第4話 自分が自分になる道

  敵を殺すための自衛隊の格闘術、利権や権力を手にするための道具としての警視庁日本拳法と異なり、また、子どもたちが精神鍛錬でやる日本拳法でもなく、女性の護身術としての日本拳法でもない。

  大学日本拳法とは、自分が自分になるための道。意識するとしないとにかかわらず、形而上下での戦いによって自分を哲学する場といえるでしょう。

  

畢竟、コギト・エルゴ・スム(明確で明晰な、自分という存在の意識= 自我の覚醒)をすることで、何度でも自分を繰り返す・自分の血を濃くする。それこそが人生の目的だとすれば、大学日本拳法も太極拳も、或いは他のスポーツでも、そして、スポーツとは全く異なる静的な日本の茶道であっても同じこと(太極拳とは、究極の静的武道・スポーツ・運動といえるかもしれません)。


 ① YouTube「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」

   https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns

  の、お二人の立ち居振る舞い(蹴ったり殴ったりする動作は除く)に私は、茶道の宗匠のよう姿を見ることができました。


 また、「作用・反作用」To every action there is always opposed an equal reaction. ニュートン)という物理学の原理を、端的・簡潔な、彼女たちの姿と立ち居振る舞いによって示してくれたかのようです。


 ② 武術で人々を魅了する甘粛省天水市の張含亮さんhttp://j.people.com.cn/n3/2024/0321/c94475-20147496.html


 ③ YouTube「Thi Minh Huyen Tran 28th SEA Games Singapore 2015」  ベトナム人Thi Minh Huyen Tran さんの、2015年第28回SEA Games in Singapore WUSHU(武術)に於ける太極拳の演武。 https://www.youtube.com/watch?v=Oz4pfvb0Uzk 46分頃


   太極拳もまた、古くは鴻門の会で演じられた「戦いの心の一つの表現方式」であり、現代では毎朝の公園におけるジジババの健康法でもありながら、中国人として中国人になり切る道なのでしょう。

  たとえ「太極拳」という看板の元で師に薫陶を受けるにしても、また、多くの中国人が、自分から毎日・無意識に、太極拳を(心で)実践しようとも、彼らは永遠に自分が自分であろうとして生きようとしていることに変わりはない。

  40年前、私はシリコンバレーの或る中華料理屋の厨房で、中国人一家のなかで飯を食わせてもらった時の、彼らの機敏で無駄のない動作に、言いようのない洗練さと美しさとを感じました。飯を食う動作に太極拳を見たのです(もちろん、その時は「太極拳」という言葉は思い浮かびませんでしたが)。


  日本の首相で言えば、故田中角栄元首相の姿勢・歩き方・握手のしかたは「太極拳」であり、「大学日本拳法」であり「茶道」と形容してもおかしくないでしょう。美しく無駄のない、場と時間とを追求した在来種純粋日本人としての心の姿勢が、そこに見えるからです。

  中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領にしても、その人自身が明確にdistinguishされていると人々に感じさせる以上に、彼らの民族性をも端的・簡潔に表現されているのは、さすがに選ばれた人間といえるでしょう。

  故大宅壮一氏は「男の顔は履歴書である」と評論されましたが、大学日本拳法や太極拳に精進し、身も心も精通された方とは、顔も姿も立ち居振る舞いも、各々の個性・人間性・民族性を如実に表出している、と強く感じます。


  残念ながら、近年の日本の首相たちや政治屋の、いかにもだらしなく、場所を汚したような姿勢や表情・動作や、時間を浪費するかのような軽率な立ち居振る舞いには、いかに彼らが在来種純粋日本人ではない、ということがわかっているとはいえ、気が滅入ります(わたしたちは「以て他山の石となす」という、逆の効用に期待するべきなのかもしれません)。


  大学日本拳法において、試合に勝つ・段位を取る(或いは、ケンカに勝つという)ことも、毎日の苦しい鍛錬のための目標(インセンティブ)として大切なことかもしれませんが、なんといっても、その人個人になり切る・動物でもなければ妖怪でもない真の人間になり切る、更には、遠い記憶をさかのぼることで、自分の所属する民族(私たちであれば縄文人)となる(自分の血へ還る)。

  その上で、たとえ人生に於いて一瞬でもいいから「神となる」ことができれば、素晴らしいこと。

  これこそ、私たち(真の人間にならんとする者)が、最も大切にすべきことなのではないでしょうか。


大宅壮一

評論家。大阪府生れ。東大中退。辛辣・明快な社会・人物評論を特色とし、多くの流行語を生むなど戦後のマスコミで一世を風靡(ふうび)した。著「文学的戦術論」「炎は流れる」など。(1900~1970)「大宅壮一日記

広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店


2024年3月22日

V.1.1

平栗雅人

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大学日本拳法と太極拳 V.1.2 @MasatoHiraguri

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