色は移ろう

平井敦史

第1話

「うーん、いい香り~!」


 グラスをすりながら、優子ゆうこが感嘆の声を上げる。


 彼女、浦島うらしま優子ゆうこと私、大西おおにし美由紀みゆきは、高校時代からの付き合いだ。

 香川県西部の高校を卒業した後、それぞれ東京の別々の大学に進学したが、何だかんだでいまだに付き合いが続いている。性格は正反対なのにね。


 優子が今飲んでいるのは、私の自家製ボタニカル。ホワイトリカーにカモミールなどの各種ハーブを漬け込んだものだ。

 もちろん、私も同じものを飲んでいる。


 優子は私の部屋を興味深げに見回して、


「これに入ってるハーブ、美由紀が自分で育てたやつなの?」


「市販のも混じってるけど、大体そうね」


「すごいね~。美由紀にこんな趣味があるとは知らなかったよ」


 まあ、ハーブの栽培自体は割と最近始めたからね。実家にいた頃から母さんと一緒に土いじりは多少やってたんだけど。


「それにしても、優子も元気そうで何よりだわ。藤田くんも元気にしてる?」


「うん、元気元気。夜が大変なくらい」


「そんなことは聞いてない」


 あれは四年前の夏のこと。夏休みに帰省して、優子やその他の高校時代の友人たちと地元の海水浴場へ泳ぎに行った時、私たちは七百年余りも前の時代からタイムトリップしてきた人にった。――酔っぱらってるのか?などと思わないでほしい。本当の話だ。


 行く当ての無いその太郎たろうという男の人を、優子はそのまま東京のアパートに連れて行き、同棲を始めた。

 が、しばらくして、ふとしたことから彼が持っていた箱の蓋が開くと、彼は煙に包まれ、しわくちゃの老人になった挙句、ちりと化してしまったという。

 その時の優子の嘆き悲しみっぷりは、正直自殺を危ぶむほどのものだったが、その後しばらくしてバイト先で出会った二つ年下の男の子、藤田ふじた健介けんすけくんのおかげもあって、彼女は立ち直った。


けんちゃんも今年で大学卒業じゃん? そしたら結婚しようかなーって」


「本当? ちょっと早い気もするけど、祝福するわ。おめでとう」


「ありがと。美由紀は今ひとりなんだっけ? 早く彼氏見つけなよ」


「そうね。頑張るわ。……何よ、その顔は」


「いや、いつもなら『余計なお世話』とか言うところなのに。何々? 好きな人いるの?」


「それこそ余計なお世話」


 この子としゃべっていると、いつもこんな調子だ。

 呆れたり疲れたりすることもあるけれど、結局は心地良いのだと思う。

 高校の頃の楽しい――色々迷惑を掛けられたこともあったが――思い出がよみがえる。それらは決して色褪せることはない。



 夜十時を回ったあたりで、優子を帰らせた。

 え~? もうちょっといたい~、などとぐずる彼女の手を引いて、最寄りの駅まで送って行く。まったく、世話の焼ける。


 駅からの帰り道、会社の知り合いが歩いているのが目に入った。


「あれ、浅野あさのさん?」


 それは営業部の浅野さんという男性だった。私より歳は三つほど上で、営業成績も見た目も良いので社内の女性たちからは非常に人気のある人だ。

 そして、その隣に寄り添うようにして、女性が一緒に歩いていた。


 幸い、向こうはこちらに気付いていないようだ。

 こんなほろ酔い加減で部屋着のまま外出しているところを見られたくはないし、向こうも知り合いに出会でくわしたくはないだろう。

 そのままそそくさと立ち去って、私は家に帰り、歯を磨いて床にいた。



 それから数日後のお昼休み、休憩室にちょっとした人だかりができていた。

 その中心にいるのは、宮内みやうち寿恵留じゅえるという私と同期の女性。正直ちょっと苦手なので関わりたくはないのだが……、


「あ、美由紀ちゃん。ほらほら、ちょっと見てごらん」


 私と宮内さんと同じく庶務課に所属している先輩、沢井さわいさんに見つかって呼び止められた。この人はすごい世話焼きで、時々有難ありがた迷惑めいわくに思うこともあるのだが、基本良い人だし世話になってもいるし、無視するわけにはいかない。


