ合う音が皆の眠りを妨げているような気がして、申し訳ない気持ちになるがこの衝動は止められなかった。
一際高く建てられた高台に、腹を空かせた獣が獲物を探すような目で人が見張っている。一人は村の中、もう一人は村の周辺を眺めている。
交代制で行われる夜の番は村にとって重要な役目を果たしていた。日中はともかく、夜の安全は保証出来ない。危険をいち早く察知するために、見張り制度が設けられた。
今までは彼らがいたから安心して横になることが出来たが、今ではその見張りによって自由を奪われている。
だが彼らもまた同じ人間。何日も危険が訪れなければ、今日もどうせ大丈夫だろう、と油断をする生き物。今までそこまで危険度が高い非常事態に陥って来なかった為、それも彼らの油断を誘っていた。それこそ、幼い子供が村を抜け出すなんて思いもしない。
ボクがあの見張りの人達の目を盗んで森に入る事は、想像以上に容易かった。
「─────」
さて。森の中に入れた訳だが、どうすればあの白い人に会えるのか。手がかりなんてものは無く、ただ闇雲に彷徨うことしか手段がなかった。
日が昇ってきたとは言え、森の中はまだ夜の味がした。木々に朝日を遮られ、暗い影を落とす。何か巨大な生物の胃の中に入ってしまったかのような錯覚を引き起こすのは簡単だった。
だが恐怖は感じ得なかった。生まれてからずっと森の側で育ったからだろうか。自然に対する恐怖、というものが極端に薄れていた。ただ、その恐怖心は森自体に対するモノで、野生動物には人並みに恐怖する。
「────あ、」
何かが見ている。こちらを見ている。今尚も健在する暗闇の向こうから、ギラリと光る鋭い双眸。なんの動物か分からないが、確かにボクを獲物として見ている目なのは肌で感じ取った。
ここで背を向けて逃げてはダメというのはお父さんやお兄ちゃんから教わっている。けれど、ボクの心には冷静の二文字は存在せず、気付けば走り出していた。
「は────っ、はぁ、──あ、はっ……!!!」
走る。駆ける。跳ぶ。避ける。
木々の間を縫うように、隆起した太い木の根に足を引っ掛けないように、延々と走っていく。
後方からも草木を揺らす音が。ソレは確かにボクの背中を狙っていた。
「た、たすけ────て!!」
叫んでももう遅い。小さな叫び声は森の闇に取り込まれてしまう。
だから、もう体力が尽きるまで走るしか無い。
何も考えられなくなった脳みそは身体を動かす信号のみを発していた。腕、脚、肺、心臓とあらゆる部位を加速させるように命じる。
だがもうすでに速度は頭打ち。これ以上は速度を上げられない。次第に汗となって抜け落ちていくスタミナは、速度もついでに奪っていった。
そして、体力が尽きてもう終わりかと思ったその時。
「あ、あれ────」
ボクの後ろに迫り来る敵意はいつのまにか姿を消していた。
危機が去った安堵感と共に、胸を撫で下ろす。痙攣のように上下する肩を落ち着かせて、ボクは周りをよく見た。
「ここ、どこだろう……?」
もうとっくに方角を失ったボクは森の中を彷徨う運命だった。
しかし、太陽というモノは偉大で、世界の果てまでも照らし出す。ならば森の闇を払うことなど造作もなく────
「わ────」
天から伸ばされる梯子のように、木々の間から徐々に陽光が差してくる。そのお陰もあって視界が明瞭になり、幾許か動きやすくなった。
「もう、かえろう」
あの白い女の人を探すのは諦めて、皆が起きてこない内に帰ることに決めた。多分、そこまで距離を走っていないからすぐに村に着くだろうと予測する。
その光の元、ボクは散歩も兼ねて村を目指した。
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