二話
予想した通り、翌日も何もない一日となった。しかし体育の授業で失敗してしまった。
「佐倉さんっ。ボールっ」
「へ?」
振り向くと、顔面にボールが飛んできた。床に倒れる。
「あちゃ……。力強すぎちゃった」
「よそ見してちゃいけないよ。体育なんだから」
「ご、ごめんね」
ゆっくりと立ち上がる。もともと運動音痴だが、ボケっとしていてみんなに迷惑をかけて申し訳なくなった。
休み時間に、保健室で怪我を診てもらった。
「特にアザにはなりませんよ。痛みは?」
「ないです」
「それなら大丈夫です。明日には治ります」
ほっと安心した。保健室を後にし、そっと手を当てる。触ると痛いが、放っておけば平気だ。
放課後は文系部で小説を書き、家に帰った。
たった一度きりの青春が、こんなに色褪せていていいのだろうか。女子校ではなく共学がいいと、はっきりと言えばよかった。今さら後悔しても遅いが、きちんと自分の思いを伝えるべきだった。共学に通ったとしても、彼氏が簡単に作れるわけではない。美咲はおしゃれも詳しくないし、メイクもしていない。地味で可愛いとは褒められない。周りには綺麗で女の子らしい子が、数えきれないほどいる。その子たちに埋もれて、誰にも見つけてもらえないのだ。かっこいい男の子もどこにもいないし、まるで砂漠で水を探すような過酷さだ。それでも恋をしてみたいと願っている。好きだとか愛しているとか言われてみたい。夜景の綺麗なところで、素敵な彼とキス。そんな未来が待っているのではないかと考えてしまう。体育でボンヤリしていたのも、その妄想のせいだ。そんな日が来るのかと想像していたら、代わりにボールが来た。望んでいるのはボールではなく彼氏なのにと、ため息を吐く。この世の中で、恋人がいる女の子たちに聞いてみたい。一体どんな方法で、彼氏と出会い、そして恋人同士になれたのか。どちらが告白したのか。やはり共学じゃないと無理なのか……。質問したいことが山ほどありすぎる。マンガみたいに、偶然会ってそのまま一目惚れして恋人同士になったわけではないだろうし、いきさつを教えてほしい。不安になった時、どんなふうに明るくなれたのかも。
「ちょっと、美咲。どうしたの?」
咲子に声をかけられて、はっと我に返った。
「どうしたのって?」
「さっきから話しかけても、反応ないから。悩みでもあるの?」
たぶんこれは悩みではないと思い、首を横に振った。
「ううん。書いてる小説のネタが切れてるの」
「それならいいけど。びっくりするから、やめてよ」
「うん。ごめんね」
苦笑いし、自分の部屋に行った。
クッションを抱きしめ、ベッドの上でゴロゴロと転がる。
「うーん。どうなるのかなあ。メリーにはわからない?」
メリーは、いつも一緒に眠っている羊のぬいぐるみだ。幼稚園児の頃から、ずっと寝ている。もちろん、ぬいぐるみなので返事はない。もこもこフワフワで、とても癒されるアイテムだ。
「美咲は、友だちがいないからな。メリーが友だちになってくれるぞ」
「よかったわねえ。ずっとメリーがそばにいてくれるわよ」
始めは嬉しかったが、成長するにつれて「ただのぬいぐるみじゃない」という気持ちが生まれた。二人からのプレゼントなので大事にはしているが、とても友だちとは感じられない。しゃべってくれたらいいのにと思うが、逆にぬいぐるみがおしゃべりしたら怖い。
咲子に夕食に呼ばれるまでメリーを抱いて、風呂に入ってテレビを観て十時に眠りについた。
一週間経っても二週間経っても、この毎日の繰り返し。嫌な思いをしない代わりに、楽しい思いもしない。クラスメイトも大体そんな感じで、みんなが青春を謳歌できずに過ごしていた。彼氏がほしいと考えていても、高校は男子禁制だし街中にイケメンは歩いていないし、色褪せた日々を送っているのは美咲だけではないようだ。そっと窓から空を眺める。本当に、つまらない人生。せっかく女として産まれてきたのに、可愛い格好もせずメイクもせず暮らしている。
受け身でいるのもよくないのかもしれない。女の子らしくなる努力をすれば、一人は振り向いてくれるのではないか。ざっと教室にいるクラスメイトを見た。制服だが、綺麗な髪型をしていたり、ピアスを付けていたり、持ち物をおしゃれにしたり、仕草や笑い方が素敵な子がいた。もちろん女子校なので、いくら頑張っても彼氏は現れない。この世界から抜け出さなくては。
「大学生になれば、私にもチャンスがやってくるのかな」
はあ、と深くため息を吐いた。
放課後、クラスメイトがよく通っている文房具店に寄った。動物やマンガのキャラのイラストが描かれたメモ帳、ペン、クリアファイルなど、いろいろ見て回る。あまりお金は使いたくないので、安いものを買って家に帰った。