「どうしたんですか?」


 私が覗いてみると、ちょうど宮内さんが給湯室に常備のティーカップに自分の水筒から液体を注いでいるところだった。

 その液体は、鮮やかな青い色をしていた。


「バタフライピー、ですか?」


「……そうよぉ。よく知ってるわねぇ」


 自慢したかったのに私に先に言われてしまったからだろうか。宮内さんはちょっと不満そうに頷いた。


 バタフライピー、「蝶豆ちょうまめ」というのは東南アジア原産のマメ科植物で、その青い花弁はなびらから抽出したハーブティーは、ご覧の通り鮮やかな青い色をしている。

 そして……。


「もしかしてぇ、美由紀ちゃんはこれも知ってるかなぁ?」


 そう言いながら、宮内さんはラップにくるんだレモンスライスを取り出し、ハーブティーに絞り汁を入れた。

 すると、ハーブティーは鮮やかな青から鮮やかな紫へとその色を変えた。


「わあ、綺麗!」


 ギャラリーの人たちから、歓声が上がる。

 バタフライピーのアントシアニン色素が酸に反応したことによる色の変化、だったっけか。


「実際に見るのは初めてです。すごく綺麗ですね」


 素直に感想を言ってやったら、宮内さんは満足そうな表情を浮かべた。


 宮内さんという女性ひとは、優子にちょっと似ている。

 要するに、見た目は可愛らしいが中身はお馬鹿、ということだ。

 ただし、大きく違う点がある。それは、笑って済む馬鹿か笑って済まない馬鹿かという点だ。


 優子は馬鹿だが、周りの人間から「これはしちゃ駄目」と言われたことは素直にやめておくだけの分別を持ち合わせているので、多少お馬鹿な言動があっても許されている。私が長年あの子と付き合っているのもそういうことだ。


 一方、この宮内さんは、周りがやっちゃ駄目と言っていることにも勝手な判断で手を出してしまうたちの悪い馬鹿だ。

 その結果、事務処理能力そのものはそう低いわけではないが迂闊に仕事を任せるわけにいかず、それどころか、頼んでもいない仕事に勝手に手を出して、周囲に(特に私に)迷惑を掛ける。

 それなのに、男性陣からはその見た目のせいでいまだにちやほやされている。本当に勘弁してほしい。


 そんな私の気持ちなどおそらく露知らず、彼女はギャラリーの皆に爆弾発言を投げ込んだ。


カフェインは良くないからぁ、これにしておきなさい、って彼氏がいうものですからぁ」


「え!? 宮内さんおめでたなの?」


 マジか。でも、彼女まだ独身なはずだけど。


「あまりおなかが目立たないうちにぃ、式は挙げるつもりですぅ。そういう話になっていてぇ」


「浅野さん!? て、営業部の!?」


「はい、そうなんですぅ」


 周囲から、若干じゃっかんやっかみ交じりの祝福が投げかけられる。

 宮内さんは得意満面だ。


「あたし二月生まれなんですけどぉ、彼九月生まれでぇ、ほら、二月の誕生石はアメジストで、九月はサファイヤじゃないですかぁ。これの色の変化、サファイヤからあたしアメジストへって感じでぇ、すごくロマンチックだと思いません?」


