十一話

 ふと、ある疑問が胸に浮かんだ。もし仲のいい友人が見つかった時、またテンパってしまわないかという疑問だった。焦っておかしな態度をとったら、それだけで逃げられてしまう。クラスメイトたちが美咲に声をかけたくないのも、このおかしな行動をされたら怖いからだ。友人を探すのも大事だが、それよりも先に自分の性格を変えた方がいい。

 鏡の前に座り、にっこりと微笑んでみた。自然な笑みは、相手をほっと安心させる。普段美咲が作っているのは、ぎこちない笑み。無理矢理笑っているのがバレバレな表情。顔つき一つだけで、美咲がどういう人間なのかわかってしまう。さらに友人がゼロなのも印象を悪くさせている。周りの子と同じように振る舞いたいのに。しばらく鏡とにらめっこしながら勉強しようと決めた。

「何してるの?」

 咲子が聞いてきた。別に隠すつもりはなかったので正直に答えると、目を丸くした。

「普通に笑ってるよ?」

「お母さんの前では普通に笑えるんだよ。でもクラスメイトの前では作り笑いになっちゃうの」

「他人に慣れてないからね。昔から家の中にばかりいさせてごめんね」

「お母さんのせいじゃないよ。私が情けないだけ。もっと積極的にならなきゃいけないのに、勇気が出せないだけ」

「まあ、確かに生まれつきそうだったよね。将来、会社で働くようになったら、一人では暮らしていけないよ。特に仕事は協力しながらするものだから。今のうちに、その病気治しておかないと」

 ぽつりと呟き、咲子は部屋から出て行った。


 

 一週間後の月曜日。朝七時にベッドから起き上がった。窓の外は曇り。キッチンでは、咲子が朝食の支度をしていた。ニュースで天気を確認する。

「午後から雨が降るんだ」

「そうみたいね。傘、持っていきなさいよ」

「うん。ちゃんと自分でわかってる」

 咲子は、昔から小学生に注意するように話す。ああしなさい。こうしなさい。もう高校生なのに、ずっとこの口調だ。不快ではないが、大人になっても一緒なのは恥ずかしい。

 パジャマから制服に着替え、朝ご飯のトーストをかじると、傘を持ってドアを開けた。

 うんざりする厚い雲は、昼頃には真っ黒に変色し、あっという間に土砂降りになった。傘を忘れた子は、かなり焦っていた。こういう時、「私の傘に入っていく?」と気の利いた言葉が口から出せたらいいのにと悲しくなってくる。困っている人を助けたい。しかし体が動かない。モタモタしているうちに「なら、あたしの傘に入っていきなよ」と他のクラスメイトが話した。

