五話

「コンサートの写真、どうなった?」

「超盛り上がったよね」

「うん。アンコールもよかったし」

「また行こうねー」

 とても明るいクラスメイトたちの言葉。笑顔。どれほど素晴らしいひとときだったのか、彼女たちの表情で伝わる。無理をしてでも美咲もコンサートに参加すれば、あの輪の中に入れた。歌手を知らなくても音楽に興味がなくても、思い出を残せた。羨ましい。なぜ断ってしまったんだ。もちろん、今さら後悔したって後の祭り。過去には戻れないのだ。輝かしい彼女たちの近くにいられる余裕がなく、教室から出た。

 放課後、レンタルショップへ寄った。俳優の名前が書いてあるアルバムを三枚ほど借りて家に帰った。咲子のCDプレーヤーを使い、ベッドに寝っ転がって目を閉じる。歌は特にうまいとは言えず、曲も平凡というか、パッとしないものばかり。ついでにジャケットの写真もかっこいいとは感じず、無駄な金を使わずに済んだと安心した。たぶんクラスメイトたちはコンサートに感動したのではなく、みんなとの絆が深まったという喜びで胸が熱くなっているのだろう。友だちになりたいから、好きでもないものを好きと噓をつくのは馬鹿馬鹿しい。趣味が合わないのは仕方がない。だから美咲には、この俳優を応援したりファンになったりする気持ちはゼロだった。

 咲子が、自分が行ったコンサートについて詳しく教えてくれた。

「お母さんが好きな曲ばっかりで、嬉しかったな。葉子もすごく喜んでて」

「そうなんだ。よかったね」

「美咲も来たがってたって言ったら、久しぶりにおしゃべりしたかったって残念そうだったよ」

「最後に会ったのは、私が小学四年生くらいだったよね」

「友だちはできた? って聞いてきたから、まだいないって答えたらびっくりしてたわよ」

 一〇〇人くらい作る。それなのに一人も作れていない。確かに驚くかもしれない。

「別に、いじめられてるってわけじゃないのよね?」

「うん。私が友だち作りが下手で消極的で情けないだけ。いじめも喧嘩もしてないよ」

「なら、いつかは現れるはずよね」

 咲子も心配しているようだ。やはり娘が独りぼっちなのは、いろいろと不安な気持ちが生まれるみたいだ。

 その夜、葉子から電話がかかってきた。

「美咲ちゃん。まだ友だちがいないの?」

「う、うん」

「どうして? 友だち作るなんて簡単でしょ?」

「けど、テンパっちゃって。おかしなこと話したり」

「同い年の子に、何でテンパるの?」

「生まれつきの性格だから、治らないの。だめなの」

「だめなんて諦めたら、生きていけないよ? 一人くらいは相性がいい子がいるはずだよ」

「わかってるけど」

「じゃ、頑張りなさい」

 そこで電話は切れた。少し責めるような口調だったが、寂しがっている美咲を見たくないという思いから、わざわざ電話をかけてきたのだ。しかし、いくら励ましや応援されても、人物が存在しないのだから美咲はどうすることもできない。ただ待っているだけだ。探しても見つからないのだ。

 コンサートに行ったグループが、次はカラオケに行こうと計画を立てていた。カラオケなら美咲も参加できると期待したが、なぜか断られた。

「佐倉さんは来ない方がいいよ」

「何で?」

「つまらないと思う。それに四時間ぶっ通しで熱唱。うるさくて途中で帰りたくなるんじゃないかな?」

 それは、遠回しに邪魔者扱いしているという意味ではないのか。自分たちの楽しい空間に、美咲がいたら台無し。こっちに来ないでと、顔にありありと書いてある。

「また違う日に行こうよ。ね」

 美咲の返事を待たずに、さっさと歩いて行った。

「……私がどんなに近づいても逃げられちゃったら、仲良くするなんて無理だよ……」

 がっくりと項垂れる。一緒に行動したくないと避けられているのが、あまりにも悲しかった。

「お母さん。私って変な子かな?」

 キッチンで夕食を作っている咲子に質問した。

「美咲が変な子? 誰かに馬鹿にされたの?」

「そうじゃないんだけど。あんまりそばにいてほしくない人なのかなって」

「後ろ向きに考えてるから、友だちがやってこないのよ。全然変じゃないんだから。むしろ堂々としてないと。お母さんはリーダーって呼ばれてたのよ? リーダーの子供なんだから、美咲だってリーダーになれるでしょ」

 けれど美咲と咲子は違う性格。たとえリーダーになっても、すごいと尊敬される行動など想像もつかない。常に他人の陰に潜んで生きている人間が、表に出てでしゃばる能力なんて持っていない。

