第7話日本最強の殺し屋、先輩の教えを受ける

 綺麗な青空の中を、ひとすじの黄色い彗星が突っ切っていく。


 ソフトクリームに似ている雲の群れが視界に入ったかと思ったら、瞬く間にその横を通り過ぎていく。目まぐるしく変わる風景やGに酔ってしまいそうな平衡感覚だが、殺奈は涼しい顔で風を楽しんでいる。常人だったら吐いてしまうのに、いまなお高速移動している殺奈は割とピンピンしている。


 その秘密がいま着用しているこのロリータドレスにある。事務所の開発部が丹精込めて編んだ特注の一張羅ロリータドレスは、摩擦係数や熱などから身を守り、雑魚の羽蟲人の爪やアゴの一撃を防ぐ優れものだ。


 しかし、どうすれば止まるのか、かいもく見当もつかないのもまた事実。


 なにか障害物にでもぶつかればストップするだろうが、あいにくこの蒼穹にはなんの物体もない。壁もなければ、三十年前に羽蟲人がやって来てからすべて解体された飛行機も飛んでない。


 殺奈はその状況に頭を悩ませていると、いきなり半透明のハート型の物体が目の前に現れた。ガラス? と一瞬そう推測を立てていたら、そのハート型の物体に頭から衝突した。ゴチーン。


「ぎゃあああああああああ!?」


 頭がかち割れるぐらいの衝撃がおでこを襲い、殺奈はおもわず頭を撫でさすり痛みをごまかす。


 かたやハート型の物体のほうは、時速五十キロは出ていたはずの殺奈ロケットをものともせず、太陽の光を照り返している。


 と、


「……あんた、あたしを放って行く……なんて……いい度胸している……わね」


 背後から飛んできた苛立ちをはらむ声。


 そちらに振り向けば、額に玉のような汗を浮かべたすももが、片手で汗を拭いながら殺奈に近づいてくる。


「あたしの指示なしに勝手に行くんじゃないわよ! このイカれポンチ!」


 すももが怒髪天をつきながら、殺奈のお尻をおもいっきり蹴り飛ばした。


「せ……先輩、痛いです」


「うっさい! あたしを置いて行ったあんたのほうが悪い!」


 さらに二回三回、殺奈のお尻をこれでもかと蹴りまくる。


 そうして、


「……さっさと行くわよ」


 と、殺奈を先導するように前へと躍り出ていき、競歩のテンポで再出発する。殺奈もすもものあとに続いてついて行く。


 先ほどの驚異的は推進力はたいぶ抑えられてはいるが、その飛び方はぎこちなく危なっかしい。フラフラとあっちへこっちへ。まるで生まれたての子鹿だ。


 そんな魔法少女一年生の殺奈に、先頭で華麗に飛翔しているすももは、


「……もっと肩の力を抜きなさい。そうすればだいぶマシに飛べるわよ」


「あっ、はい」


 殺奈はそのアドバイスに従い、ふっと力を抜いてみる。


 すると、さっきまでのフラフラ飛行が嘘のように直り、バランスを維持できるようになった。


「ほ……本当に直った。先輩、ありがとうございます」


「……別に。あんたが見苦しい飛び方をしてたから、助言しただけ。……ああそうだわ。もうひとつ、あんたに言っておかなくちゃあいけないことがあったわ」


 すももはそう言ったのち、いったんそこで言葉を区切ってから殺奈のほうに振り返り、


「……その衣装を着ているあんたは魔法少女スーパーヒーローなんだから、そのことを肝に命じて職務をまっとうしなさい」


 魔法少女の姿を身にまとった殺奈に、そう言葉を投げかけてから前を向き直した。


 つまりは魔法少女としての責任を持て、という先輩からのありがたい教訓だと思う。責任感と矜持の強いひとなんだろうな、と殺奈はすももに対してそう思った。


 その教訓に了解の意を伝えるため、


「はい!」


 殺奈は声高らかに返事した。


 そうして約五分、吹きつける突風を押しのけて飛行していたら、目的地の蛇原市北東部に到着する。


 殺奈から目測三百メートルほどの距離にある空中浮遊する飛行艇。その近代的な装いの巨大戦艦から、黒い影の塊がわらわらと出てくる。その黒い影の塊と相対している先ほどの魔法少女たちが、陣形を広げて応戦している。


 殺奈は黒い影がなんなのかを知るために、じーっと目を凝らす。殺し屋時代に培われた視力は6.0を越えるため、問題なく視認できる。


 まるで昆虫と人間が合体したかのような、硬そうな黒い外皮に包まれた八頭身の肉体。身体から生えた四本の腕。背中から生えた大きな翅。見たことのある触覚やアゴや複眼から察するに、蟻に近い品種だと思う。


 あれがくだんの羽蟲人なのかと思っていたら、


「……やっぱりおかしいわね」


 怪訝な表情を浮かべたすももが、おとがいに手を当てひとりごちる。


「なにがおかしいんですか?」


「……あの辺りには密集した住宅地域のひとつがあって、そこが襲われると甚大な被害が及ぶから、普段は事務所が開発した結界装置で守られているはずなのよ。なのに、いまは奴らの侵攻を許しているわ」