「いいの? 優しいー」

「世の中は持ちつ持たれつじゃない」

「ありがとう。お礼に、今度カフェ行こうよ。あたしが奢るからさ」

 嬉しそうな二人の顔。遠くからそっと眺めて、こっそりと息を吐いた。もう少し早く勇気を出せば、カフェに行くのは美咲だった。

「……私の馬鹿。なんて情けないんだ……」

 独り言を漏らしても仕方がない。次、また困っていたら助けようと拳を作った。

 部活には行かず、傘をさして家に帰った。咲子が心配するだろうし、執筆は家でもできる。

 濡れた制服を脱ぎ、シャワーを浴びた。

 翌日、傘を貸したクラスメイトと入れてもらったクラスメイトが約束をしていた。

「二週間後の日曜日。十二時に。駅前の新しくできたカフェで」

「うん。あたし、まだ行ったことなかったんだよね」

「期間限定のパフェ、すっごくおいしいよ。オススメ」

「そうなんだ。ありがとう」

 羨ましい気持ちと空しい気持ちが、胸の中で渦巻いている。あんなふうに私もクラスメイトと笑えたら。一緒にお茶を飲めたら……。

 落ち込んでいる美咲に気づいたのか、咲子が聞いてきた。

「原稿はどうなの? 進んでる?」

「原稿?」

「文芸部で書いてるでしょ? どういう話なのか聞かせてよ」

「恥ずかしいから内緒」

「ええ? 何よ。ケチ」

 むっと唇を突き出す咲子に、ふっと笑った。けれど原稿を読ませる気は起きなかった。あくまで趣味。自己満足。それでいい。

「美咲は、どんなつもりで文芸部に入ったの?」

 意外な質問に目が丸くなった。

「どんなって?」

「そうやって誰にも読ませないなんて、書いた意味ないじゃない。何のために頑張ってるのか、お母さんにはよくわからない」

「恥ずかしいから、別に読まれなくていい。というか、読まないでほしいよ。感想だっていらないし、面白くないって始めから諦めてるし」

「完結したら、雑誌に応募してみたらどう? 賞取れたりするかも」

「ないない。つまらないって、即ゴミ箱行きだって」

 これ以上会話をしていても時間の無駄だ。すぐに自分の部屋に入り、ベッドに寝っ転がった。

 尾行するつもりではなかったが、日曜日の十二時にカフェへ行く二人を追った。おしゃれな格好。学校では禁止されているメイク。夏の太陽みたいな笑顔。距離が遠かったため、話の内容は聞き取れなかった。店に入ってしまい、美咲もこれ以上はついていけず、足を止めた。

「いいな。どうして私には……」

 呟いて空を見上げる。悔しいほど爽やかな快晴。美咲の悩みなど、露ほども感じていない。

 結局、そのまま家に帰った。カフェでお茶を飲んでいる二人は、どんな顔でどんなおしゃべりを交わしているのかな。空しさが胸に込み上げてきたが、涙がこぼれないよう我慢した。

 火曜日も、昼から雨が降り出した。チャンス到来だと目が光ったが、傘を忘れたクラスメイトはおらず、話しかけられなかった。どうしていつも空振りしてしまうのだろうか。その後はすっきりとした快晴が続き、またきっかけが掴めない。みんなは晴れて喜んでいたが、美咲だけは暗い思いで過ごした。

 口数が少ない美咲を心配してくれたのは、文芸部の人たちだった。

「もしかして、原稿進まないの?」

「ネタ切れ?」

 本当は違うが、こくりと頷いた。

「うん。辻褄が合わなくって」

「小説って難しいんだよね。あたしも、そろそろやばくなってきた」

「よく映画とかドラマとか観ろって言われるけど、そんなの観たって意味ないし」

「それに、やっぱり体験してみなきゃ」

「体験?」

 美咲の言葉に、部員たちが目を丸くする。

「そう。実際に恋に落ちて、かっこいい男の子と付き合ってみる。そうすれば、どきどき感や切ないシーンも、スラスラ書ける」

「じゃ、あたしたちには無理だ」

「女子校に通ってて、出会いがないもんなー」

 はあ、とため息を吐いた。偶然街で出会うしか方法はない。もし出会えても、すでに彼女がいる場合が多い。ほとんど前途多難なのだ。

「お母さんは、お父さんとどこでどんなふうに恋人になったの?」

 夕食を食べながら質問した。意外だったのか咲子は目を丸くした。

「大学のサークルで一緒だったのよ。お母さんは完全に受け身で、お父さんが映画観に行こう、ご飯食べに行こうって誘って来たの。それである時、好きなんだって告白された」

「ふうん。男は野蛮で汚いって話してるのに、お父さんはよかったの?」

「始めは、どうしようってすごく悩んだ。けど友だちにたくさん相談して、佐倉くんはおかしなこと絶対にしないよって聞いたのよ。夜も眠れないくらい、すごくすごく悩んで、やっと付き合おうって答えが出た」

 目を逸らした。美咲は友人がいないため、好きな人が現れても相談などできない。

「どうしてそんなこと聞くの?」

 咲子が疑うような目で見つめてくる。

「別に。小説のネタ切れで、経験者に教えてもらった方が早いって考えたの」

「ならいいけど」

 咲子は止めていた箸を動かす。美咲も夕食をまた食べた。

「好きなんだって告白された……。どんな気持ちになるんだろう」

 ベッドの上で、そっと目を閉じる。美咲は出会いがないため想像してもしょうがないが、天にも昇るような幸せがやってくるはずだ。それが騙しや嘘だったらショックだが、本気で愛してくれていると知ったら、とてつもなく嬉しい。咲子は戸惑ったらしいが、美咲はすぐに彼女になると答える。迷っても相談する相手がいないし、自分で決めて大丈夫だと確信したら、絶対に彼女になると頷く。

