九話
彼氏がストーカーで騙されているのではないかと疑い、翌日から美咲はどんどん浮いていった。部活だけではなく教室でもひそひそ声が聞こえた。とても居づらい場所で、部長も部員も目を合わせようとしなかった。「ありがとう」と答えていたが、本当は怒鳴ってやりたかったのだと気づいた。この高校の生徒は優しく、いじめも喧嘩もしない。争いを避けるため辛うじてそう言ったのだろう。腹は煮えくり返っている状態だ。
「部長。すみません。昨日……」
謝ったが、今回は何も言わなかった。そんなことどうでもいいからどっかに行けという態度だ。いくら頭を下げても仕方ないならと、美咲も黙って手だけ動かした。もう小説を褒めてもくれないなと、はっきりわかった。こうやって失敗ばかりしている。ストーカーに騙されてほしくないと部長を想って言ったのだが、逆にこうして美咲が悪者になってしまう。親切が裏目に出てしまうのだ。決して彼氏と別れろと邪魔をするつもりで言ったのではないのだ。ただ「おめでとう」と祝福だけすれば、ギクシャクなんてしないのに。勝手に口から言葉が漏れる。そして自己嫌悪に陥る。負の連鎖が繰り返す。美咲の人生は、ずっとこのループが回って止まらない。
家に帰り、咲子に相談してみた。
「私ね、部長に酷いこと言っちゃったの」
「酷いこと?」
「詳しくは話せないんだけど、すっごく傷ついたと思う。謝っても返事してくれなくて」
「許してくれないって意味?」
「う、うん。優しいから、怒ったりはしないよ」
「口から出たものは、絶対に消えないからね。いつか部長が忘れるまでは、距離置いて過ごした方がいいかもね」
「忘れる? どれくらいで忘れる?」
「お母さんにはわからないよ。部長に会ったことないし。第一、その酷いことが何なのかも知らないし」
さすがにストーカー呼ばわりしたとはバラせなかった。こくりと頷き、自分の部屋に行った。
みんなの白い目線が、いつまでたっても体にまとわりついているようだった。夜はうつらうつらしかできず、全く疲れが取れなかった。
学校へ行っても、誰一人美咲に声をかける人はいなかった。眠くて大あくびしていても、「具合悪いの?」「大丈夫?」と心配する声は飛んでこない。完全に美咲だけ違う世界にいるような感じだ。いつもそう。悲しい、寂しい気持ちで胸が溢れかえる。大人になっても、ずっとこの生活を送っていくのか。たった一人でも、この思いに耳を傾けてくれる存在は現れないのか。
部長がまた明るい表情を見せるようになったのは、それから二週間後だった。彼氏と二人で撮った写真を部員たちに見せたのだ。その彼氏の顔に、ぎくりとした。クラスメイトを弄び、飽きたらポイ捨てする男だったのだ。
「わああっ。かっこいいー」
「超イケメン」
「部長とお似合いですねー」
「ありがとう。嬉しい」
しかし美咲は素直に祝福できなかった。この男の本性を知っているからだ。けれど、はっきりと話してはいけない。作り笑いをして、周りの子と同じように言った。
「優しそうな人ですね。部長が羨ましいです」
「生まれて初めての恋で、いろいろと悩んだりもしそうだけど。彼とならうまくやっていけるんじゃないかなって」
「そうですね。幸せになってください」
にっこりと微笑み、あの男がどういう人間なのか完全に隠した。
「……部長を捨てたりしないでよ……」
心の奥で、こっそり呟いた。裏切られて部長が泣いている姿なんて見たくない。
先日デートしていた彼女は捨てられたのか。それとも浮気をしているのか。どちらにしても酷い男なのは変わりない。
今回はきちんと祝ったので、美咲を睨む部員はいなかった。部長も満足したように、ずっと笑顔で自分の小説を書いている。隠したのは少し罪悪感があるが、知らないフリを続けようと決めた。もし泣いても美咲には関係ない。騙しに気づかなかった自分が悪い。どうして教えてくれなかったの? と美咲を責めることもできないし、すみませんと謝ることもしなくていい。とりあえず部長と部員との関係が元に戻ってよかったと安心した。
部活が終わり帰りの支度をしていると、部長から声をかけられた。
「え? 何ですか?」
「佐倉さん。もしかして気を悪くしてるんじゃないかと思って」
「気を悪く?」
「ストーカーかもしれないって話して、何度も謝ってたでしょ? 私、全然怒ってないからね」
「だけど、やっぱり酷すぎだと」
「心配してくれてありがとう。すごく嬉しかった。ただ祝福されるより、そうやって思いやってくれて」