 すももはそう呟きつつ、ステッキを戦艦のほうへと指し示す。


 その先にいる羽蟲人たちは、どいつもこいつも光学レーザーを放つバズーカを構え、建物をどんどんと破壊していってる。魔法少女たちはその侵攻を必死に食い止めている。困惑の表情を多少なりとも浮かべながら。


 すももの言葉が確かなら、この状況はどうにもおかしい。多分なにかしらのアクシデントが起きているんだろう。


「……まあいいわ。とにかく、いまはなんとしてでも市民を守りつつ、奴らを退治するわよ」


 すももは殺奈にそう命令しつつ、やおらステッキを持つ手を上げる。


 すると、ステッキがいきなり発光しだした。少しして、光が徐々に収まったかと思ったら、その姿はもとの形状から逸脱したものへと変化していた。


 その小柄な体格に不釣り合いな身の丈を越す金属質なフォルム。いくつもの細長い鉄の棒を束ねた回転式銃身。すももの背中に背負われた大きなドラム型弾倉。


 全体的に真っピンクに塗装されてはいるが、それはまぎれもないガトリング砲だ。殺奈の見立てでは、もとのモデルはM61に違いない。


 すももはその巨大で武骨な得物を軽々と構えながら、


「奴らの頭の中には伝達経路を制御している脳核があるわ。そこを直接破壊するか首を刎ねれば倒せ……」


「あっ、先輩。後ろから来てますよ」


「えっ?」


 すももの解説が言い終わらぬうちに、二人の背後からいつの間にか迫ってきた羽蟲人たちが、


「ギシャアアアア!」


「殺セ殺セ! 魔法少女ハスベテ殺セッ!」


 テープレコーダーみたいな抑揚のない奇声を上げながら奇襲する。


 おそらく、別働隊がこちらまで侵攻範囲を広げる中途で、殺奈とすももを発見して突撃を敢行したところだろう。


 その羽蟲人たちは、おのおのロケットランチャーや銃剣付きの光学ライフルの銃口をすももに向ける。


「くっ!」


 するどく息を吐いたすももが、急いでガトリング砲のステッキを敵集団に向け直し、トリガーを勢いよく引いた。断続的に続く回転式銃身の回る音と轟く銃声。


 だが、銃身の束から降り注ぐ銃弾の雨は、羽蟲人たちにはまったく当たらずあさってのほうへ。ド下手クソにもほどがあるノーコンだ。


「ちっ!」


 軽く舌打ちしながらも、続けて羽蟲人に向けて銃弾を撃ち続けるが、ぜんぜん当たらない。猛攻を仕掛けてくる羽蟲人たちにほとんどヒットしない。まぐれで羽蟲人の脇腹を抉った一発も、損傷箇所からボヨボヨと蠢き、数瞬で再生してしまった。


 このままの攻防では、埒があかない。


 そう判断した殺奈は、すももの前に躍り出ることにした。


 そして、直前まで接近してきた一体の羽蟲人の頭部を、ステッキでメイスみたいに殴り飛ばした。


「グギャッ!?」


 打撃の衝撃を食らった羽蟲人の頭蓋骨はぐしゃりと砕け、頭部の中身のガラス玉のような丸い物体がバキリと割れる。同時にその羽蟲人の目の色から光が消え失せ、落下。


 仲間がやられたことによって逆上し声を荒げる羽蟲人の攻撃を、卓越した動作でひらりひらりと避け続ける。そして、流れるようにその昆虫の頭を順番に叩き潰していく。


 ぜんぶ墜落する頃には、ステッキの先端に付着した汚らしい緑色の血液がポタリポタリと地上に滴り落ちていく。


 殺奈の達人級の戦闘能力を垣間見たすももは、ガトリング砲のステッキを下げる。


「……ふ、ふーん。やるじゃん」


「ありがとうございます。……それはそうと先輩。もしかしなくても射撃下手ですよね?」


「………………」


 その視線は殺奈には向かず右横へ。どうやら図星のようだ。


 別に責めたりはしないけど、あんな下手くそな弾幕を張られるのは困るし、ひとりのほうが効率よく殺せる。


 なので、


「それじゃあ、先輩。先にあいつらを殺しに行くんで、先輩は市民の避難でもしていてください」


 殺奈は羽蟲人が密集しているところへと突き進もうと身体の向きを変える。


「あっ、ちょっと待ちなさい! 魔法少女はチームで行動するのが鉄則なのよ! 素人のあんただけを行かせるわけないでしょ!」


 すももの制止にいったん動きを止め、くるっと振り返ってから、


「心配しなくても、私なら問題なく殺せます。それに、早く殺したくてうずうずしていたところなんで」


 ステッキを持っていないほうの手をゴキゴキと鳴らしながら、それはそれは素敵な笑顔を浮かべる殺奈。溢れんばかりの冷たい殺気をその身にまとわせて。


 おかげで、生存本能が働いたすももの顔から冷や汗がドバドバと流れる。のども無意識に引きつらせてしまっている。


 そのすももの反応に構わず、殺奈はひとり戦場へと向かった。

 今回の仕事で大活躍し、その見返りの特別手当をいただくために。

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