Dear you 〜親愛なる貴方へ〜

さくらとろん

一話

 恋がしたい。かっこいい男の子に告白され、デートに誘われ、抱きしめられたりキスをしたり。それは今も昔も年頃の女の子の夢。願い。誰もが憧れ、マンガのような恋愛を望んでいる。とはいえ、現実は甘くない。かっこいい男の子など、街を歩いていても出会わない。出会ったとしても告白されるわけでもない。こちらからアタックしたって、どうせフラれるのがオチだ。第一、すでに彼女がいる場合が多い。告白し、フラれ、自信を失い、次の恋人探しが怖くなるだけだ。裏切られ、すぐに別れる時だってある。心を深く傷つけられる。だったら、始めから願わなければいい。きっと運命の王子様に出会って結ばれる人など、一握りに過ぎないだろう。みんなそれをわかっているのに、どうしてもお姫様のように幸せになりたいと叶わない夢を抱く。儚い恋の夢だ。 

「ねえねえ、やっぱりほしくない?」

 朝、学校の教室を開けると、隅でクラスメイト二人が小声でおしゃべりしていた。自分の席に座り、こっそりと耳を傾けると、予想通り。恋愛の話だった。

「ほしいって、彼氏?」

「そう。ほしくない?」

「そりゃあ、ほしいよ。あたしたちだけじゃなくて、みんなもほしがってるよ。でも、ここじゃ見つからないでしょ」

 諦めたような口調。無理もない。この高校は女子校。生徒はもちろん、先生だって女だ。用務員さえ、おばさん。男子禁制なのだ。校庭に足を踏み入れることも許されていない。以前、好きな子を追いかけてこっそり侵入した男子がいたが、その時の教師の態度と言ったら、あまりにも酷かった。警察にまで連れて行こうとして、学校内は大騒ぎとなった。すでにその教師はやめているが、全校生徒が知っている。

「そうだね。そうだよね……」

「まずは卒業しないと。それ以外は、偶然街で出会うしか方法はない」

「マジ難しいよね。あたしは絶対、そんなうまく行かないな」

「もし出会えたとしても、すでに彼女いるかもしれないし。前途多難だよ」

 はあ、とため息を吐く。残念そうな二人の横顔を、そっと盗み見た。

 佐倉さくら美咲みさきは、花海はなみ高校一年生。「美咲」は春生まれなのと和風な名前がいいという意見からだ。日本の女性ならこれ、というのが美咲だったらしい。桜が美しく咲く。美咲本人も、とても気に入っている。性格は大人しく引っ込み思案で、地味なものを好む。おしゃれやメイクには興味がない。そもそも似合わない。そういった物でお金を使いたくもない。ネガティブ思考なのが欠点。落ち込むと、いつまでたってもクヨクヨと引きずってしまう。周りから少し変わっていると噂されることがあるが、普通の女子高生だ。両親から愛され、箱入り娘。蝶よ花よと可愛がられている。何不自由ない生活。これまでもこれからも同じだろう。親にわがままな態度をとったこともなく、素直で聞き分けがいいのも可愛がってもらえる理由かもしれない。美咲もお父さんとお母さんが大好き。みんなから羨ましがられる、仲良し親子。小学校は共学だったが、母の咲子えみこから「中学からは女子校で」と決められた。まだ美咲が幼稚園児の頃から、そう計画していたようだ。

「男なんて野蛮よ。汚い手で触ってきたり、いやらしいことしてきたり。美咲だって、数えきれないほど女の人が傷つけられてるの、知ってるわよね? 酷い目に遭うなんて嫌でしょ?」

「うん。お母さんの言う通りだよ」

「ね。お父さんも女子校にしてほしいって言ってたもの。とにかく近づくのはやめなさい」

「わかった。女子校の方が制服可愛いし」

 こくりと頷いたが、胸の奥では共学がよかったなと思っていた。一度きりの青春を、女だらけの場所で過ごしたくない。かっこいい男の子と素敵な恋をしてみたい。綺麗な夜景でデート。どきどきのキス。まさに女の子の憧れだ。誰もが、そんな未来を待っている。美咲もその中の一人だ。しかしはっきりと咲子に伝えられず、結局女子校に入学した。

 中学で、いじめは一度も起きなかった。みんな優しいし喧嘩もしない。だが美咲は友だち作りが下手で、ずっと独りぼっちだった。もっと中に入らなくちゃ、積極的に声をかけなくちゃと頭では考えているのに、体が動かない。勇気が出ない。

 向こうから話しかけてきた時もあったが、テンパってしまった。

「佐倉さん? どうしたの?」

「えっ……。あっあうっ……」

 顔が真っ赤に染まっていく。変な汗も流れる。その状態を、クラスメイト全員に見られた。恥ずかしくて走って逃げた。もうあんなヘマはしたくない。心の底から誓った。 

 話しかけてきた子は美咲に悪いことをしたと申し訳なくなったのか、それ以降関わってこなかった。「別に気にしないで」と伝えられず、ギクシャクしたままどうすることもできなかった。