 やはり自分は変わり者なのだという思いが浮かんだ。同い年の子に声をかけられてテンパるのが、そもそもおかしいではないか。普通は、あんな態度をとらないのだから。きっとカラオケでもマイクを渡されて歌えず、顔が真っ赤になると予想し、断られたのだと俯いた。

「葉子に子供がいたらね」

 突然、咲子が固い口調で呟いた。

「え?」

「葉子の子供が、美咲の友だちになってくれたはずでしょ。そうすれば独りぼっちで悩んだりしなかった」

「だけど葉子叔母さんは、子供が産めない体だからしょうがないじゃない」

「まあね。どうしてうまくいかないのかしらね」

 はあ、とため息を吐く。兄弟や姉妹がいない一人っ子なのも寂しい。

「あーあ。もう嫌になっちゃう」

 中学生の頃、兄弟が多いクラスメイトが嘆くように話していた。その子は長女で、弟や妹の世話を常に任されているらしい。

「家に帰ったら、ご飯まだなの? って集まってくるし、最近は弟たちがケンカばっかりしてるの。妹は体弱くて、年中風邪やら何やらで病院通い」

 料理、洗濯、塾の送り迎え、その他全てを姉一人が行っているという。さすがに美咲も可哀想になった。両親が共働きしているから仕方ないのだが。賑やかで寂しさはないが、忙しくて遊びにも行けない。たぶん美咲だったら、すぐに音を上げるだろう。一人っ子と兄弟が多い。どちらが幸せなのかは、実際に経験してみないと答えは出ない。

 咲子は妹一人だけで寂しさも忙しさもなく、友人にも恵まれ、明るく輝く人生を歩んでいる。なぜ娘の美咲は違うのか。未だに謎のままだ。血の繋がっている親子でも性格が正反対だったりするから、珍しいことではないのだろう。


 保健室の先生と廊下で会い、そっと聞かれた。

「佐倉さん。まだ友だちは」

「できませんよ。そんなにすぐ現れたりしません」

 抑揚のない、尖った口調になってしまった。先生は残念そうな顔で俯いた。

「まあ、そうよね。でもいつかは……出会いたいわよね」

「そりゃあ。友だちがいないと変な子って目で見られるし」

「変な子? 佐倉さんは変な子ではないわよ」

「口では何とでも言えますよ。変な子じゃない。小学生でも言えます」

 気持ちは言葉ではなく、顔つきや態度で表れる。心の底ではどう考えているか。先生は黙って俯き、逃げるように走って行った。無意識に先生を睨んでいた。あなたは幸せでいいね。友だちがいて、悩んでも相談に乗ってもらえて。妬みで胸がいっぱいになっていた。

「……この暗いネガティブ思考……。何とかしたい……」

 独り言を漏らす。先生に八つ当たりしてしまい、申し訳なくなった。

 土曜日に散歩をしたが、また失神してしまった。誰かが気づいたらしく、目を開けると公園のベンチに横たわっていた。

「……急に倒れるの……やめてほしい」

 呟いたが、心の病気なので怪我をしないよう注意するしか美咲にはできなかった。周りの人たちも驚くだろう。今日は優しい人がベンチまで運んでくれたが、邪魔だなと睨まれる時だってある。日本人はみんな親切だと聞くが、実際は冷たい人の方が多いはずだ。

 どきりとして、バッグの中に手を入れてみた。財布と携帯が抜き取られておらず、ほっとした。財布といっても三千円くらいしかないが、盗まれていたらショックだ。

 咲子から、あまり出かけるなと厳しい言葉が飛んできた。

「怪我するかもしれないし、次は財布盗まれるかもしれないでしょ。今回は運がよかったってだけ」

「わかってるけど、ずっと家に引きこもってたら息が詰まっちゃうよ」

「まあ、ストレス解消に歩くのは大事だけどね。もし不安なら、お母さんもついていく」

「え……。やだ……」

「やだ?」

「高校生なのに、お母さんと一緒にいたら笑われる……」

「お母さんのこと、嫌いになったの……?」

 少し落ち込んだ口調。慌てて首を横に振った。

「嫌いになったってわけじゃないよ。ただ、親がいないと何もできないのかって見られたくないの」

「笑われたら、お母さんに教えなさい」

 ぎくりとした。大事な娘を馬鹿にしたと怒鳴るつもりだと直感した。

「いい。言わない」

「どうして? 悔しくないの?」

「悔しいけど、私には仕返しする勇気なんか」

「美咲じゃなくて、お母さんが仕返しする。それならいいでしょ?」

「わざわざお母さんがそんなことしなくても。大丈夫だから」

 そっと返して、自分の部屋に逃げた。絶対に厄介な出来事につながると、簡単に想像できた。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る