十二話

 三日後の放課後に、書店に寄った。小説の応募をしている雑誌はないかといろいろ見てみる。

「ふうん。大賞だと三十万ももらえるんだ」

 どくんと心臓が鳴る。もし三十万あったら、きっと咲子も卓也も大喜びするだろう。部員からも「すごい」と尊敬される。

「まだ書き途中だから、今考えても仕方ないんだけど」

 ふう、と息を吐き雑誌を元の位置に戻した。そんなにうまく行くわけないと自分に言い聞かせた。趣味として続けていこう。自己満足で充分。「いいよ」と褒められたのも、ただのお世辞。とりあえず、いいと言えば相手は喜ぶ。適当に答えたのだ。何だかひねくれ者のようだが、実際に面白くないのだから。

 くるりと後ろを向いた時、すぐ目の前に立っていた人間とぶつかった。書店で働いている店員だったらしく、手に持っていた本を床に落とす。またかけていたメガネも床に落ちた。

「わわっ。ごめんなさいっ」

 慌ててしゃがみ、メガネを拾う。割れていないか確認し、店員に差し出した。

「ごめんなさい。あたし、よく見てなくて」

 頭を下げる店員に申し訳なくなった。

「いえ。ぶつかったのは私の方なんだし。すみませんでした」

 店員は美咲と同い年くらいで、髪を三つ編みにしている。特にメイクもしていないし、どこにでもいそうな平凡なイメージだ。もう一度「すみませんでした」と謝り、美咲は急いで書店を後にした。

「……まさに、サキって感じの子だった」

 そっと呟く。サキは目は悪くないし三つ編みという設定はないが、自分は悪くないのに謝ったり、謙虚な態度をとったりする性格は似ている。もしサキの小説をドラマや映画にすることになったら、あの店員を選ぶ。

 彼女の姿は、ずっと美咲の脳裏に焼き付いて離れなかった。家でも学校でも何をしている時でも、必ず胸に浮かんだ。メガネと三つ編みの店員。もちろん名前も知らないし、どういう人間なのか全くわからない。ただ、学校のクラスメイトにはいないタイプだ。

「あの子なら、友だちになれそうな……」

 しかし、これもただの妄想だ。想像や妄想ばかりしている自分が情けなくなった。

 好きな人が夢に出てきて一緒に過ごすというのを聞いたことがある。とてもロマンチックで素晴らしいひととき。美咲はまだ好きな人がいないため、代わりに彼女が出てきた。

「ねえ、美咲。駅前の新しいカフェに行かない?」

「いいね。私、まだ行ったことなくて」

「期間限定のチョコパフェ、すごくオススメだよ」

「そうなんだ。食べてみたい」

 二人で手を繋ぎ、おしゃべりしながら歩く。ずっとこの日々を夢見ていた。やっと願いが叶った。しかし目が覚めると独りぼっちという現実が襲いかかってきた。きらきらと輝く世界は終わり、彼女も一瞬で消え失せた。書店で別れる時、そのまま別れるのではなく名前は教えてもらえばよかったと寂しさが増す。

「きっと神様が私に気づいてくれたんだ。あの子と友だちになりなさいって伝えてくれてるんだ。間違いない。私の友だちはあの子なんだ」

 ぐっと拳を固くする。これから美咲がどう行動するかで、天国にも地獄にもなるのだ。

 咲子がおかしなものを見るような表情で聞いてきた。

「何かいいことあったの?」

「え?」

「嬉しそうな顔してる。ほしかったプレゼントもらったみたいな」

「そんな顔してるかな? お母さんの気のせいだよ」

「そうなの? まあ、美咲の喜んでる顔見ると安心するよ」

 慌てて洗面所に行った。確かに少しにやけている感じがする。でも、それくらいの喜びなのだ。独りぼっちという空しさから、おさらばできる。他のクラスメイトと同じように、遊びに行ったり勉強したり……。

「どんな未来が待ってるんだろう? 楽しみ」

 うふふっと声が出た。こんなふうに笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。

 そのあとも、美咲の頭の中と胸の中は、彼女と親友になれるという期待でいっぱいだった。テンパっておかしな態度をとらないようにと自分に言い聞かせ、笑顔の練習もした。また、おいしい喫茶店を探し、人気の商品は何か情報を集めた。一度しか会ったことがないのにこんなことをしても時間の無駄かもしれないが、美咲にとっては楽しいひとときだった。

