十話

 さっそく、プレゼントされたワンピースを着て散歩してみた。恥ずかしいので誰にも注目されたくなかったが、すれ違った数人の男子がチラチラと見ていた。可愛いと思って見たのか。似合わないのに無理しちゃってと冷やかしで見たのか。美咲にとってはどんな理由でも構わなかったが、やはり他人の陰でこそこそ動くより表舞台に出た方が気分がいいと知った。もちろんワンピースだけで派手な行為はしない。自分をアイドルみたいに考えたり、なぜ自分を見てくれないんだと怒鳴ったりもしない。とにかく地味で、目立つのが嫌なのだ。

 事件は、ワンピースを着て歩くようになって三週間ほど経った日曜日だった。いつも通り散歩していると、後ろから声をかけられた。

「ねえ。君、一人?」

 振り向くと、部長の彼氏だった男が笑って立っていた。となりには誰もいない。

「……あなた誰ですか?」

「いいじゃん。そんなこと。もし一人なら遊ばない? おいしいもの食べさせてあげるよ。ほしいバッグも買ってあげる」

「すみませんが、私これから用事があって」

 そのまま歩いて行こうとしたが、男はぐいっと腕を掴んだ。

「行くんだよ! ほらっ」

 ものすごい力で引きずられる。思わず大声をあげた。

「あなた、部長と付き合ってましたよね?」

「部長?」

「白いシュシュでポニーテールにしてる、山田部長。まさか捨てたんですか?」

「知らねえよ。山田なんてやつ。俺は今まで彼女と付き合ったことなんか」

「その前にも、金髪の子と付き合ってた。私、全部見たことあるんですよ」

「うるせえな。ちょっと遊んでやっただけで、こっちは恋人なんて思ったこと一度もねえよ。それより、ほらっ。早く」

「佐倉さんっ」

 部長が駆け寄ってきた。美咲も男も目が丸くなる。

「ぶ、部長」

「手を離して。離さないと、警察呼ぶわよ」

「ふん。俺が警察でビビるとでも?」

「佐倉さんまで傷つけるつもりなの?」

 部長は、ついさっきまで泣いていたような瞳をしていた。やはりポイ捨てされ、大泣きしていたのだ。

「俺の勝手だろ。俺は何したっていいんだ」

「馬鹿なこと言わないでよっ」

 元カノも走ってきた。部長の肩に手を置き、「大丈夫?」と心配しているようだった。

「あんたのせいで、何人もの女が泣き寝入りしてんのよっ。弄ばれて捨てられる。この辛さが、あんたにわかるの?」

 チッと舌打ちして、男は諦めて立ち去った。

「山ちゃん、平気?」

「ありがとう。それより佐倉さん。変なことされなかった?」

「いえ。ただ腕を掴まれただけで」

「助けられてよかった。佐倉さんまで酷い目に遭ってたら」

 元カノは、部長の恋をめちゃくちゃにするために尾行していたのではなく、もし捨てられた時に励ましてあげたいと思っていたのだ。

「あんた、佐倉っていうの?」

「うん。佐倉美咲」

「へえ。いい名前だね。あたしはカオリ」

「カオリも素敵じゃない」

「そう? えへへ。そんなふうに褒められたの初めて。サンキュー」

 そしてカオリと握手し、別れた。

「なんだ。普通の子だったんだ」

 てっきり気が強くて性格が悪いお嬢様だとイメージしていた。しかし思いやりのある、優しい人なのだと何となく嬉しくなった。人を見た目で判断してはいけない。

 家に帰りワンピースを脱ぐと、ぎくりとした。掴まれた腕に、手形がはっきりと残されていた。痕が付くほど強い力だったのだと恐ろしくなった。二人が来てくれなかったら、今頃どうなっていただろう……。想像するだけで冷や汗が出た。

 翌日から、また地味な服を着て過ごした。また、誰かの陰に隠れるようにして歩いた。美咲は表舞台ではなく、裏で暮らす人間なのだと改めて感じた。

 部長はカオリに励まされ、驚くほどすぐに吹っ切れていた。同じ痛みを受けた仲なので、遊びに行ったり買い物したりしているらしい。

「カオリは最高の親友だよ。妹みたいな存在。カオリがいなかったら、ずっと地獄に堕ちたままだった」

「そうなんですか。すごいですね。妹みたいなんて」

 とても羨ましい。美咲には、そういう友人が一人もいない。落ち込んでも、孤独な世界でぽつんとしているしかない。

「あら? 美咲、ワンピース着ないの?」

 咲子に聞かれ、こくりと頷いた。

「うん。私は地味な服の方が好きなんだ。それにああいう服って、お祝いとか特別な日に着るものじゃない」

「似合ってたのに。もったいない」

「いいの。おしゃれに興味ないの」

 適当に答えて、咲子が返事する前に部屋に入った。

「妹みたいな……。そんな親友か……」

 美咲にも、そういう友人ができるのだろうか。

 地味な女は視界に映らないのか、あの男はやってこなかった。ワンピースをクローゼットにしまい、つまらない毎日の再開。部長がカオリとどこへ行って何をしたかと話を聞きながら、どんどん空しい思いが胸に溜まっていった。

