第6話日本最強の殺し屋、先輩と出会う

 事務所のオフィスビルに敷設されたドーム状の演習場。屋内は運動場みたいに広々としていて、天井は開放されており、澄み渡る青空が殺奈の視界に清々しく映る。場内にはちらほらと派手な格好をした少女たちがいて、みな一様に剣や槍で戦いの練習に明け暮れている。


 とりあえず演習場の真ん中で待つようクリス社長に指示されたが、はたして殺奈の指導役はどのような人物だろうか?


 そうしてしばらく佇んでいると、


「あんたが新人の吉野殺奈?」


 殺奈の後ろからかけられた甘ったるい猫なで声。甘すぎて耳が糖尿病になりそうだ。ひとまず殺奈は声のしたほうに振り向く。


 するとそこにいたのは、これまた可愛らしい外見の女の子だった。


 肩甲骨に届く長さの茶髪はパステルブルーのリボンでお茶目にツインテールされている。殺奈以上の愛くるしい童顔、子ども同然の小さな身長、細部まで選び抜かれたガーリーな身なり。


 誰がどう見ても年端のいかない女の子だと断言できる可憐な少女だ。


 正直に言ってこんな場所にいていい存在じゃない。どっちかと言うと小学校のほうが彼女の居場所にふさわしいはずだ。


 その少女の右手には、アニメの世界にありそうな二本のステッキが握られている。それらを持ったまま、殺奈のもとまでてくてくと近づき、目と鼻の先に止まってから、


「…………ふーん、顔は申し分ないわね」


 殺奈の顔をしげしげと観察し、そう評した。


 とりあえず殺奈は、少女に応答する。


「……えーと、もしかして君が私の指導役なのかな?」


「そうよ。今日からこの朱桃しゅとうすももがあんたの先輩として指導するから、覚悟しておいて。……ああそれと、あたしは二十四歳だから、敬語も忘れずに」


 まさかの二歳年上だった。びっくりしすぎておもわず声が漏れそうになった。


 そのすももが、話を続けていく。


「それじゃあさっそく魔法少女に変身してもらうけど……その前にひとつ質問するわ。あんた、SNSはなにを利用しているの?」


「えっ、いやぁ……実はスマホは持ってないです」


 その回答に、すももは仰天の表情を浮かべながら、


「はぁ!? なんで持ってないのよ!? マジ意味わかんないんだけどっ!?」


 殺奈のことを親の仇ばりにボロクソに叱りつける。


 さらにすももは、あたしたち魔法少女は事務所の広告塔を担っているから、とスマホやSNSの重要性を懇切丁寧に教えてくれた。今日からあんたもその自覚を持ちなさい、とガミガミとまくし立てて論ずる。


 ……そんなことを言われても、持ってないものは持ってない。家電話はいまだに黒電話なのに、スマホを持ってないのを注意されるのはマジで困る。


「とりあえず、スマホの件はあたしがなんとかするから。……それよりも」


 不意にすももに突き出されたお金ちょうだいのジェスチャー。すももは続けて、


「あんた、ヤニ臭いのよ。さっさとタバコを出しなさい」


「えっ、いやでも……」


「つべこべ言わず早く出しなさい。今日からあんたは魔法少女として働いてもらうのよ? 事務所の看板に泥を塗るような真似はあたしが許さないわよ。……ほら早く」


「……はい」


 殺奈はなくなくポケットから取り出したタバコのパッケージをすももに手渡す。


「ライターも」


「……はい」


 ポケットの中に一緒に入っていた百円ライターもすももに差し出す。自分の半身が削り取られたようで、めちゃくちゃ涙が出そうになった。


「これはあたしが預かっておくから。間違っても買い直さないでよ」


 すももは殺奈に釘を刺しておいてから、タバコとライターをポケットの中に突っ込む。


 さすがにタバコを買い直す余裕もクソもないので、すももの命令に仕方なく従うしかない。


 そうして、すももはその手に握られたオモチャ同然のステッキのうちのひとつを殺奈に手渡した。


 殺奈は渡されたブツを興味深そうに凝視する。


 すみずみまで塗装されたメタリックシルバーの短い柄。その先端に取り付けられたラズベリー色のハート状のリング。リングの両端に付いた天使の羽。そして、リングの中心に浮かぶ地球儀のような色合いの球体。


 殺奈はなおもステッキを観察しながら、


「これが……」


「そう、これこそが羽蟲人うちゅうじんを退治するために事務所が開発した武器、《プリズマ・ステッキ》よ」


 すももは殺奈に朗々と解説した。


 羽蟲人うちゅうじん


 いまから三十年前、突如として宇宙からここ蛇原市に舞い降りた特級指定危険生命体。


 奴らはひんぱんに現れ、ことあるごとに蛇原市を襲撃し、そこにいる無抵抗な住民たちを鏖殺していった。泣きじゃくる子どもも無慈悲に齧り殺して。

 殺奈も近所のおばさんから譲り受けたラジオで聞きかじったが、奴らのニュースは本当に胸くそ悪い。


 奴らはいったい何者なのか? 侵攻理由は? その正体も目的もいまだ判明していないが、少なくとも人間に対して敵意を向けていることだけは確かだ。


 加えて、奴らの見た目はこの世界に存在する昆虫に酷似しているため、一説では大国の暗部が生み出した改造人間だとまことしやかに囁かれている。


 その羽蟲人が侵攻し始めてまもない頃は、警察や自衛隊などの組織が現状ある兵器で対抗した。


 だが、奴らの能力は極めて高く、追い返すのでやっと。海外からの軍事支援は、敵の妨害によって受けることができなかった。世界から断絶された日本の兵士たちは、日を追うごとに疲弊していくので、いずれ侵略されるのは目に見えていた。


