七話
聖さんのピアノを聴いている時に失神はないが、やはり学校だと倒れてしまう。いい加減治ってほしいが、寂しさは常に胸の中に溢れ、いつも真っ暗闇に覆われていた。
美咲と同じように真っ暗闇に覆われている子がいた。彼氏に浮気され、捨てられたと泣いていた子だ。未だに彼のことが忘れられず、無意識に涙がこぼれるらしい。さらに悔しいという怒りも生まれていた。
「仕返ししてやりたい。すごく傷ついたんだって怒鳴ってやりたい」
「怒鳴っても恋人同士に戻れるわけじゃないよ?」
「いいの。よくも酷いことしたなって言ってやりたいの」
「彼氏がどこにいるか知ってる?」
「いや。知らないけど」
「それじゃだめじゃん。仕返しできないよ」
はあ、とため息を吐いて項垂れていた。
散々弄ばれて裏切られる。男はみんな野蛮で汚らしいと咲子はずっと決めつけているが、優しい男はいないのか。もし美咲だったら、仕返しなど考えず泣き寝入りするだけで終わりだ。
「そもそも私は可愛くないから、告白してもフラれるよね」
メイクしていない。服は地味。胸もないし背も低い。女の子らしさがほとんどない。向こうから好きだと告白されることも絶対にありえない。
「まずは友だちが先だ。恋人はいなくても大丈夫だけど、友だちは……」
ぐっと拳を握る。親友と呼べる存在がほしい。咲子も卓也も葉子もほっとするし、とにかくクラスメイトがしているおしゃべりを体験してみたい。
ピアノが得意で女神の聖さん。彼女なら、ずっといつまでも付き合っていける。実際に会ったことはないが、確信していた。
だが現実は厳しかった。いつの日からかわからないが、窓が閉まりピアノの音が聞こえなくなった。もしかしたら今日は開いているかもと試しに行くが、ぴたりと閉じたまま。聖さんとの距離がかなり離れてしまったと落ち込んだ。ショックで美咲の心は再び暗く沈んだ。お前は一生孤独なのだと嘲笑う声も耳の奥に響く。
こんなふうにネガティブ思考でいると、疑心暗鬼や人間不信になりそうだ。街中で歩いている人たちに馬鹿にされていると感じ、警戒の視線を向けている。相手と何の関わりもないのに。
「いけない。こんな顔してたら、誰も友人になんかなってくれない」
美咲の態度が悪いような気がした。嫌われる、他人を寄せ付けたくないと思う行動。実際は仲良くしたいのに、無意識にそんな態度をとっている。生まれつきで治らない性格も、にっこりと微笑んで「あなたと友だちになりたいんだ」と目線で届ける。努力をすれば、一人はその願いを受け取るかもしれない。
聖さんのピアノが聴けなくてもCDがあると気楽でいたが、急に動かなくなった。
「まだ買って一週間くらいなのに」
「不良品だったってこと?」
「とりあえず、修理に出しましょ。それまではお母さんのプレーヤーで聴いていなさい」
「うん。わかった。ありがとう」
頭を下げ、しばらく咲子のプレーヤーを借りることにした。
しかし、咲子のプレーヤーも壊れてしまった。
「どうして……。いきなり……」
「聖さんに会えなくなったから?」
「聖さん?」
無意識に口から名前が漏れていた。首を横に振って、なんでもないと誤魔化した。
また不安定な日々に戻った。いつ倒れるかわからず、買い物は咲子が代わりに行った。美咲は部屋に引きこもり。狭いオリに閉じこめられているかのようで、はあ、と深くため息を吐いた。
学校の帰りに、聖さんの屋敷へ行ってみた。カーテンは引かれ、窓は閉まり、いつもと同じだった。じっと見つめていると、後ろから声が飛んできた。
「どうしたんですか?」
振り返ると、長いウェーブヘアーの女性が立っていた。レースのワンピースが、とても女神様っぽい。
「あなた……。聖さんですか?」
「いえ。違いますけど」
期待していたため、人違いと知って悲しさが増した。
「聖さんって、この屋敷に住んでる方ですよね」
「は、はい」
「確か、お母様が昔有名なピアニストだったみたいですよ。今はピアノの先生をしておられるとか」
「そうなんですか。あなたは、会ったこと」
「ありません。聖さんは、とても人見知りで滅多に他人と付き合わない性格だって噂されているので。あ、私。もう行かなくちゃ」
腕時計を確かめ、女性は慌てて走って行った。
「……とても人見知りで、滅多に他人と付き合わない性格……」
だから、昼間でもカーテンを引き、ピアノを弾いているのか。ということは、美咲が友人になりたいと話しても、断られる気がした。しかもいつ失神するかわからない面倒な奴だ。
「……やっぱり私は、一生独りぼっち……」
呟き、俯いた。どんどん深い穴に落ちていく。
修理に出したプレーヤーは、どこも壊れていないと送り返された。だが聴いてみると、動かなかった。咲子のプレーヤーも全く同じだ。仕方ないので、CDと一緒に捨てることに決めた。また聖さんと距離が遠くなった。心のよりどころを失い、美咲が笑う回数はかなり減っていった。