ぽろりと涙がこぼれた。胸の中のわだかまりがスッと落ちていった。
「ああもう。泣かないの」
「は、はい。ごめんなさい」
部長はハンカチで涙を拭き、よしよしと頭を撫でてくれた。
一気に部長との距離が縮んだと感じた。優しい微笑みと柔らかな口調に、とても感動した。とはいえ、これからは当り障りのないことしか言わない。今回は怒らなかったが、次は怒るかもしれない。仏の顔も三度までだ。
その二人がデートしているのを見たのは、土曜日だった。おしゃれとメイクをし、男の腕にもたれかかるように歩く部長を遠くから眺めた。二人とも幸せそうな顔。しかし、その後ろに元カノが睨みながら尾行しているのに気づいた。まるで獣のような顔つきで、今にも噛みつきそうな彼女に慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと。何してるの?」
「は? あんた誰よ」
「部長のデート、めちゃくちゃにしてやるって考えてるの?」
「そうよ。あたしのダーリンを奪い取ったのよ。ふざけんなって怒鳴り散らしてやる」
「やめて。邪魔しないでよ」
ぐっと腕を掴む。それを勢いよく振り払った。
「だから、あんた誰? 関係ないんだから、どっか行ってよ」
どんっと強くどつかれ、その場に尻もちをついた。ゆっくりと立ち上がると、部長たちも元カノも消えていた。部長が悪いのではなく、男が悪いのに。走って探してみたが、どこにもいなかった。
「どうしよう。元カノに引き裂かれたら……」
止めなくてはと考えても、美咲が出て行ったところで元カノが大人しくなるとは思えなかった。そのまま家に帰り、ただひたすら悪い出来事が起きませんようにと願った。
月曜日、部長に会うとすぐに聞いた。
「一昨日デートしてませんでしたか?」
「え? そうだけど」
「変な女に邪魔されませんでしたか?」
「変な女? いなかったよ?」
ほっと息を吐いた。どうやら諦めてくれたらしい。
「変な女ってどういう意味?」
「いえ。特に意味はないです」
「そう。ならいいんだけどね」
「もし変な女がやってきたら、私に言ってください」
「佐倉さんに?」
「私が邪魔するなって追い払います。遠慮なく言ってください」
部長のためなら何だってやると決意していた。もちろん美咲は弱いし、追い払うなんて無理だろう。部長は軽く頷き、そのまま別れた。
それからしばらくは、また何の変哲もない日々が続いた。悪いことはないが、逆にいいことも起きない。つまらない毎日。もっと心躍るようなことはないのか。こんなに色褪せる青春は空しすぎる。恋人もゼロ。友人もゼロ。独りぼっちで悲しい寂しい。
「どうやったら友だちって作れるのかな?」
どれほど悩んでも、その答えは見つからない。ずっとそばにいてくれる人がほしいのに、どうして美咲には現れないのだろう。
買い物の帰りの途中で、ある店のショーウィンドウに目が釘付けになった。部長がデートで着ていたワンピースが飾られていた。
「可愛い。素敵……」
まるで吸い寄せられるかのように店に入る。売られているワンピースの写真を撮っていると、若い店員がにこにこ笑顔でやってきた。
「よければ試着してみます?」
「いいんですか?」
「どうぞ。きっと似合いますよ」
恥ずかしかったが、お言葉に甘えて試着室に入った。何とか着替えてカーテンをひく。
「あらっ。とっても可愛い。着心地はいかがですか?」
「気持ちいいです。でもこれ、高いんですよね」
すると店員はウインクし、そっと囁いた。
「お客様にだけ特別に、無料で差し上げますよ」
「え? ど、どうして」
「いいんですよ。支払いは私がしますから。きっとこのワンピースも、お客様に着てもらいたいでしょうし」
「そんな……。申し訳ない……」
「はいっ。どうもありがとうございました。またご利用くださいねっ」
ぐいぐいと背中を押され、美咲はワンピースを着たまま外に出た。走って家に向かう。咲子に驚かれた。
「どうしたの? そのワンピース」
「お店に行ったら、無料で差し上げますって。プレゼントされた」
「へえ。よかったじゃない。美咲って女の子っぽい服ほとんど持ってなかったから」
褒めてくれる人がいないから、わざわざおしゃれなどしなくていいと考えていたが、やはり年頃の女子なので嬉しくなる。薄いピンクにふわふわのフリル。お姫様みたいなイメージ。これから出かける時は、このワンピースを着ようとどきどきした。
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