第3話日本最強の殺し屋、家族を想う

 いつもの家路を約十分ほどたどっていくと、見慣れた我が家に到着した。


 まるで世捨て人が住んでいそうな、ボロボロの木材と土壁で建てられた平屋だ。トタン屋根、磨りガラス、ツタが絡みついている雨樋、風呂なしで月三万の借家だ。玄関先には豆苗プランターが置かれている。


 大抵のひとは近寄りたくない場末のボロ小屋の玄関まで移動し、ガラガラと引き戸を開ける。


 と、


「あっ、お姉ちゃん! おかえり!」


 隙間風が冷たく吹き抜ける畳敷きの六畳間。天井にぶら下がる白熱電球がちかちかと光る屋内で、古着のTシャツを着た少女があいさつしてきた。


 この娘は吉野葵。殺奈の大切な妹であり、殺奈の生きる理由そのものだ。


 その葵は、我が家に唯一残っている洋服のほつれを裁縫道具で直しながら、


「……お姉ちゃん、今日なにかあった?」


 と、殺奈の顔色を窺いつつそう問いかけた。


 やはり我が妹には敵わないな。


 そう寸感した殺奈は、おもむろに手のひらにある本日の成果を見せびらかせながら、


「先にご飯を作ってくれないかな? 話はそのときにするから」


 と、夕飯を作るよう促しつつ、スニーカーを脱いで葵に手渡す。


 その視線をあさっての方向に向ければ、そこには簡素にしつらえた仏壇がある。その仏壇の上には、ひとつの蜜柑と己が母親と父親の遺影。その遺影と遺影のあいだに置かれている線香立てに挿された線香の煙が、物悲しく天井へと立ち上っている。


「…………」


 殺奈と葵の母親は、殺奈が七歳のときに交通事故で他界した。


 父親は妻を亡くした悲しみにくれながらも、男手ひとつで二人の娘を懸命に育ててきた。会社を立ち上げ、事業を成功させ、日常を守るために仕事にまい進し続けてきた。


 が、運命のイタズラなのか、父親の会社はあっけなく倒産してしまった。笑ってしまうぐらい跡形もなく消え失せた。


 そして、三億もの莫大な借金を抱えてしまった。


 しかし、殺奈の父親はめげずにこの借家を借り、二人の娘にご飯を食べさせるために土木工事に精を出した。多額の借金を全額返済するために、来る日も来る日もドリルで穴を掘り続けた。


 その様子を遠くから見守っていた中学生時代の殺奈は、父親に心の中でエールを送り続けた。がんばれがんばれ、と。


 だけど、その奮闘は父親の過労死で幕を閉じた


 当時十六歳の殺奈は、繰り返される肉親の死に直面できず、ただただ涙を流すことしかできなかった。


 その悲哀の感情に押し潰された殺奈を救ったのは、葵というかけがえのない存在。


「……お姉ちゃん。わたしも強くなるから、がんばって生きていこうね……」


 あの火葬の日、自分よりも年下の妹にそう励ましてくれた。


 本当は葵だって泣きたいはずなのに、あふれ出そうな涙をこらえながら自分を勇気づけてくれた。


 年長者の自分がメソメソ泣くわけにはいかない。


 お姉ちゃんである自分が、妹を命に代えても守るんだ。


 そう決心した殺奈は、通っていた高校を躊躇することなく中退。当時の知り合いに紹介してもらった殺し屋のアルバイトに申し込み、晴れて殺し屋となった。


 そして、青春を知らぬまま六年ほど働き、借金を少しずつ返していった。黒木社長の悩みのタネも、知らずうちにすくすくと成長していたけど。


 まあなにはともあれ、その借金も残り五百万まで払いきれた。


 殺し屋のアルバイトは辞めさせられてしまったが、決して完全返済を諦めたりしない。貧乏神に負けてたまるか。

 絶対に新しい仕事を見つけて、利息も合わせてきっちり払ってみせる。


 すべては、両親に託された妹を立派な大人に自立させるために。

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