4.下町とは何か

「東京下町情緒あふれる・・・」

と言われると、皆様はどの地域を想像するだろうか?

浅草界隈?

寅さんの柴又?

それとも商店街が活気づく戸越銀座や十条だろうか?

この中で実は下町は浅草一つだけ。しかもギリギリのギリギリ、下町の北の最果てである。

柴又は下町の外にある帝釈天の門前町で、遠く離れている。

戸越銀座や十条も下町とは何の関連もないただの商店街だ。

ではそもそも元々の下町とはどういう意味なのであろうか?

それは簡単である。城下町の意味だ。

上級武士が住む城内や、それ以下の武士が住む武家屋敷群、武家町。

それらは大抵町民などの庶民が住む区域より一段高い位置にあった。

それに対して城の下にある町という意味で城下町、である。

では東京、いやさ江戸の下町とはどの辺りであろうか。

江戸城は武蔵野台地の東端に位置しており、その台地の末端は河川に侵食され複雑な形をしている。

その形を手指に例えて山の手と呼んでいるのであるが、この一段高くなっている山の手の地形を利用して江戸城と武家屋敷群は構築されている

江戸城の内堀をぐるっと走るマラソンをしてみればすぐに分かるが、江戸城は東が平坦で西が丘陵になっている。

時計回りに内堀を回れば、国会議事堂が見えてくる辺りから三宅坂を上がって半蔵門にまで至ればかなりの高さまで上がってきたことがわかる。

この小高い麹町や一番町二番町三番町以下略、四谷辺りまで武家屋敷群が広がっていたのだ。

階段で有名な番町皿屋敷はまさにこのエリアで、中級武士である旗本の青山が奉公人のお菊さんを手打ちにしたわけだ。

ここら辺のエリアを下町だと思っている東京人はまずおるまい。

では本題に入る。

本題の下町とはどこなのか?

それは江戸城の城下町である。

具体的には新橋、銀座、京橋、日本橋、神田、上野、入谷、浅草の今で言う中央通りを中心としたエリアだ。

これを聞いて「えっ」と思う人も多いかも知れない。

そこら辺はオフィスビルが立ち並ぶ商業エリアで、全く下町情緒など感じられないではないか、と。

しかし待って欲しい。

確かに今はビジネスマンと観光客が跋扈する地域住民もまばらなエリアになってしまっているが、本来江戸の庶民が暮らしたエリアはまさしくここなのである。

その時代には我々がイメージする下町情緒がちゃんとそこにあったのだ。

この時代の変化による町の性質の変化が下町という言葉をややこしくしている。

本来下町とは江戸城の城下町の意味であるから、土地的な意味では動かしようもなく上記の商業エリアが下町なのである。

しかし、下町は土地を表す意味合いの他に、雰囲気を表す言葉としても機能してきている。

この庶民的な雰囲気を指す下町を都合上「広義の下町」と呼ぶことにする。

すると当然本来の土地を表す下町は「狭義の下町」ということになる。

狭義の下町が示すエリアは上記通り明確である。

新橋、銀座、京橋、日本橋、神田、上野、入谷、浅草を中心としたエリアだ。

しかし広義の下町となれば、これはもう下町的な人情あふれる町であればどこでも下町を使用しても良いのだ。

新富町の古老がいくら「柴又が下町で寅さんが江戸っ子?へっ、冗談言うんじゃねえ。あんなん葛飾の田舎もんじゃねえか」と息巻いたところで、メディアは既に狭義の下町は忘れ去り、なんとなく庶民的な感じがするエリアをとても安易に下町と呼んでしまうのである。

これはすでに広義の下町が下町の一般的な意味として通用しているからであり、これに目くじらを立てても今更後の祭りなのである。

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