美咲の思いをよそに、窓の外は清々しく晴れている。部屋に引きこもりながら、そっと青空を眺めた。
「いい天気だな……」
きっとクラスメイトたちは、どこかに遊びに行っている。カラオケや喫茶店などだ。誰一人、美咲を思い出さないだろう。自分たちは仲良しの親友がいてよかった。楽しい日々を送れて幸せ。声もかけてくれない。冷たい性格ばかりだが、仕返しをしてやろうとは考えなかった。仕返しをしても友人が現れるわけではないし、ただ自己嫌悪に陥り、もっと暗く沈むだけだ。
「ねえ、美咲」
ある日、そっと咲子が誘ってきた。
「コンサート行く?」
「え?」
「葉子と、また行くことになってね。私も行きたいって言ってたじゃないの。まだ席の予約してないから。美咲も行ってみる?」
あの時はクラスメイトたちが計画していたから、どういう場所なのか体験してみたいという理由でお願いしたのだ。今は別に行っても時間の無駄だ。
「いや。いいよ」
「葉子も美咲に会いたがってる。コンサートの後、お茶も飲むよ。いろいろおしゃべりしたら?」
美咲も葉子に会いたいと思っていた。それならと頷いた。
コンサートは、二週間後の土曜日。午後四時から六時までだ。咲子が用意した服は、普段は着ない派手なものばかりだ。
「こ、こんな格好するの? 恥ずかしいよ」
「みんな同じような格好だから。ものすごい服着てる人だっているのよ」
「で、でも」
「ストレス解消よ。可愛い服着て、楽しんじゃいましょ」
ガッツポーズをし、咲子はにっこりと笑った。最近、嫌な出来事しか起きていない。美咲もはしゃごうと満面の笑みを作った。
土曜日の三時半に、コンサート会場に着いた。葉子も目立つ服を着ていて、美咲の姿を見て嬉しそうな顔に変わった。
「久しぶり。元気だった?」
「そんなに元気じゃないかな」
「今日は楽しい日にしようね」
うん、と答える前に、コンサートが始まった。
ファンは盛り上がっていたが、曲を聴いたことがない美咲は感動しなかった。耳が張り裂けそうな音量に驚いた。早くコンサートが終わればいいのにしか、頭に浮かばない。アンコールの後、ようやくコンサートが終了した。
「楽しかったね。どうだった?」
「まあまあ。初めて聴いた曲だし……」
「そっか。じゃあ姉さん。喫茶店に」
「そうね。大声出して、お腹すいちゃったわ」
ふうと額の汗を拭い、会場を後にした。
二十分ほど歩いたところに、喫茶店が建っていた。あまり客はおらず、奥のテーブルに三人で座った。ちょっとした食事もできるので、美咲はナポリタンを注文し運ばれるまで葉子とおしゃべりをした。
「相変わらず、友だちはできないのね」
「うん。一人もいないよ」
「一〇〇人作りたいって言ってたよね」
「けど、みんなが私を避けてるから」
「避けてる? どうして?」
「テンパって、おかしな態度とるし。怖いとか気持ち悪いって見られてる」
「それ、被害妄想じゃない?」
葉子の言葉に、目が丸くなった。
「被害妄想?」
「みんなに嫌われてる。いじめられてる。実際はそんなことされてないのに、勝手に脳が悪い方に考える。姉さん、美咲ちゃんが心の病気で苦しんでるの、もちろん知ってるよね? 病院には?」
「行ってないわ。美咲が行きたくないからって」
「何それ? 美咲ちゃんが心配じゃないの? 私だったら、無理矢理にでも病院やカウンセリングに連れていくけど」
厄介な問題に巻き込まれたくないから逃げていたのがバレ、咲子は黙って視線を逸らした。
「母親って、子供を護るのが仕事じゃない。悩んでるのに無視してたってこと?」
「そ、そういうわけじゃないわよ」
「じゃあ、すぐに病院に連れて行って。美咲ちゃんが明るく笑えるようにする。わかった?」
だが咲子は答えなかった。面倒くさいとうんざりしているのが伝わった。美咲もお金を使いたくないし、病院もカウンセリングも行きたくない。
喫茶店の前で葉子と別れ、咲子と一言も会話をせず家に帰った。
「お母さん。私は病院に」
「連れて行かないわよ」
固く尖った口調。
「あんなこと言われると思ってなかった。全部、美咲が被害妄想するからよ。本当、あなたって余計なことしかしないわね」
ぎろりと睨まれた。
「いい加減、そのネガティブ思考やめてよ。私が虐待してるって見られるじゃないの」
「ご、ごめん……」
謝ったが、一番寄り添ってほしいことは聞く耳持たずじゃないかと不満が生まれた。虐待ではないが、もしかして子供想いではないのかという疑問が浮かんでいた。自分がいい人だと呼ばれたいから、愛情深いフリをしているのでは。
「とにかく、病院もカウンセリングも行かないわよ。美咲の悩みは、美咲が解決しなさい。私に頼らないで」
「わ、わかった」
とりあえず答えて、部屋へ逃げた。
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