三話
美咲が小説を書き始めたのは、小学校四年生ごろだった。もともとマンガが好きだったが、絵が下手なので小説なら書けるかなと試しに書いてみたのだ。全く面白くないし、つまらない内容だが、美咲は満足していた。見よう見まねで、いくつも小説を作った。自分の部屋で頑張っていると、咲子が横から覗き込んできた。
「また書いてるのね。ちょっとお母さんに読ませてよ」
「だめ。恥ずかしいもん」
「だけど読んでもらえなかったら意味ないでしょ?」
「集中してるの。邪魔しないで」
ぐいぐいと背中を押して、無理矢理部屋から追い出した。寝ている間に読まれるかもしれないと、本棚の奥に原稿用紙をしまった。そのおかげで、咲子や卓也から感想を言われたことは一度もない。
現在の主人公は、女子校に通う高校生。名前はサキ。かっこいい男の子と恋人同士になりたいと願っている。つまり美咲の分身。この物語はハッピーエンドと決めている。どんな男の子を登場させようかと、常に妄想している。頭がいい男の子? 運動が得意なスポーツマン? 可愛らしい少年? 大人っぽい紳士? そういうことを考えるだけで楽しくなってくる。
しかし現実に戻ると、一気に空しさが込み上げる。サキは彼氏とラブラブできるのに、美咲には出会いがない。
「恋人も友だちもいなくて、独りぼっち……」
両親には可愛がられ大事に護られて、それはとても幸せだ。だが、悲しい寂しいという気持ちは、いつまで経ってもなくならない。
「どうやったら、友だちって作れるんだろう」
呟き、深くため息を吐いた。
咲子から、いじめられなくていいじゃないのと言われたことがあった。
「いじめられなくて?」
「嫉妬や恨みって、恐ろしいのよ。しかも集団で襲いかかってくる」
「こっちが頭にくるようなことしなければ、いじめは起きないよ」
「そんなに簡単じゃないの。本当に、ちょっとした理由でいじめって始まるんだから」
「例えば? どういう理由で?」
「聞かれても、お母さんにはわからない。けど、一人でいる方が、ずっと気楽なのは間違いない」
そういうものなのか。いじめで自殺する子もいる。命まで落としてしまうとは、どんなに酷いいじめだったのだろう。美咲は弱虫なので、いじめをする側ではない。かと言って、自殺をするほど弱くはない。
「お母さんは、クラスの人気者だったんでしょ?」
「そう。リーダーって呼ばれてた」
「いじめられたことはなかったの?」
「いじめられても、絶対に仕返ししてやるわよ」
「そっか。負けず嫌いだもんね」
なぜ咲子の性格を受け継いで産まれなかったのかと悔しくなった。
翌日も、何の変哲もない日だった。特に嬉しいことも悲しいこともなく、問題のない毎日。ずっとこうして生きていくのだ。
「いじめられなくていいじゃない……か……」
確かにいじめは嫌だ。しかも集団は怖い。エスカレートしたら、親でも教師でも止められなくなる。金を貸せ。言った通りにしろ。恐怖で外を歩くこともできなくなりそうだ。咲子のように仕返しなんてできないし、寂しいけれど一人で過ごした方が、気楽なのかもしれない。
そういえば、と中学の頃の出来事が胸に蘇った。昼休みに一人で弁当を食べていると、となりに誰かが座った。まさか一緒に食べようとやって来たのかと期待したが、そうではなく、いつも独りの美咲の写真を撮ってこいと命令されたらしい。
「どうして写真なんか……」
「違うクラスで佐倉さんと友だちになる子はいないかって、探してあげようと思って」
泣きそうになった。美咲だけ教室で浮いている。仲間外れにされていると知り、その場から逃げたくなった。
「そ、そんなことしなくていいよ……。私、一人でも大丈夫だよ」
「いや、だけど……。あたしたちがいじめてるみたいじゃん。そんなつもりないのに」
美咲のためではなく、自分たちが悪人に見られたくないためだ。ぎゅっと目をつぶって、写真を撮られないように逃げた。
咲子には内緒にした。たぶん怒って学校に電話をすると予想した。美咲を馬鹿にした生徒の名前を教えろなんて怒鳴り散らしたら、もっと浮いてしまう。いじめられたのではない。自分が弱気で情けないだけ。この性格が治れば、友だちだって作れるのだから。しかしなかなか厄介な病気で、いつまで経っても変わらない。少しでも、この現実から逃れるため小説を書いている。物語の中では浮くことも孤立することもないと安心していられる。いじめも裏切りも嘘も騙しも何もない。最も心地いい世界が、小説の中なのだ。ただ、いつも夢見心地な考えで暮らしてはいけないとは思っている。実際には存在しない場所なのだ。現実に引き戻された時の空しさも強くなる。どんなに悲しくても辛くても、真っ直ぐ前を歩いて行かなくてはいけない。
「もう子供じゃないから……」
そっと呟いた。夢を見て過ごしてはだめなのだ。