「本当だ。素敵ね」


 皆は素直に感心しているが、いや、ちょっと待って。私は色々混乱していた。


「ほら、美由紀ちゃんも。いい香りよ」


 沢井さんから、ティーカップが回ってきた。皆で香りをかいでいたらしい。

 え? この香りは……。


「これ、さっき絞ったレモンだけじゃなく、レモングラスも配合されてます? それに、カモミールの香りもしますね」


「……へえ、美由紀ちゃんハーブに詳しいんだぁ」


 何やらまた機嫌を損ねた様子で、宮内さんが言う。いや、あなたに馴れ馴れしくちゃん付けで呼ばれる私だって不愉快なんですけど。


「いえ、ちょっとかじった程度です。お恥ずかしい」


「あ、そ」


 それきり、彼女は私には興味を無くしたようで、バタフライピーのお茶は疲れが取れるだとかお肌に良いだとか、あれこれ講釈を垂れていた。


 私はそっとその場を離れ、外へ昼食を食べに出た。だいぶ時間が押しちゃったな。まったく、迷惑な。



 午後になって、私は仕事の合間に少し席を離れ、営業部に顔を出した。

 浅野さんは社に戻って来ていたようで、姿を見かけたので声を掛ける。


「浅野さん、ちょっとお話があるんですけど、いいですか?」


「おや、大西さん。珍しいね。何の御用かな?」


 如才じょさいない微笑みを浮かべながら、浅野さんが言う。


「ええ、ちょっと……」


 私は言葉を濁し、彼を人気ひとけの無い階段のところへ連れ出した。


「で、話って何かな?」


「宮内さんから聞きました。ご結婚なさるそうですね」


「ああ、もう知れ渡っちゃったかあ」


 彼は照れくさそうに――と言うよりも若干迷惑そうに、そう言った。


「それで、彼女にバタフライピーのお茶を勧めたそうですね」


「ああ、あれね。妊娠中は普通のお茶のカフェインは良くないって聞いたから……」


「そうですね。でも、バタフライピーも子宮しきゅう収縮しゅうしゅく作用さようがあって、流産のリスクが高まる可能性がある、と言われています。ご存じでしたか?」


「え!? そうなの!? 良かれと思って勧めたんだけど……。彼女には飲まないよう言っておくよ。ありがとう」


 彼は慌てた様子で私に頭を下げ、その場を立ち去ろうとした。


「ご存じだったんですよね?」


「え?」


「わかっていて、わざと彼女に勧めたんじゃないか。そう言っているんです」


「心外だなあ。本当に知らなかったんだよ」


 浅野さんは心底心外そうに顔を歪めた。

 まあ、バタフライピーだけなら、知らなかったというのも仕方ないだろうけど……。


「あのハーブティー、レモングラスとカモミールも配合してありましたね。どちらも、同じく子宮しきゅう収縮しゅうしゅく作用さようがあって妊娠中の摂取は控えるよう言われているハーブです。それも知らなかった、そう仰いますか?」


「……知らなかった。そうなんだね」


 そう言いながらも、彼の表情は醜く歪んでいた。

 しまった、少々うかつだったか? でもまさか社内でそんな……。

 彼は私の両肩を掴み、そのまま階段から突き落とそうとした。


「おい!! 何をやっている!!」


 階下から、大声が響き渡った。え、この声は……。


「畜生!!」


 浅野はそのまま私を突き飛ばし、逃亡を図る。

 私は階段を転げ落ちて……。


いたたたた。大丈夫かい?」


「は、はい」


 私を受け止めてくれたのは、同じ課の先輩、小泉こいずみさんだった。


「一体何があったんだい?」


「それは……」


 私は小泉さんに事情を説明した。


「なるほど、そんなことが……。確かに、そういう効果があるハーブばかりを配合していたとなったら、未必みひつ故意こいの可能性が高いだろうね」


 実際のところ、飲んだからといって即流産に直結するわけではない。リスクがどの程度高まるのかもさだかではなく、そもそも、そういった副作用自体疑問視する見解もあるようだ。

 しかし、浅野が宮内さんとの結婚を望んでおらず、流産すればいいと願っていたことは間違いないだろう。


「それにしても、小泉さんはどうしてここに?」


「いや、大西さんが何だか思いつめた表情で出て行ったものだから、ちょっと気になってね」


 小泉さんは庶務課の先輩で、あまり目立たない感じだしちょっとぶっきらぼうなところはあるが、面倒見は良く、とてもお世話になっている方だ。


「このお礼は必ず」


「いやいや、気にしなくていいよ」


 そういうわけにはいきません。まともに転落していて頭でも打っていたら、命にかかわっていたのだから。


 幸い、小泉さんは尻もちをついただけで特に怪我は無かった。私自身も怪我はしていない。

 今回の件、傷害未遂ということにはなるのだろうが、私は事を荒立てるつもりはなく、他言はしなかった。

 ただ、宮内さんにだけは、浅野は知らなかったことにして、そのハーブティーは飲まない方がいいとだけ伝えておいた。


 程なくして、浅野は自主退職し、行方をくらました。

 聞いた話によると、社内でこそ宮内さん以外には手を出していなかったものの、も含め、複数の女性と交際していたらしい。


 宮内さんも会社を辞め、実家に戻ったという。

 おなかの赤ちゃんをどうしたのかは聞いていない。



「わあ、綺麗!」


 優子が歓声を上げる。

 バタフライピーを購入して、私もハーブティーをれてみたのだ。

 まあこれ自体には何の罪も無いことだしね。


「バタフライピーそのものにはほとんど味も香りも無いから、蜂蜜を入れてね。それと、念のため確認するけど、あなた妊娠はしてないわね?」


「やだ、美由紀ったら。まだ大丈夫だよ」


「まだ、ね」


 私は思わず苦笑する。


 浅野の宮内さんとの関係ははなから遊びだったのか、それとも最初は真面目に付き合うつもりだったけれども他の女性に目移りしたか、宮内さんへの想いが冷めてしまったか――。

 そのあたりの心理は私には理解し難い。

 人の心はうつろうものなのかもしれない。このバタフライピーの色のように。

 けれど、私と優子の友情のように、変わらないものもきっとある。

 優子と藤田くんの関係もそうであればいいと願っているし、それに、私もいつか――。

 ふと、そんなことを考えた。



――Fin.



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作者はハーブティーに関してはずぶの素人で、ネットで検索した知識だけで書いています。

もしかして、バタフライピーにレモングラスやカモミールを混ぜたら、発色に影響が出るかな?

まあ、細かいことはお気になさらずに(笑)。

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