第5話

「コロッケ作ったから温めて食べてね」

「うん」


寝ている時間を多めにとりたいからと、母は僕の分しか作らない。少し早めに出ていって、駅前でなにか食べていくのが母の日常だ。


「朝は適当になにか買うなり作るなりして食べてちょうだい」


千円札を渡される。晩ご飯は毎日作ってくれるが、朝は自分でなんとかするのが常だった。昼は給食なので助かる。僕自身もいろいろ作れるのだけれど、正直面倒くさい。


「ねえ。最近なにか嫌なことでもあった」


こぢんまりとした部屋の中の、居心地の悪さに耐えられなくなって、訊いてみた。


母は僕が影を見ながら生きていることを知らない。特別なことができるわけでもないので、言う必要もないなと思っている。


「別に、なにもないわよ?」


嘘だな、と思った。


節約のためにまだ電気をつけていないので、影はない。それでも息子の勘から、母の

身になにか起こっていると感じた。


「はい、支度終わり」


ファンデーションのケースを閉じて立ち上がった。仕事へ行くスイッチが入ったみたいで表情が引き締まっている。四十には全然見えない。僕は時計を見た。


「もう時間だね」


「ええ。戸締まりはちゃんとしておくのよ。あとピンポン鳴っても不用心に出ちゃだめよ」


言いながら、何度もカバンの中身をチェックしている。


「わかった。気をつけてね」


「じゃあ行ってくるわね」


慌ただしく出ていった。結局、なにがあったのかはわからずじまいだ。


夕飯は早めに食べてしまおう。電気をつけずに、お皿に盛られたコロッケをレンジに入れる。


突然、ブブーッという音が近くで鳴った。テーブルの上で携帯がぴかぴかと光ってい

る。母のだ。裕福ではないから僕も母も安いスマホを使っている。


ギリギリまでガラケーを使っていたが、もう使えなくなるというので変えたのだ。


しかしあれだけカバンの中身をチェックしていたのに忘れるなんて。


僕は放っておいた。レンジからお皿を取り出し、テレビをつける。


またブブーッと音が鳴った。ご飯を食べている間も、目の前で携帯は鳴り続けている。しつこい。携帯を手にとって開いてみた。


五件ものメール着信がある。名前は表示されておらず、長々としたアドレスだけが、本来名前があるべきところに記されていた。


アドレス帳に登録していない人からのメールなのだろう。


あとで母に怒られてもいいやと思いながら、僕は日時の新しい順番からメールを開いた。


午後五時五十二分。


『僕は愛しているのです。この気持ちはあなたには伝わらないみたいだ。今度お宅にお伺いします』


愛の告白に胸焼けがした。一瞬のうちに色々なことを想像してしまった。


母が仮に新しいお父さんを連れてきても全く構わないのだけれど、この文面をよく読

むと、告白してきた相手とはそうならないことがわかる。


その前のメールを開く。午後五時四十八分。


『あなたとどうしても話がしたいんです。今度お会いしませんか』


その前。


『返事をお待ちしております。お願いです、返事をください』


その前。


『僕は好きになっちゃいけない人を好きになった。でもこの気持ちはもう自分でもどうしようもないんです。止められません。もうずいぶん前からあなたにメールをしています。なぜ返事をくれないのです?』 


一瞬、僕たちの過去を知っている人かなと考えた。でも考えてもわからないので、その前を見てみる。


『受信拒否にしましたね。だからアドレスを変えました』


更にその前は一ヵ月前に僕が遅くなると送ったメールだった。進級して初めて授業を受けた日の放課後、福島君の攻撃が三時間ほど続いた時だ。


アドレスを確認してみる。


無意味な英語と数字が並んでいるだけで差出人の名前が特定できるようなヒントはない。


電話番号の着信履歴も見た。十日前に会社の人からの電話があっただけだ。着信とメールの記録は全く残されていない。多分母が消したのだろう。


僕は今来た五通を消した。メールはしばらく続けて来たが、そのたびに消去しておいた。


母の様子が変だったのはこれが原因だと思ったから。一方的な着信やメールを受けて、母は一切返事をしていない。履歴も消してある。ということは誰かと恋愛関係にあるわけではなく、ストーカーにあっているのかもしれない。


「ふうん」


自分の声が響いた。コロッケがいつもよりまずいと思ったら、ソースをかけ忘れていた。

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