9.全人類はいずれビーガンになると思う

私は肉が好きだ。

焼肉に行ったら野菜など食べない。

何なら米も要らない。ひたすら肉を食う。

食べ放題での話ではない。普通の店でもそうなのである。

さすがに40歳を過ぎてからほとんど牛脂のようなカルビは食べられなくなったが、今は赤身肉が美味しい。レバーも。

一回の焼肉店訪問で軽く2万円は使ってしまうので、デブの独身中年恐るべしである。貧乏なのに・・・

さて、そんな私だが、意外にも人類はいずれ動物の肉を食べなくなるのではないかと思う。

現在、人類の食肉事情はエゴに塗れている。

命は平等という人道的観点に立つのであれば、豚も犬もクジラも同じ生命を頂戴しているわけであってその尊さに優劣はない。

しかし現実は豚は平気で食べるが犬は愛玩動物で可哀想だから食べないなどいうような慣習が人間社会には広く横行している。

これが国が変われば犬は平気で食べてしまうのであるから、この取捨選択が種として人類と犬の間に生じた普遍的な生理的現象などではなく、単なる人類同士の食習慣の違いからくる好みの差であることは明白である。

そして命の尊さに優劣がないからこそ、本来は何を食べるかという取捨選択にも優劣はないはずである。

何を選んでも何かを犠牲にしなければ生きていけないという原罪は消えないのだから。

であるのに特定の人はまるでその取捨選択に正当性があるように見せかける。

だから食の選択の話はエゴイスティックになってしまうのだ。

よしんばそのエゴの存在を既存の文化として受入れたとしても、エゴは文字通り利己主義であるから、当然他人のエゴに従う必要などない。

豚だって犬だってクジラだって食べたい人は食べればいいし、それを他人にとやかく言われる謂れはない。(感謝は必要だと思うが)

この様に人類が何を食べるかという選択は主観的な好みから来ており、これはビーガンも例外ではない。

可哀想だから動物を食べるなという発想自体は、可哀想だから犬を食べるなというものと同じ着想であり、「全ての動物を食べないのでエゴではない」という言い逃れはできない。

豚は良いが犬はダメ、植物は良いが肉はダメ、どちらも可哀想かどうかという主観で自分達が選ぶ側に立っている時点で同じ穴の狢である。

動物は可哀想で植物は可哀想ではないという説明を万人が納得するロジックで説明できる者はいないし、好みは畢竟エゴなのだから他人に押し付けて良いものではない。

つまり私が言いたいことはこうだ。

「肉を食べたくない人は勝手に食べなければ良い。私はそれを尊重する。だから同時に肉を食べたくない人に自分の食習慣をとやかく言われる筋合いもない」

というものだ。

しかしそんな私でもいずれ全人類はビーガンになるのではないかと思っている。

エゴは偉大だ。

人類は自らのエゴを具現化する方向で進化していると言える。

文明も人道主義も、全ての根源はエゴである。

例えば人類は本質的に野蛮であるが、同時に野蛮であることを忌諱する気持ちもあり、文明が進化するにつれどんどん野蛮なことから遠ざかろうとしている。

簡単に言うと人類は可哀想でないことを好み、可哀想な事をしないように進化している。

不思議なことであるが、それが人類の精神に安寧をもたらし、利己心にマッチしているのだ。

そのために宗教の戒律を作ったし、宗教もやりすぎだとなれば生贄も止める。

社会倫理のロジックが熟成してくればより合理的な法律を作るし、なんなら殺し合いでる戦争のやり方にすらルールを作る。人類はずっとその方向に進んでいるのだ。

古代文明でさえ、最初は王の墓に本物の人間や動物を殉葬していたのだが、時代が経つにつれ兵馬俑や埴輪などの人形で代用するようになった。

埴輪を埋める古墳時代の人は言うであろう、「えっ、昔の人って本物の人間や馬を王の墓に埋めてたの?残酷!」と。

一度代用品を見つけて可哀想な事をしないようになった時代の人からすれば、二度と昔の野蛮な時代には戻りたくないだろうし、戻そうとしたらその行為は人々の支持を得られないであろう。

さて、ビーガンの話であるが、では彼らは残酷な肉食は止めさせるためにどんな代用品を用意するのか。

それは月並みな答えだが、恐らく合成肉だと思う。

既存の大豆ミートなどの代用肉ではまだ不十分だ。

それは単純に味が肉ではないからである。

完璧に肉と同じ味の美味しいものが必要なのである

現状、多くの人がいまだ肉の美味しさと動物を可哀想だという気持ちを天秤にかけ、肉の美味しさの方を選んでいる。

それほど肉の味は大事なのである。

なんせ、動物が可哀想だと肉を食べない当のビーガン自身が肉の味を忘れられず代用品を探し続けているのだ。

もはや肉食は人類の幸福度に影響していると言っても過言ではないだろう。

肉食を止めること自体が宗教の修行になってしまうぐらいなのだから、食肉がないという状態は異常な状態なのだ。

というわけで既存の肉と全く味の遜色がない合成肉の発明が必要なのである。

一度これが発明され命を奪わずに美味しい肉が手に入るとなれば、多くの人の天秤は可哀想な気持ちの方に傾くだろう。

そして100年後の人類はこう言うかも知れない。

「えっ、100年前の人って本物の動物の肉を食べてたの?残酷」

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