「書店で働いてたのは、本が好きって意味なのかな?」

 とにかく、彼女についていろいろ考えた。早く早くという焦りも生まれた。他の子に横取りされたらどうしようと冷や冷やした。いつもタイミングが悪くチャンスを逃してばかり。けれど次こそは大切な親友を作りたい。ようやく話し相手が現れる。どんどん期待が膨らみ、どきどきが止まらない。

 常にふわふわ妄想していたため、ボンヤリすることが多くなった。授業中でも教師の声が耳に入らず、体育でも迷惑をかけている。ずっと夢を見ていてはいけないとわかっているが、それでも顔がニヤけてしまう。

 返事はしないが、メリーにだけこっそり伝えた。

「ついに私、友だちができるかもしれないよ」

 メリーは穏やかな目で見つめてくる。

「やっと来てくれたんだよ。ああ……。どんな未来が待ってるんだろう。楽しみでしょうがないよ」

 メリーをぎゅっと抱きしめ、ベッドで転がった。そして床に落ちて、「いたた……」と苦笑いした。

 美咲の様子がおかしいのは、部員も気づいたらしい。

「どうかしたの?」

「え? どうもしてないよ」

「佐倉さん、最近にこにこじゃん」

「そう? にこにこしてる?」

「もしや……。彼氏できた?」

「できないよ。私モテないし。女子校だから無理でしょ」

「街中で偶然会ったりするよ? 彼氏じゃないなら……」

「いつもと同じだよ。別に何もないよ」

 部員は不思議そうな顔をしていたが、友人が現れたとは素直に答えられなかった。

 名前を教えてもらわなかったのもそうだが、どこの高校に通っているのか不明なのも残念だった。バイトの制服を着ていたので全くわからない。とりあえず、この高校の生徒ではないのだけ、はっきりした。

「……待っていても、あの子はこない。私が歩いていくしか方法はないんだよね。だけどストーカーみたいな行為はしたくないし。どうすればいいんだろう……」

 期待が疑問に変わる。友人を作るのは、とても難しく時間がかかるものだと思い知った。

 そんな日々が続いていたある日、部長がそっと声をかけてきた。

「カオリ、引っ越すんだって」

「そうなんですか」

「手紙やメールはするけど、直接会ってっていうのはなくなる」

「寂しいですね。妹みたいな親友だったのに」

「本当、最高の親友だったの。もちろん友だちはカオリだけじゃないんだけど」

 ぽろりと涙がこぼれた。部長の気持ちは届いたが、他に友人がいるならいいじゃないかと感じた。私なんか、一人もいない。私に比べたら、ずっと幸せじゃないか。カオリと離れ離れになったくらいで泣いてるなんて弱すぎだ。口には出さなかったが、少し呆れてしまった。それに、これからだって親友はいくらでも作れる。部長は優しくて思いやりが溢れているため、仲良くなりたい子はたくさんいるはずだ。実際、美咲も部長が友人になってくれたらと願っていた時もあった。だが年上だし好きなものも趣味も違うので、諦めたのだ。先輩と後輩。やはり壁はあるものだ。



 カオリが引っ越して、部長はあまり笑わなくなった。美咲が部員に理由を言うと、みんな心配そうに呟いた。

「そうだったんだ」

「確かに、家族みたいな親友がどこかに行っちゃうのはな」

「ねえ、あたしたちで部長を励ます会やらない?」

 二年生の部員が笑顔で話した。

「部長を励ます会?」

「いいね。いつも部長にはお世話になってるし、恩返ししたかったんだ」

「あたしも賛成。佐倉さんも参加するよね?」

 全員が美咲に注目する。ぎくりと冷や汗が額に浮かぶ。

「あ、あの……。わ、私は……」

「まさか参加しない?」

「部長が可哀想じゃないの?」

「可哀想だけど、他にも友だちがいるんだし」

「佐倉さんって、ちょっと冷たい性格だよね」

「つ、冷たい?」

「寂しがってるのに、そばに寄り添ってあげないなんて。酷いよ」

「そんなふうには考えて……」

「いいや。佐倉さん抜きでやろう」

「うん。暖かい心を持ってる人たちで励ましてあげよう」

「佐倉さんは来ないでよ」

 白い目を向けられ、かなりのショックを受けた。冷たい性格なんて言われたのは初めてだった。慌てて言い返そうと思ったが、言葉が出てこない。部員たちは計画を立て始め、美咲は視線を逸らした。

 また失敗してしまった。どうして人間関係がうまくいかないのだろう。違う世界に取り残されたかのようで、がっくりと項垂れた。

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