10.漢民族とは何か

民族を隔てるものとは何であろうか?

血統?人種?言語?宗教?あるいは地理的要因?

恐らく世界中の民族のほとんどはこれらによって区切られいるのではないか。

しかし漢民族はこれのいずれにも該当しない。

漢民族の血統はバラバラである。

例えば北方の漢民族には蒙古斑があるが南方の漢民族にはない。

平均身長も南北で10cm近くも違う。

歴史を見ても、あの有名な項羽は実は楚人そひとであって漢民族ではない。

唐王朝を開いた李淵・李世民親子も拓跋氏出身であり漢民族ではない、というのが歴史家のもっぱらの見解だ。

しかし楚人の子孫である現在の湖南・湖北・江西省の住民も、拓跋氏たくばつしの子孫である山西・陝西省の住民も今では普通に漢民族として暮らしている。

歴史の流れの中で本来の民族を捨て、漢民族化していったのだ。

そして現在、彼らは自分たちが漢民族である事に何ら疑問を持っていない。

西の世界には2600年も前に国土を失い流浪したのに、未だに民族性を保って聖地奪還の為に血を流してる民族もいるわけだが、それと比べるとえらい違いである。

漢民族とは不思議なもので、漢民族になりたいと漢民族的な生活様式を受入れた者も、漢民族の富を奪いに来て居座った侵略者も気がつくと漢民族を自認してしまうのである。

では漢民族とは何なのか?

これを紐解くために漢民族の歴史を見ていこう。

最初期の漢民族は黄河中流域に暮らす小規模な部族だった。

その時漢民族はまだ華夏族と呼ばれていた。

(漢民族という概念が出来るのは漢王朝以降のことであるが、現代の漢民族はこの華夏族に文化的・文明的な起源を求めているので、以降、本文では都合上漢民族で表記を統一する)

この中から燧人氏すいじんしという肉を焼いて食べる事を発明して食中毒者を減らした人が出たり、有巣氏ゆうそうしという木の上に家を建てて就寝中に人が動物に襲われるのを防いだ人が出たり、神農しんのうが農業を始めたりして、原始的だった部族が徐々に文明化していく、というのが初期の漢民族の歴史だ。

そしてぎょうが出るに至って漢民族は社会的なルールを得た。

「こうした方が人間関係気持ちいいよね?」

「こうしたら不毛な争いが起きないよね?」

そういう「人にとって良いこと」を元にしたルールを堯は作り、それを徳と呼んだ。

すると、周りの部族も「それ良いじゃん!俺等も真似したい!」と仲間に加わりたがり、漢民族もそれらを「良いよ良いよ!同じルールで暮らすなら仲間だ!」と際限なく受入れていった。

これがいわゆる聖人堯が徳で周囲の部族を屈服させたという伝説である。

この様に、漢民族の拡大はスタートからして血統や宗教に頼らないものであり、その出自を問わないものであった。

(その代わり漢民族のやり方に同化しない者は蛮族として蔑んだ)

そうやって漢民族が拡大していくとしゅんの時代を経ての時代になり、今度は治水事業に成功した。

これにより漢民族は広大な農地を獲得し、豊富な食料は人口の増加をもたらした。

そしてこの人口の増加は人々の生活の中に「見知らぬ他人」を大量に生み、今まで人間関係の中で守られてきたルールがだんだん守られなくなって秩序が乱れてきた。

ここで生まれたのが人が人を管理する職業、官僚である。

官僚は人を管理するシステムを構築し、増えすぎた人口にルールを周知させ、富を収集し再分配した。

これにより社会秩序を取り戻すことができたが、ここで一つ問題が生まれた。

人を管理する官僚に権力が生まれてしまったのである。

これは人を管理する権限を行使する以上仕方のないことであったが、権力者達は一度手にした権力を他人に渡しくたくなくなり、子に継がせる事にしたのだ。

そして彼らはその継承に説得力を持たせるために、民族の代表者であった禹の子供を担いで、親が子の権力を継承することに正当性を持たせた。

これが夏王朝の始まりである。

ここから長い長い中華王朝の歴史が始まるわけだ。

そして、ここで生まれた官僚制度と権力こそが、漢民族が手放せない民族の骨子となった。

なぜなら、この制度を利用しないと、広大な領地と莫大な富を管理して己のものにできないからである。

そしてこの継承は漢民族だけで行われて行ったわけではなかった。

すなわち、最初は漢民族の富を奪う目的でやってきた異民族も、漢民族から得た富を継続的に得て維持しようとすると、どうしても漢民族が生んだ官僚制度を取り入れざるを得なかったのである。

官僚制度で富を集めて、それにより得られた権力を子に継承して行くと、どうしても漢民族と同じ生活様式を取り入れることになってしまったのだ。

そして何代もその権力を継承するうちに、生活は漢民族とほぼ同じものなってしまい、気がつけば異民族も漢民族と区別がつかなくなってしまうのである。

五胡十六国時代の異民族国家も、唐も金も元も清も全て異民族が作り上げた国家であったが、五胡十六国時代や唐や金の時代の異民族達はもうとっくに漢民族になりきってしまっているし、元の時代のモンゴル族達も草原に帰らずに漢民族になったものがたくさんいたし、清を作った満州族も時代が近いのでまだ名前だけは残っているが、現在の生活は漢民族とほとんど差がない。

話をまとめると、漢民族はこのように血統や宗教や言語に依らない、漢民族が生み出した文明制度を共有する人達の集まりなのである。

これは現在で言うと、民族というよりは「国際人」という感覚に近い。

例えば現在多くの国は国連に属して国際的な共通ルールに従っているが、これは西洋のルールが世界全体に波及したものだ。

しかし以前は世界はもっと細分化されていて、西洋には西洋の、東洋には東洋の共通ルールがあったのだ。

そして、東洋のそれが中華王朝の文明だった。

つまり、漢民族というのは、そういう巨大な文化圏のルールを共有している人たちのことで、現代国際人が国際ルールを受入れて従っているように、東洋人は中華王朝の文明を共有してそれに従っていたのだ。

