第3話  自分のスタイルをもつことのできる人間

  張さんは、「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」 のお二人と同じく、心技体における、明確な自分のスタイルを持っているようだ(張さんの記事のみからだけの感想ですが)。

  ポリシー(スピリット)と技術(動作)、そしてそれが一体となった様式美(所作・ふるまい・身のこなし)。

  だからこそ、言葉や服装にもそれが現われるのでしょう。

  太極拳とは、大学日本拳法人が二人での戦いで得るもの(精神的な境地)を、自分一人の戦いによって体得することができるようです。


  ベトナム人のThi Minh Huyen Tran さんの演舞( https://www.youtube.com/watch?v=Oz4pfvb0Uzk 46分頃)に、如実にそれを見ることができますが、達人になると、個人的な自分の表現を越えて、更には彼女たちの民族性まで表現(演武)できるようになる。


  これはなかなか、大したものなのです。


  デカルト(1596~1650)は「三銃士」のような真剣勝負師たちを見て「コギト・エルゴ・スム 真の我」という存在・人間の在り方に気がついた。


  大学日本拳法人は、フランスの剣士たちと同じく、本気で戦う(殴る・蹴る・投げる)という鍛錬から、「コギト・エルゴ・スム 真の我」に行き着くことができる。


  太極拳人は、中国人という長い歴史の中で煮詰まったDNA由来の強靭な精神力を凝縮することで、「中国人としてのコギト・エルゴ・スム 真の我」を体現している。  ベトナム人のThi Minh Huyen Tran さんもまた、太極拳のもつ「自分を掘り起こす力」によって「ベトナム人」を見事に表現されているではありませんか。


○ 100年戦争(1337~1453年)や30年戦争(1618~48年)を体験してきたフランス剣士も、○ 戦国時代を乗り越えてきた日本の武士も、

○ 数千年もの昔から春秋戦国時代を経て、ありとあらゆる艱難辛苦を戦い抜いてきた中国の拳士も

○ 5,000年間に亘る、周辺諸国との戦いや、現代ではアメリカの侵略戦争に勝ち抜いたベトナム人も、

  それぞれの剣技・武道・武術(中国語読みでWUSHU)による、同じ真剣勝負の心に徹することで、自分が本来持っている自我をdistinguish(浮き彫り・明確に)し、フランス人としての・日本人としての・中国人としての・ベトナム人としての存在感を、ビシッと示しているのです。

  これが歌舞伎という芝居なら、「日本人!」とか「中国人!」「ベトナム人!」と、天井桟敷から声が掛かるところです。


  自らの内に存在する・血に流れている、戦いの歴史・記憶を正しく思い出すことで、逆に平和な心を発揮できる人たちこそ、真の(存在感をもった)人間と言えるでしょう。


  対照的に、現代日本の「三大韓脳裸の王様たち」のような、地位や肩書き・名聞利養ばかりの人間は、その存在(感)が煙草の煙のようでしかないのです。


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