第92話 ささやかな選択

師範学校の門を出ると、日は傾きつつあったが、まだ十分に明るさの残る時刻だった。

冬至を過ぎてから心なしか、日も長くなってきたような。

こんな、明るいうちに仕事から解放されて帰れるって、嬉しい。


師範学校のすぐ目の前がマグノリア要塞外堀で、かつての防塁の名残りか、堀に沿って小高く盛り上がっている堤の上に、歩道が整備されているようだ。

あれ?外堀、ってことは――

古い石段を踏んで、松やカシが枝葉を広げる堤に登ってみた。


眼下には、木々の茂る斜面の下、急斜面にへばりつくようにして走る鉄道の線路が垣間見え、

外堀の水面を隔てて反対側の岸には、こちら側よりもかなり低い位置に、市電の走る通りが堀に沿って伸びている。

やっぱそうだ、ここ、クリプトメリア邸アパートの坂下通りの続きじゃん。

前に、ヴァザプルドに行った時、てくてく歩いていった道だ。

ラッキー、あっち側に渡れば、市電一本でウチまで帰れちゃう。


数百メートルほど西側に堀を渡る橋があるのを認め、アマリリスは意気揚々と、夕日を追いかけるようにして堤の歩道を進んでいった。

――実際は、彼女が向かったのとは逆方向すぐの場所に別の橋があり、ファーベルが通学に使うのはそちらの経路だったのだが、

それに気づかなかったことも、ささやかながら一つの選択だったと言えよう。


犬の散歩をさせている人、沿道のベンチに座ってボーッとしている中年男性、この時間から、仕事はどうしてるんだろう?(あたしみたいなサボりかな)

などと考えながら歩くこと数分、歩道は、堀のふちに建つ鉄道駅の駅前に出た。

2方向から坂を下ってくる通りが合流し、堀を渡る橋へと続いている。

駅前広場を横切って橋の方へ行こうとして、アマリリスは思わず足を止めた。


人影まばらというわけでも、かといって人混みというほどの人出でもない駅前、

おさげに編んだ赤毛に円縁メガネ、ニット帽にカラフルなセーター、チェック柄のブーツという、目のチカチカする格好の女性が、ビラ配りをしている。

アマリリスの目を惹いたのは、彼女の足元に立て掛けられた看板に書かれた、ラフレシア語、そしてウィスタリア語の文字だった。


””ラフレシアとウィスタリアは親友で兄弟!仲良くしましょう””


在マグノリア・ウィスタリア人融和作業部会、と、両国の言語で併記してあった。


アマリリスが立ち止まったことで、向こうもこちらに気づき、

なかなか受け取ってもらえないビラを差し出す手を休めて、しげしげとこちらを見つめてくる。

しまったな。


まぁ、顔立ちからラフレシア人ではないと踏んでも、文明の坩堝のカラカシス、外見だけで民族まではわかりっこない。

アマリリスだって、ウィスタリア語のメッセージがなければ、この女性に目を留めることはなかっただろう。


アマリリスは視線を逸し、首を竦めるようにして、その場を行き過ぎようとした。

と、


鳳仙花ほうせんかは爪先を染める紅・・・』


ウィスタリア人であれば誰でも、国歌は知らなかったとしても、聞き覚えのない者はいないであろう民謡のフレーズ。

アマリリスが再びしまったな、と気づいたのは、あっと小さく声を上げて、女性の視線を真っ直ぐに捉えた後だった。

やられた。


『やっぱり!あなたもウィスタリア人だったのね。

うれしい、部会のメンバー以外で会えたの、初めて!

マグノリアには長いの??』


イヌワシが獲物を鉤爪にとらえるような迫力で、女性がアマリリスにすり寄ってくる。

ちっ、近い近い。


『いいえ、、ついこの間来て、ちょっとだけ滞在しているっていうか。。。』


『わたしはコニファー、コニーって呼んで。東部のエクメアの出身よ。

あなたは?』


『・・・アマリリス。

出身は、多分言っても知らない、小さな村だったから。

アザレア市の近く。』


『よろしく、アマリリス。”リル”でいいかな。

やっぱりあなたも、交換協定で解放されて?』


『いいえ。

え、交換協定て??』


コニファーはそれから、アマリリスを質問攻めにすると同時に、

自分と、自分の団体についてまくし立てた。


3年前のウィスタリアを襲った災厄、”カラカシスの離散”で、

かつてのアマリリス同様、コニファーもまたタマリスクに連行され、コルムバリアの強制収容所へと送られた。


そこで半年を過ごすうちに、彼女の家族は全員が病気や事故で亡くなり、コニファー自身も生死の境に陥ったが、

ラフレシアとタマリスクの間で交わされた”交換協定”、

ラフレシアが占領したリナリアのタマリスク住民と、タマリスクに連行されたウィスタリア人の一部を交換する取り決めによって、

解放されてラフレシアへとやってきた。


そして”ウィスタリア人融和作業部会”の支援を受けて生活の基盤を築き、

コニファー自身も活動の一員となって今に到る、と。


極東の地とあって、マグノリアに住むウィスタリア人は多くはないが、

それ以上に同胞の存在はラフレシア人にほとんど知られておらず、

民族を襲った災厄への理解も、異国での生活への支援も進まない。


ウィスタリア人の存在をもっとアピールし、ラフレシア人の共感と連帯感を得ること、

それが作業部会のミッションだということだった。



コニファーの言葉の集中砲火を浴びながら、アマリリスの頭にあったのは、

まざまざと蘇ってくる暗い記憶の憂鬱と、この場をどう切り抜けたものかという、もう一つの憂鬱だった。

明らかに流れは良くない。

そして案の定。


『ねぇ、作業部会の本部がすぐそこにあるの!

ちょっと寄ってかない、見ていくだけでいいから。』


『いや、それはちょっと、、

ほっ、ほら、ビラ配り忙しいのに邪魔しちゃ悪いし♡』


『ぜーーんぜん大丈夫!

こんなの、昼から配ってて、受け取ってくれたの2枚よ、2枚。

はい決まり。こっちこっち~』


コニファーは早くもビラと立て看板を片付け、アマリリスを引っ張っていこうとする始末。


ウィスタリア人、特に女には、こういう強引なところがある。

アマリリスもまたウィスタリアの女なわけで、明確な拒否感があればきっぱりと断るところだが、そういうわけでもなく、

ただ気が進まないだけのぼんやりした抵抗感(?)で彼女の強引さをかわし切るのは難しそうだ。

そして、強引な者同士の駆け引きでは、最初に勢いに乗った方に分があるのは明らか。


えぇい、わかったよ。今回はあたしの負けだ。

それにしても今日はよくよく、奇妙な縁に恵まれる日だこと。

アマリリスは観念して、黙って連行されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る