これが中華王朝の本土だと、文明の中心地(富が集中している場所)なので、そこで暮らすものはその文化にほぼ100%従って暮らしていくので、いつしか漢民族そのものになる。

ちょっと離れていると、富は地理的に中華王朝と連続したものではなくなるので、現地にあったアレンジが行われて完全な漢民族化は行われない。

それは日本で例えるなら、聖徳太子が遣唐使を通じて学んだ中華王朝の官僚制度を日本風にアレンジしたあれである。

当時は今ほど科学技術が発達してなかったので、交通機関の利便性や通信手段に限界があり、どうしても単一の制度では統治ができなかったのだ。

そこで中華王朝とその周辺の朝貢国という形ができあがった。

そして中華王朝の本土では、血統も宗教も言語も違う人達が、脈々と同じルールに従って富を奪ったり奪われたりしていったのである。

ではこの官僚制度こそが漢民族の骨子だと言うのであれば、現在の中華人民共和国もこれを継承しているのであろうか?

答えはYESである。

中国共産党は最初は庶民による庶民の為の政治を目指した。

つまり無知で無垢な農民による共同体をベースにした新しい国家を作ろうとしたのだ。

しかしそれは建国後すぐに崩壊した。

多くの人口、多くの法律、多くの資源、多くの物資を抱える中国は、無知な農民ではとてもではないがそれらを管理しきれなかったのである。

例えば毛沢東は無知な農民の代表として、大躍進政策だいやくしんせいさくという無知蒙昧な政策を行い、一説にはそれにより4500万人もの国民が亡くなったという。

そういった無知からくる無茶な政治が国家を揺るがすことになり、毛沢東は失脚して有識者や知識層が復権し、国家の運営を担うようになった。

そこで矢面に立ったのが周恩来や劉少奇や鄧小平などの知識層だ。

彼らはあっという間に前王朝の様な官僚制度を復活させて、世の中は平穏を取り戻した。

しかしそれが気に食わないのが毛沢東である。

「これでは元の木阿弥ではないか?革命を起こした意味がない!いや、革命はまだ終わっていない!新たにできてしまった権力構造を打ち壊して、もう一度庶民の為の国を作ろうじゃないか!革命続行だ!」

それで起きたのが文化大革命ぶんかだいかくめいである。

毛沢東は文化大革命でありとあらゆる「中華文明的なもの」を否定した。

それは最終的には官僚制度に繋がり、元の王朝に戻ってしまうからである。

そして若者を焚き付け、また社会に破壊と混乱を引き起こした。

結果とてつもない悲劇が起きたのであるが、毛沢東はただの権力争いの為に文化大革命を起こしたわけではなく、こういう意図もあって革命を続行したのだ。

中華文明をぶっ壊せ!

それが毛沢東のライフワークだったのである。

彼は中華文明の破壊に唯一挑んだ挑戦者だったのだ。

しかしその後の歴史は皆さん御存知の通り、毛沢東の死後中国の国家体制は三度復権した鄧小平によってあっという間に官僚主義化されてしまい、国家公務員と共産党員が官僚として権力を国民に行使する図式が復活した。

それの是非は別として、それにより中国の国情が安定して、更に改革開放政策により経済も大きな発展を遂げたのも事実である。

このように中国の中枢には未だに官僚制度が脈々と続いており、その管理下で暮らす人々は相変わらず漢民族なのである。


最後についでと言ってはなんだが、漢民族が持っている中華思想についても語ろうと思う。

先程漢民族とは国際人の様な感覚のものだと書いたが、ここになぜ中華思想がああも尊大で鼻持ちならないのかという理由が隠されている。

すなわち、漢民族にとっては漢民族が有していたルールはグローバリゼーションそのものなのだ。

例えば、現在我々は国際人として男女平等を当然の良いこととし、未だ男尊女卑を続ける文化圏に是正を求めている。

これはグローバリゼーションの一つの側面だ。

この行為に国際人として疑問や不快を感じる人はほとんどいないであろう。

中華思想はこの感覚に近い。

現在のグローバリゼーションは西洋から生まれたスタンダードであるが、漢民族は自分たちの文明が生んだルールもそれと対等なもう一つスタンダードであるべきと思っているのだ。

そして中華思想はスタンダードなのだから、当然それはグローバリゼーションとして共有すべきものなのだ。

だから彼らは平然と自分たちのルールを押し付けてくる。

まるで今の我々が国際ルールを何の疑問も持たずに異文化に押し付けるように。

であるから、彼らにとっては西洋の理屈で西洋先行で強制されるルールは受け入れがたい。

それは自称4000年の歴史を持つ漢民族にとっては屈辱でしかないからだ。

中国はまた漢民族発信の文化圏と国際スタンダードを取り戻したいのだ。

それが今中国で言われている「中国夢」の内実である。

そのためには西洋文明と拮抗する力を持たなければならない。

昨今中国がやたら欧米を敵視して、アメリカと対等な席につける国家を目指して軍拡や一帯一路による経済支配を進めているのはこういった理由のためだ。

我々日本人は以前はその中華思想のスタンダードに即して生活していたが、既に西洋のルールで生活するようになって久しい。

明治維新以降はずっと西洋の理屈を常識としていたので、中国スタンダードはとても受けれられるものではないだろう。

しかし、これまでの200年はそうであったが、今後の200年のことは分からない。

以前脱亜入欧したように、脱欧入亜する未来が果てしてくるのであろうか?

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