 クラスメイトたちが、カラオケに行こうと計画していた。どうせ参加したいとお願いしても断られると諦めていたが、一人のクラスメイトの言葉にどきりとした。

「佐倉さんも誘う?」

「え?」

「この前、一緒に行きたいって言ってたでしょ? 誘ってみる?」

「別に、あたしはいいよ」

「人数多い方が盛り上がるし」

「じゃ、誰が誘いに行く?」

「あたしはパス。あんまりおしゃべりしたことないから」

「あたしも遠慮しとく」

「みんな嫌なの? ただ誘うってだけなのに」

「なら、美樹みきが言って来ればいいじゃん」

「そうだよ。誘おうって言ったの美樹なんだから」

「ええ……。やだな……。気持ち悪い……」

「まあ、その気持ちわかるよ。幽霊だもん」

「じゃ、やっぱりやめようか」

「呪われたりしない?」

「黙ってれば大丈夫だよ」

「佐倉さん、めっちゃ強い呪いかけてきそうだよね。あー。恐ろしや」

「違うクラスに替えてほしいよ。幽霊がいるクラスなんて嫌だ」

「ていうか、佐倉さんが転校してくれないかな。あたしたちの青春を汚さないでほしい」

 いたたまれなくなって、その場から逃げた。空き教室に入り、声を上げないように気を付けながら泣いた。

 家に帰り、葉子から電話がかかってきた。

「美咲ちゃん。未だに友だちゼロなの? 少しは仲良くなれそうな子」

「いないよ。完全に教室で浮いてる。近寄ろうともしてくれない」

「姉さんから、どうして葉子は子供が産めないんだろうって嘆きのメールが送られてくるよ。私だって産めるなら産みたかったよ。その子が美咲ちゃんの友だちになったもんね」

 いとこなら、血も繋がっていて性格も似ているはずだ。美咲もそれが残念でならない。もし男でも、素晴らしい親友になっただろう。

 ないものねだりしていても仕方ないと、曖昧に返事をして一方的に切った。

 土曜日、クラスメイトたちがカラオケへ向かうところを偶然見てしまった。楽しそうな顔を直視するのが辛くて、視線を逸らした。あの中に自分が入っていたら。かといって無理して周りと合わせると、逆に疲れてしまう。美咲は気を遣いすぎるタイプなので、咲子の話していた通り一人で過ごした方が幸せなのかもしれない。

 これ以上ここに立っていても時間の無駄だ。クラスメイトがカラオケボックスに消えるのを見届け、くるりと後ろを振り返った。走って家に帰る。

 ベッドの上で、メリーを抱きしめる。現在の友人は、メリーしかいない。幼い頃はそれでも満足していたが、成長していくうちにただのぬいぐるみだと愛情が冷めた。いくら声をかけても答えはないし、困っていてもアドバイスしてくれない。一度だけメリーを捨てようと考えたことがあった。咲子に伝えると、かなりショックを受けていた。

「メリーを捨てる? 何でよ?」

「だって私、中学生なんだよ。ぬいぐるみ持ってたら笑われちゃう」

「大人になってもぬいぐるみや人形を部屋に置いてる人、たくさんいるのよ? 捨てるなんて絶対にだめ」

 それもそうかと黙ったが、本当はいらないと思っている。ほしいのは、きちんと生きている友人だ。


 部長が、あまりカオリとの出来事を言わなくなった。どうしたのか聞いてみると、カオリに新しい彼氏ができたらしい。

「最近は、一緒にいられる日が少なくなっちゃって」

「そうなんですか。次の彼はいい人なんですか?」

「うん。大学生で、すでに二人暮らししてるそうよ」

「結婚を前提にって感じですね」

「羨ましいよね。嘘でもいいから言われてみたいセリフ、ナンバーワンよ」

 部長の瞳は、きらきらと輝いていた。いつか部長は言ってもらえる。しかし美咲は夢のまた夢だ。はあ、とため息を吐く。

 久しぶりに原稿用紙を広げた。美咲とサキは分身なので、ワンピースをプレゼントされたこと、酷い男にナンパされて、部長と知らない女子に助けてもらったことなど、詳しく書いた。小説というより日記をつけている。

「もしサキだったら、どうするのかな」

 ぶつぶつと呟きながら、ペンを動かす。よくキャラの方が勝手に話を作ると聞くが、美咲は今まで体験したことがない。そんな不思議な感覚を味わってみたいものだ。

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