咲子は少し驚いた表情になった。
「美咲って、こういうの興味なかったよね?」
「うん。けど、たまにはいいかなって」
「いつもは地味なものばっかりだもんね。でも、お小遣いがなくなるまで」
「それはないよ。ちゃんと値段調べてから買ってるから」
「そう。昔から美咲は、親孝行ないい子よね。お父さんとお母さんの宝物よ」
「ねえ。あれ買って」
同い年くらいの女の子が、母親にねだっている。まだ美咲が五歳ほどの時だった。
「あれ買って。あのおもちゃ」
「だめよ。一万円もするのよ?」
すると少女は床に倒れ、手足をバタバタ動かした。
「やだっ。やだっ。買ってよおっ」
うわあああっと泣きわめく。母親は叱るのではなく、焦った顔。チラリと見ていた美咲の耳元で、咲子が囁いた。
「美咲が、ああいう子じゃなくて、お母さん嬉しいわ」
「え?」
「みんなにジロジロされて、恥ずかしいったらないでしょ? しかも一万円も払わされるのよ。美咲が、わがまま言わない子で安心する。他のママたちからも、羨ましいって言われるし」
その咲子の言葉を聞き、私は絶対に暴れたり泣きわめいたりしないと誓った。父の卓也も同じことを話していた。
「美咲は、物欲がなくて素晴らしい娘だ」
物欲の意味は五歳ではわからなかったが、褒められているとは感じた。えへへ……と頬を赤くした美咲の頭を、柔らかく撫でてくれた。
美咲も、優しい両親で幸せだと、いつも感謝している。一番寄り添ってほしい悩みは聞いてくれないが、それ以外は本当に子供想いで愛情深い。これからも家庭内で問題は起きない。
ほしいものは、基本的に全て我慢した。大人になったらアルバイトをして稼いだ金で手に入れよう。両親に世話をかけたくなかった。
ただ一つ、どうしても必要なものがあった。友人だ。友人は売っていないし、アルバイトで金を稼いだって与えられない。けれど人は独りでは生きていけないため、いつかは親友と呼べる誰かに巡り会いたい。美咲だけでは見つけられないから、咲子と卓也にも協力してもらいたいのだが、そこは聞く耳持たずなのだ。あと友人だけが現れれば、このつまらない青春も、色づいていくのではないか。
「まずは卒業しないと。それ以外は、偶然街で出会うしか方法はない」
「マジ難しいよね。あたしは絶対、そんなうまく行かないな」
クラスメイトの声が蘇った。恋人と一緒で、友人も探すのは大変なのだ。
翌日の放課後も、文房具店に行って可愛いグッズを購入した。別に買わなくても、ぶらぶらと歩いているだけで楽しくなるのは不思議だ。やはり自分は女なのだと、改めて確信した。このグッズも、持っているだけでやる気や元気が生まれてくるような感じがするのだ。けれど使うのは家のみにした。クラスメイトに声をかけられる恐れがある。テンパっておかしな態度をとるのは嫌だった。
「何で慌てちゃうのかな。私」
独り言を漏らす。頭の中では積極的にと考えているのに、体が動かない。普通の女子なのだから、怖くもなんともないはずなのに。もっと近づいていかなくてはとわかっているが、石のように固まってしまう。
「受け身じゃだめなんだってば」
パンパンっと頬を両手で叩き、文房具店を後にした。
どきりと心臓が跳ねたのは、火曜日の昼休みだった。
「これ、ようやく買えたんだよ」
「え? いいなあ。あたし、まだ手に入れてないんだ。どこに売ってたの? 教えてよ」
明るい口調に、そっと視線を向ける。ペンギンのストラップが付いたペンケースだった。一つだけ置かれていたのを、美咲がサッと掴み買ったのだ。
ふと、ある思いが胸に浮かんだ。クラスメイトに、ペンケースを渡そうか。渡したら、それで仲良くなれるのではないか。美咲の優しさに気づき、もしかしたら親友になれるかも。ほしがっている人がいるなら、あげてしまえば……。
「じゃあ、今度一緒に買いに行こうよ」
「付き合ってくれるの? ありがとうっ」
にっこりと笑い、美咲は声をかけるチャンスを失った。さっさと行動すればよかった。弱虫な自分が嫌いになっていく。
楽しそうな会話が耳の奥から聞こえてきて、ペンケースを机の中にしまった。視界に映るたびに、空しさがこみ上げてくる。失敗したね、と馬鹿にされている言葉も響く。見えない場所に移動させるだけでも、ほんの少しは胸が軽くなった。また、文房具に行くのもやめようと決めた。同じような出来事が起き、落ち込みたくない。いい暇つぶしができたと嬉しかったのに。
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