 そんな窮地に救いの手を差し伸べたのは、他ならぬこの魔法少女事務所マジカル☆プリズムだ。


 社長のクリス=バルトーラ氏は、独自に開発した魔法技術、そして現代の機械技術を組み合わせた武器を生み出した。


 それこそが、いま殺奈が持っている《プリズマ・ステッキ》。


 ファンタジーの世界から飛び出した革新的な兵器であり、羽蟲人を退治するために製造された人類の希望だ。


「こんなオモチャみたいなモノが……」


「いちおう言っておくけど、それけっこう高いから。大切に使ってよね」


 すももは殺奈にそう釘を刺す。続けて、


「……それじゃあ、まずはそのステッキのコアに自分の血を付けて生体認証をしてちょうだい」


 と、説明しつつ中心の球体に指差す。

 そのすももの指示に首肯した殺奈は、おもむろに親指を噛み切って血を露わにし、球体に塗りたくる。


 すると、塗りたくった血がみるみるうちに球体に溶け込んでいく。続けて、


『生体情報を確認。ただいまよりプリズマ・ステッキ識別ナンバー5764の持ち主を吉野殺奈とします』


 ステッキから人間味のない機械音声が流れ、殺奈を持ち主だと告知してきた。


「認証できたわね。じゃあ次は、変身するための認証コードを言ってちょうだい。認証コードは『プリティマジカルチェンジ』よ」


 なんだその恥ずかしい変身の呪文は。


 おもわず拒否する勢いですももの首に手刀を突き刺してしまいそうになった。それぐらい羞恥を誘う変身の合言葉だ。正直言いたくない。


 だが、ここはぐっと堪えねばならない。


 彼女の指示に首を横に振れば、多額の借金は返せないし、妹のための貯蓄も増やせない。


 ゆえに殺奈は、ゆっくりと呼吸を整え、己が精神を強く律してから、


「……プリティマジカルチェンジ」


 変身するための合言葉を、淀みなく唱えてみせた。


 すると、殺奈を中心に淡い光の粒子が輝き出し、殺奈を優しく包み込んでいく。身につけているものをすべて変換していく。


 やがて、先ほどとはまったく異なる格好となって、その身をすももに晒した。


 きらびやかに染まった金色の髪と双眸。ひまわりイエローを基調とし、リボンやフリルをふんだんにあつらえたロリータドレス。細やかな装飾が施されたキュートなデザインの手袋やブーツ。


 まごうことなき魔法少女が、ここに爆誕した。


「うまく変身できたわね。やるじゃない」


「あ……ありがとうございます」


 第一印象から性格がキツそうなすももに褒められたため、殺奈は少々むずがゆくなりながらも感謝を述べる。


 ……本音を言えば、この格好にも多少の恥ずかしさを覚える。


 けど、殺奈は殺しの仕事しか経験したことがない。


 なので、いままで培ってきた暗殺のスキルを活かせそうなこの仕事を選んだのだ。


 ゆえに殺奈は、がんばってこの仕事に励もうと握る拳に殺る気を込める。


「無事に変身できたことだし、あんたには次のステップを……」


 堂々と佇むすももが、手に持ったもう一本のステッキを教鞭みたいに振りかざしながら、次の指示を口に出そうとしたら、


 突如として演習場内にけたたましく鳴り響く警報音。続いて流れる女性の声色のアナウンス。


『蛇原市の北東部に羽蟲人が侵攻してきました。繰り返します、蛇原市の北東部に羽蟲人が侵攻してきました。施設内にいる魔法少女は、至急北東部に出動してください』


 その報せを聞いた周りの魔法少女たちは、一斉に空に向かって出動していく。


 一方、しかめっ面を浮かべているすももは、


「……どうやら、初日から実地研修になりそうね」


 そう言って、変身コードを朗々と口ずさむ。


 殺奈同様に淡い光の粒子がすももの姿を覆い隠し、ややあって魔法少女の姿に成り替わった。


 ツインテールや目の色は殺奈と違って鮮やかなピンク色だ。ロリータドレスも同様の色に染まっているが、そこを除けばデザインは瓜ふたつだ。


 その魔法少女の格好をまとったすももは、続いて地面を強く蹴ってジャンプした。数秒後に落ちると思われたその身体は、重力を無視して空中に浮遊する。すももは空中姿勢を維持したまま、殺奈に向かって、


「いきなりで悪いけど、これから現場に急行するわよ。ほら、早く飛んで」


 と、言いながらそちらに来るよう手招きしてきた。


 が、


「いや先輩、ひとは空を飛べませんよ?」


「なにをガタガタ言ってんのよ。自分が妖精さんになって飛んでいる姿を想像力豊かにイメージするのよ。ほら」


 すももはなおも手招きし、自転車の練習に付き添ってくれるお姉さんみたいにアドバイスを入れる。


 その助言を聞き届けた殺奈は、とりあえずイメージ通りに想像を膨らませてみた。


 妖精……妖精……妖精……妖精……遠方のおじいちゃんから贈られてきた養肝漬ようかんづけの詰め合わせ、また食べたいなぁ……。


 なんて考えていたら、徐々に身体が風船みたいに浮き上がった。パンツは見えてしまっているけど。


「先輩、できま……」


 二の句を告げようとした瞬間、殺奈の身体は爆発的に上昇していき、放物線を描いて空の彼方へとすっ飛んでいった。声を置き去りにして。


「あ〜〜〜〜れ〜〜〜〜!?」


「あのバカっ! どんだけ魔力量が多いのよ!」


 もはや星となった殺奈に向かって、すももはイライラしながら悪態を吐く。


 幸い殺奈が飛んでいった方向は要請が来た北東部だ。


 その北東部のほうに向き直したすももは、全速力で殺奈を追いかけていった。

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