第13話

寝不足のまま学校へ行くと、担任がチャイムの鳴る二十分前に教室へ入ってきた。


「河野はいるか。河野!」


怒っているような口調だった。教室の中が静まり返る。


「はい……」


一時間目の教科書を取り出していた河野さんは小さく返事をして席を立った。


「ちょっと生徒指導室まで一緒に来い」


担任と河野さんは一緒に出て行った。教室がうるさくなり始める。そのあとで、福島君が登校してきた。


「なに、今担任と河野が一緒にいてすれ違ったけど」


「呼び出されたみたいよ」


「ふうん。進路の話かな。推薦取れるとか、そういうやつ」


「さあ」


福島君は席について勉強道具を取り出した。いつもなら「さあ」と言った時点で言いがかりをつけられて殴られるんだけど、今日はなにもしてこない。大人しくノートを広げ、やっていないらしい宿題にとりかかっていた。


本当に、昨日で最後だったのか。


がっかりしたけれど、河野さんに好かれたいとはいえ、殴らないと決めたその精神力に敬意を表したい気持ちになった。


チャイムが鳴り、河野さんと担任が入って来る。河野さんが席に戻ると、朝のホームルームが始まった。


「えー、みんなに言っておきたいことがあります」


担任は姿勢を伸ばし、声を張り上げる。


「このクラスに泥棒がいます」


どよめきが走った。


「スーパー、コンビニでの万引き。いいか、これは犯罪だ。お前たちも軽い気持ちでやるなよ。絶対だ。そういうわけで、このクラスの泥棒は明日から一週間の停学処分。学年トップだからって許されると思うなよ。以上」


河野さんはうつむき、握りしめた拳を両膝の上に乗せている。


約束どおり、僕は誰にもなにも言っていない。おそらくお店の人にばれて、保護者や学校関係者に連絡が入ったのだろう。


だからといって、特定できてしまう形でみんなの前で言わなくてもいいのに。


驚きから、教室中の影が揺らめいていた。揺らめきは波紋を作り、黒さを増していく。


福島君の顔を見た。口をあんぐりとあけている。ショックを受けているのだということは流石に僕でも分かった。


「ねえ、大丈夫?」


肩を揺さぶり、訊ねてみる。


「嘘だよな?」


「嘘じゃないと思うよ」


ぼんやりと僕の目を見つめてきた。


「まさかおまえ、知ってたの」


「なんとなくね」


「止めたことは?」


「止めてやめると思うかい」

言うと黙った。黒さを増したクラスメイトたちの影は、やがて好奇と嗜虐の塊に変化していく。いじめが始まる。そう感じた。


「それでも俺は……」


「好きなの」


首を縦にも横にもふらない。


「……卒業までに告白することを目標にしていたんだ。だから頑張って学校にも来て、これでも一応、いろいろなことを我慢してきたのに。耐えてきたのに」


「やりたいようにやればいいよ」


福島君はうなだれていた。そして呟く。


「悪かったよ……おまえ殴ったり蹴ったりして、悪かったよ。誰だって、きっとどうにかなってしまう時があるんだ」


悪かった、という言葉をずっと繰り返す。僕にではなく、僕には見えないなにかを見つめながら。


影は、静かに泣いていた。


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