「美咲、大好きだよ。愛してるよ。うーん……。言われてみたいな」

 かっこいい男の子に見つめられて、そんなセリフを聞かされたら。まさに女の子の憧れだ。女子校を卒業し大学生になったら、もしかしたら出会えるチャンスもやってくるかもしれない。その時までに、いろいろと準備しておこう。家事は一通りこなせるように。それなりに可愛い格好をして、メイクの勉強も必要だ。ダサくて地味でだらしなかったら、告白されるなんて夢のまた夢だ。他にも女子は数えきれないほどいるのだから、見つけてもらえるように努力をしなくては。

「とは言っても、マンガみたいにイケメンが現れるってことはないんだよね。それに、そういう人は大抵彼女がいる。恋人同士になれない」

 悲しいが、自分に魅力がなかったり出会うタイミングが遅かったりすると、横取りされてしまう。卓也だって普通のサラリーマンで、とてもイケメンとは呼べない。最近の俳優ですら平凡と感じるのだから、奇跡でも起きない限り白馬の王子様が愛してくれる未来は待っていない。期待はしないでいた方が、傷つかないだろう。

 咲子の恋愛を、文芸部のみんなにも教えた。

「へえ。好きなんだ、か……」

「素敵なお父さんだね」

「男っぽくて、かっこいいでしょ」

「そんなことないよ。普通のおじさん」

「昔はハンサムでイケメンだったんじゃないの?」

「うーん。とてもそうとは……」

「すぐに告白しないで、ちょっと焦らすっていうのもイケメンがやりそうなことだよね」

「あたしも、そんな恋愛してみたい。いつかは彼氏できるのかな」

 項垂れる部員につられて、美咲も俯いた。夢のような美しい時間。大好きな人と手を繋いで笑い合って、きらきらと輝く夜景でキス。ドラマや映画でしか見たことがないが、みんながそれを願っている。

 家に帰る前に、クラスメイトたちがよく利用しているカラオケ店に行った。まだ四時だったため、店に入ってみた。「一人です」と伝えると、「二階の右奥の部屋をどうぞ」と満面の笑みで案内された。

すでに部屋の中にマイクが置かれ、どきどきしながら曲を選んでいく。音の大きさに、飛び上がるほど驚いた。童謡やアニメ曲を、緊張しながら歌う。気が付くと六時になっていて、慌ててカラオケ店から出た。

「おかえり。遅かったね」

 咲子に聞かれ、こくりと頷いた。

「ちょっと寄り道してたの」

「暗くなったら危ないわよ。自分の身は自分で護る」

「わかってる。言われなくても」

 目を逸らし、洗面所へ行ってシャワーを浴びた。

 会社で疲れた卓也に、文芸部員の言葉を聞かせた。

「イケメンでハンサム? いやあ。それは嬉しいなあ」

「みんな褒めまくってたよ。お父さんが素敵で、かっこいいって」

「そうか。うんうん。よくわかってるなあ。みんな」

「お母さんに告白するの、どきどきした?」

「もちろん。フラれたらどうしようって不安でいっぱいだった。しばらく考えさせてって答えて、まさか失恋か? って怖くなったよ。最後はOKって返事もらえたけど」

「男の人でも、失恋は怖いんだ」

「怖いし、もし他の男と恋人同士になってたらショックだろ? 違う男と付き合ってたら、ものすごく悔しいじゃないか」

「まあね。嫉妬しちゃうよね」

 そこで会話はやめ、自分の部屋に入った。

 咲子が、学生時代の頃のアルバムを見せてくれた。わりと美形な卓也に、目が丸くなった。また、咲子も女らしさに溢れている。

「こんな姿だったんだ」

「まだ付き合い始めて二年だったかな? けっこうお似合いカップルじゃない?」

「うん。お母さん、昔はミニスカートなんて穿いてたの?」

 少しからかう口調で言うと、咲子はむっとする表情に変わった。

「いいじゃない。というか、美咲って女の子なのにオシャレに興味ゼロだよね。可愛い服たくさんあるのに」

「着たって誰も見てくれないから、これでいいの。褒めてくれる友だちがいないから」

「いつか仲のいい子が見つかるって、信じてはいるけど」

「信じてても、叶わない願いはあるよ」

 寂しさと空しさが胸の中に渦巻く。きっとこのまま大人になっても、孤独な世界で生きていくのだろう。 


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