 あまりにも寂しいので、咲子に相談した。

「お母さん。私、友だちがほしいんだ。けど、友だちになろうよって言えないの」

「言えない? 同い年の子じゃない。それとも、いじめられたの?」

「そうじゃないんだけど。ただ……慌てちゃって」

「なら平気じゃない。どんどん突き進んでいかなきゃだめよ」

「突き進むって……。どうやって……」

「中学生なんだから、自分で解決しなさい。親に頼ってばっかりはいけない」

 はあ、とため息を吐いた。咲子は学生時代、クラスの人気者だったらしい。だから美咲の悩みをわかってくれない。父の卓也たくやにも相談してみたが、ただ「頑張れ」と応援されて終わった。どちらも美咲の望んでいる答えではなく、黙るしかなかった。子供想いだが、一番理解してほしい思いには、一切察してくれない。愛してくれて護ってくれて感謝はしているのだが、それだけは不満だった。もちろん、どうして親身になってくれないの? と怒ったりはしない。確かにこれは自分で解決する問題。親に頼っていてはいけないと感じた。

 


 授業が始まり、いつも通りの学校生活を送った。お昼にクラスメイトと弁当を食べたかったが、すでにグループができていて仕方なく一人で蓋を開けた。

「あーあ。どうして私、弱虫なんだろう……」

 呟いても誰も聞いてくれない。生まれつきの性格だから、治す術も薬もない。強くなりたくても、慌ててしまって失敗。常に独りぼっち。悲しい。空しい。しかし耐えるしかないのだ。

 午後の授業も終了し、部活へ向かった。美咲は文芸部に入っている。部員は、たったの五人。

「さあ、今日も楽しくお話書きましょう。特に佐倉さんには期待してるからね」

「え?」

 部長の言葉に驚いて目が丸くなった。

「佐倉さんは、表現がとてもうまい。みんなも佐倉さんを見習って、頑張って」

 現在、美咲が書いているのは恋愛小説だ。こんな恋愛が自分もできたらと想像している。マンガみたいに、おいしいシーンは少なく、できる限り現実に起こりそうなストーリーだ。

「ねえ、あたしたちにも小説読ませてよ」

「部長が期待してるってことは、いい話なんでしょ?」

 部員たちが、となりの席に座る。

「ええ……。恥ずかしい……」

「どうして恥ずかしがるのよ」

 美咲の手からパッと原稿用紙を奪い取り、部員たちはまじまじと読んだ。顔を上げ、「いいよ、これ」と褒めた。

「字も綺麗だし読みやすい。プロの小説家でも、なかなか書けないね」

「きっと小説家になれるよ。これほど上手なら」

「わ、私が?」

「雑誌に応募してみたら? 大賞とれるかも」

「いやいや。そんなに甘くないから」

 褒められたのは嬉しかったが、やる気は起きなかった。小説家になりたいとは考えていない。自分の書く物語が面白いわけないからだ。あくまで趣味として書きたい。自己満足で充分だ。

「ありがとう。まあ、いつか挑戦してみる」

 にっこりと笑って、簡単に会話を終わらせた。

 家に帰ると、玄関から夕食の匂いが漂ってきた。

「ただいま。今日はハンバーグなんだ」

「久しぶりに食べたいって言ってたでしょ? ずいぶんと遅かったね」

「そうかな? けっこう早めに帰ってきたつもりだったんだけど」

「暗くなると、変な奴らが襲いに来るからね。気を付けなさいよ」

「うん。私だって、酷い目に遭いたくないよ」

 幼い頃から、男は淫らで恐ろしい生き物だと教わってきた。卓也も同じことを話していた。もちろん中には優しい人もいるだろうが、人間には裏の顔があるものだと何度も聞かされた。とんでもなく嫉妬深かったり、すぐに手を上げたり、可愛い子がいたら平気で裏切ったり。強姦やストーカー、結婚詐欺などで傷つけられた女性がどれほど多いのか。

「もし私に彼氏ができたら、お母さんはどうする?」

 ふと口から疑問が漏れた。だが咲子の耳には届かず「お風呂入ってきなさい」という返事が飛んできた。もう一度聞いても同じだろうと、そのまま洗面所へ行った。

 湯船の中で、今日一日を思い出す。特になんてことのない、普通通りの日々。嫌なことや悲しいことは起きなかったが、逆に楽しいことや嬉しいことも起きなかった。心躍る出来事が一度もないなんて。

「明日は、何かあるのかな? ……たぶんいつもと一緒だと思うけど」

 独り言を漏らす。のぼせそうになり、急いで風呂から上がった。

 濡れた髪を拭きながら、リビングに戻った。咲子と二人で夕食をとる。

「今日、何かあったの?」

 聞かれ、目が丸くなった。

「え? 何もないけど」

「そう。ならいいんだけど」

「あっ。文芸部の部長さんに、小説の書き方がうまいって褒められた」

「あら。そうなの? よかったじゃない」

「全然面白くないよ」

 とても期待などされるようなものではない。箸を動かしながら、そっと息を吐いた。

「おやすみ」

 十時半にベッドへ向かった。咲子はドラマを観ていたが、振り返りにっこりと笑った。

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