第89話 古来よりの慣習
めずらしいな、、ブルカニロ博士の方から呼び出しって。
心当たりなどあろうわけもなく、アマリリスは首を傾げながら、すり減った板張りの階段を登っていった。
「お忙しい中、お呼び立てして申し訳ありません。」
「いえいえ、
何かありましたか??」
利用者対応局・参考業務課宛に届いたブルカニロからの依頼票は、
折り入ってご相談したい事案があり、ついてはブルカニロ研究室まで――
というもので、アマリリス・ウェルウィチアを担当に指名していた。
図書館に用件があれば利用者から出向いてくるのが、暗黙、いや施設が当然の前提とするルールだが、
大学側との力関係上、守られないこともままある。
アマリリスも何度か、図書館員を無料の書誌配達人のように扱う、横着な教官の研究室に本を運んだものだ。
これがクリプトメリア研究室からの依頼だったら何も不思議はないが、しかしブルカニロ博士の物腰に、そういうマナー違反は似合わない。
こっちから出向かないとならない、しかもあたしじゃないと対応できない用件って??
「もとより、ご足労頂いたのはいつもの面談のためではありません。
いささか個人的であり、同時に図書館職員としてのアマリリスさんを頼ってのご相談です。
市内に、私が外部講師をしている師範学校がありまして――大学外のことなので、これが個人的な事情の部分ですが――
そちらの先生が、青少年の精神育成に資する文庫の充実を企画しており、選書に協力して欲しいと要望なのです。
そういう書籍の知識となると、私も明るいわけではなく、専門の方のご協力を仰ぐべきと判断いたしまして。
施設としての図書館への正式な依頼とすることも考えましたが、
アマリリスさんが図書館にお勤めなのを思い出しましてね。
まずは、個人的な知己を頼ってご相談しているような次第です。
如何でしょうか、まずは件の教諭を訪ねて、彼の構想を聞いてやっていただけたらと思うのですが。」
「はぁ。。。師範学校のセンセ、ですか。」
”大学付属”図書館なのに、大学の
それは、マグノリア大学と、そしてマグノリア市の開基そのものに遡る慣行に由来していた。
およそ230年前、ラフレシアがその東進政策の果てに極東の地を手中にした時、
現在のマグノリア市街が位置する、幾筋かの河川が海に注ぐ平野には、沿岸に僅かな漁村が散在するばかりの、無人の原野が広がっていた。
原野を切り拓き、道路を、街区を整備し、住人を呼び込み、行政府から始めて都市の機能を一から造成していく過程で、
街の開基とともに設置されたマグノリア大学は、都市の運営に必要な諸々の知識・技術を提供する、情報収集・集積機関としての役割を期待された。
ラフレシア首都、クリムゾン・グローリーをはじめ、ボレアシアの旧くからの街であれば、
都市機能を担う各種の機関の側が独自に情報部局を持ち、あるいは国家の諮問機関に
都市建設の繁忙のなかで、情報収集活動にまで手が回らず、さりとて中央に頼るには余りにも遠く隔たっていたこの地では、
そのような、やや歪とも見える役割分担が成立したのだった。
時代とともに、大学の役割は教育と研究へと、選択と集中が進んでいったが、一度つくられた慣行というのは思いのほか、廃れきらずに残るものだ。
その名残のひとつが、大学附属図書館に現在も残る、学外からの依頼を受けての調査・情報提供の業務だった。
ルピナスが所属する調査考査局がその代表だが、たとえばルピナスはマグノリア市議会や官公庁に対して、法令案作成や、各種年鑑・統計資料編纂の支援を主な業務としている。
マグノリア大学附属図書館の組織が無闇に
歴史の事情に通じていないアマリリスとしては面食らったが、
面食らっただけで、抵抗感はなかった。
仕事は、その中に身を置けば毎日同じことのくり返し、という性質ももちろんあるが、
そして業種によって緩急はあっても、時間とともに変わってゆくものだという。
であれば変化を恐れず、むしろ変化にこちらから食いついていくぐらいの前のめり感が、
職業人としての心意気というもの。
「面白そう!ぜひぜひ、やらせてくださいっ。」
早足で図書館に戻り、直属の上司である課長に事情を話すと、
上司は渋い顔をして、そういうの、ホントは考査局の仕事なんだけどなぁ。。。(本音:今時期は忙しいんだから、キミも遊んでないで自分の仕事を)
とかブツブツ言っていたが、アマリリスはまるきり耳を貸さず、まーまー、いいから、ほら。と適当にあしらい、
挙げ句にちゃっかり直帰の了承まで取りつけて、ブルカニロから渡された先方のアドレスへと急いだ。
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