翌日も翌々日も、特に何も起きない平凡な日だった。もっと心躍るような喜びや感動の出来事があってもよさそうだが、本当につまらない毎日。たった一度きりの青春が、こんなに色褪せているなんてもったいない。後悔しないように美咲がするべき行動は、どんなことだろう? とりあえず女子校で恋人は現れるわけがないため、まずは友人探しをするべきだ。もっと前に出て、積極的に中に入っていく。
教室の隅で集まっておしゃべりをしていたクラスメイトたちに声をかけた。
「どんな話してるの?」
「え? いや。最近テレビで活躍してる俳優についてだけど」
「どういう俳優?」
「これ」
ファッション雑誌を見せられた。美咲にはあまり魅力的に映らなかったが、作り笑いをして「かっこいいね」と答えた。
「でしょ? モデルもしてるし、歌も上手でさ」
「ふうん。何でもできるんだ」
「今度、コンサートがあるの。で、その予定を立ててるんだ。佐倉さんも行く?」
ぎくりとした。首を横に振る。
「私は……。行けない……」
「そっか。じゃ、またいつか一緒に行こうね」
そして美咲の返す言葉はなくなってしまった。集まりは、楽しそうに計画している。美咲は仲間外れとなり、一歩一歩後ずさった。コンサートなんて行った経験がないし、チケットの代金や会場、服や持ち物も不明だ。もし行くと答えたら、絶対に失敗してしまうのは、すでにわかっていた。咲子だって「そんなくだらないことでお金を使うんじゃない」と怒るだろう。俯き、その場から離れた。
いつも話題やタイミングが合わず空振ってしまい、美咲だけ取り残される。この繰り返し。弱虫でネガティブ。情けなくて涙が出そうになる。誰か、美咲に気づいて手を差し伸べてくれる優しい人はいないのか。
久しぶりに図書館へ行った。小説は書くだけではなく読むのも好きなのだ。また、物語を作る参考にもなる。気になった本を三冊借りて家に帰った。
しかし三冊ともそれほど面白い内容ではなく、残念な思いが浮かぶ。やはり図書館ではなく本屋で買った方がいいと考えた。
「きっと小説家になれるよ。これほど上手なら」
「雑誌に応募してみたら? 大賞とれるかも」
部員の言葉を思い出す。完結したら、応募してみようか。もちろん大賞をとれるわけがない。ド素人の物語。タイトルだけで面白くないと、読まれず即ゴミ箱行きかもしれない。頑張って書いたものが捨てられるのだけは嫌だ。
「……学校に、サキみたいな子がいればよかったな」
同じような性格の子だ。友だち作りが下手で、いつも独りぼっち。大人しくて引っ込み思案で弱虫。そっくりだったら、悩みも一緒だし相談し合える。ずっとそばにいて、喜んだり悲しんだり。
「私、美咲の気持ちわかるよ」
ふと誰かの声が耳の奥から聞こえた。
「え? サキ?」
驚いて聞くが、答えは返ってこなかった。
「何だろう。今の……。幻聴ってやつかな?」
寂しすぎて、現実では起きない体験をしてしまった。
翌日は、図書館で借りた本を返した。他にも探したが、興味のない本ばかりでそのまま外に出た。
金曜日の夜、咲子がドレスのような服を着ていた。
「どうしたの? そんな綺麗な格好して」
「明日、妹の
どきっと心臓が跳ねた。
「だ、誰の?」
「お母さんが昔からファンのロックバンドよ。どう? おかしいところない?」
「私も行きたいっ」
すかさず叫んだ。しかし咲子は残念そうな顔に変わった。
「チケット、二席しか予約してないの。今からじゃ、もう遅いし」
「そんな……」
「大体、美咲って音楽聴かないじゃないの。行っても知らない曲ばっかりで時間の無駄遣いになるわよ」
確かにその通りだ。ロックバンドなんて、一度も聴いたことがない。
「で、でも。コンサートってどんな感じなのか」
「また機会があったらね。今回は諦めて」
ごめん、と手を合わせた咲子に、小さく頷いた。
翌朝、ブランドのバッグを持った咲子を玄関まで送り、楽しそうにスキップする姿を眺めた。
咲子の妹で美咲にとって叔母の葉子は、子供が産めない体だ。だから遊びに来ると美咲をものすごく可愛がってくれる。結婚もせず独身なため、幼い頃質問したことがある。
「葉子叔母さんは、独りぼっちで寂しくないの?」
「寂しくないよ。友だちがたくさんいるからね」
「そうなの? どれくらいいるの?」
「数えきれないほどいるよ。友だちって、すごく大切なの。美咲ちゃんも、いっぱい友だち作るんだよ」
「うん。わかった。一〇〇人くらいできるといいなっ」
「……一〇〇人どころか、一人もいないよ……」
呟く。まだ昔の方が、周りと仲良くしやすい性格だったかもしれない。恋人もいない。友だちもいない。ずっと孤独な人生。どきどきもわくわくも、全くない。
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